またやられたーっ!

夜、たまたまそのとき読んでいたスペイン語訳の漱石『行人』の或る箇所の意味がどうもつかめず、それではと北側廊下の書棚にある岩波の新書版『漱石全集』の『行人』の巻を引き出しに行ったときである。な、な、なんと! またやられていた!虫に喰いちぎられていたのだ。慌ててその近くのものを引っ張り出したら、10冊ほどの漱石さんが食い荒らされている。良く見ると米粒くらいの白い虫が動いてる! 助けてくれー!
 夜中だし、ともかく虫にやられたものだけ床にならべ、とりあえずフマキラーを吹きかけ、あとは明日にでも処分しよう、と一度部屋に戻ったが、でもあのまま放っておくのも気になる。それでビニール袋に修復不可能なものだけでも詰め込み、その周囲を掃除機で吸い上げた。紙魚なんでしょうなあ。フマキラー効果が現れて死んでいるようだ。
 いちど同じ箇所で、魯迅さんがやられたことを思い出し、検索してみたらありました! 三年前、つまり2012年8月21日の「学ある糞」に書いてありました。あのとき一応は全部の棚をチェックしたつもりだったが、見逃したのか、それともその後、新たに棲みついた虫たちか? あの時は虫の姿は見えず、ただ糞の跡が残されていただけと思ったが、今回はしっかりその姿を現した。一冊の漱石さんの本のところなどには4、50匹の紙魚が動いていた。実に気持ち悪い眺めである。
 前回は魯迅、今回は漱石さん。奴ら文豪が好きなんだろうか。今回は向学心に燃えた虫ども、なんて悠長なこと言ってられん。とんでもない奴らだ! 明日、明るくなったら、今度こそ全部の棚をチェックしなければなるまい。でもあの北側廊下だけ、なぜ虫が棲みついたのだろう?
 それにしても、今回は被害甚大だ。15、6冊はやられた。小梅太夫じゃないけど、ほんと「チッキショー」と言いたくもなる。あゝ気色悪ーっ! 今晩の夢に出ませんように!

※三年前のとき、小さな袋に入った防虫剤を本の後ろに投げ込んでいたはずだが、もしかすると漱石さんの棚は高さがすれすれなので、袋を入れる隙間がなかったのか。事実、近くに袋はなかった。あゝクヤジイーッ!
※後日談 結局、虫に喰われて廃棄処分にしたのは第1巻から第10巻、そして順序を間違えて並んでいた第34巻.の合計11冊だった。しかしこれらはばっぱさんが居間の書棚に並べていたリーダースダイジェスト社発行の豪華復刻版で読めるし、最終巻の第34巻補遺は、ありがたいことにアマゾンで1円で購入することが出来たので、虫害はなんとかカバーできた。
 でもこれからは時々、本たちを巡回してやらないといけない、と心を新たにした。そうでもしないと連日のように蔵書に装丁を施している意味がなくなる。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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