大切なことはすべて面倒くさい

毎月、講談社のPR誌『本』が送られてくる。たぶん昔、ここの「現代新書」から『ドン・キホーテの哲学―ウナムーノの思想と生涯』を出してもらった関係から送られてくるのだろう。たいていは目次をさらっと見ただけで屑籠に入れてしまう。それなら郵送を断ればいいようなものだが、たまーにこれはと思う記事が載っているので止められない。今月号はそんな記事として平田オリザの「対話劇を創る―双葉郡・広野町」があった。
 平田オリザという若者(私から見ればだが)については劇作家であり舞台演出家であること以外良くは知らない。「下り坂をそろそろと下る」というエッセイを連載中で、今回が十回目にあたる。これまでも何やら良いことを言っているようだな、と思いながらもしっかり読んだことはなった。しかし今回の記事は胸にストンと落ちた。
 小泉進次郎復興大臣政務官の音頭とりで「ふたばの教育復興応援団」が組織され、彼はその一員で足繁く広野町に通っているという。つまりこの四月に新設された「ふたば末来学園」のお手伝いの一環として、そこの生徒たちと一緒に対話劇を創るというワークショップを担当しているそうだ。
 胸にストンと落ちたのは、例えばこのような彼の考え方である。

「…そもそも、いわき市からも、福島市からも、すべての子どもたちをいまからでも避難させるべきだと言う人もいる。そうした善意の暴論の一つ一つが、福島に残った人々の心を少しずつ傷つけていく。
 私たちは、人類が誰も経験していない【低線量被曝の時代】を生きている。そこには絶対的な安心も安全もあり得ない。だから私たちは、どこかで線引きをしなければならない。
 私はもちろん、原発再稼動には絶対反対であるし、国内のすべての原発は、即刻、廃炉作業に入るべきだと思っている。しかし一方で、山本太郎氏に代表される【反原発原理主義】の方たちにも強い違和感を覚える…」

 平田氏がどんな思想の持ち主か、などとは関係なく、原発問題に対するこうした氏の基本的な考え方に賛成である。氏は「線引き」という言葉を使っているが、私の言葉で言えば「覚悟」であろう。こういうまともな考え方をしている人もいるんだ、と我が意を強くしたのは、実は最近、或る人とこうした問題に関する考え方にビミョウなずれがあることに気付き残念に思ったことがあるからだ。その人の善意、誠実さに疑問の余地はないけれど、被災地あるいは被災民を外から見る視線に違和感を覚えたのだ。つまり被災者への同情や心痛に偽りは無いが、しかし必死に生きている側からすれば、その同情や心痛は妙にこちらの元気を殺ぐのだ。平田氏は例の「美味しんぼ」騒動についても、それがどれだけ福島の人々の心を傷つけたか、東京に暮らす人が実感することは難しいと言っているが、あの漫画家自身も決して被災者を傷つけるつもりで描いているわけではないのだろうが、結果的にはむしろそうした描き方が被災者の心を傷つけていることに気付かない無神経さ。
 平田氏が山本太郎的な姿勢を「反原発原理主義」と評していることの真意は分からないが、私流に言えば、彼らは被災者の苦しみを土台に(?)、つまりいま現在も日々苦しみながら生活している被災者よりも、自分たちの主義を主張することに急な一派、ということだ。
 ことほど左様に原発問題は根が深いし複雑なのだ。いま流行の言葉で言えば「面倒くさい」のである。でもこの世の中、本当に大事なものはすべて面倒くさい。たとえば「寄り添う」という言葉だが、これが政治家の使う「粛々と」という言葉同様、内実を失った美辞麗句として手垢にまみれている被災者を哀れむべき対象とするのではなく、つまり言って悪いが「上から目線」で見るのではなく、よりよき末来に向かって労苦を共にする仲間としての視線、反原発を目指す同志としての目線、つまり同方向に眼差しを向ける友としての姿勢が求められているわけだ。
 こう書きながら、うまく伝わらないもどかしさを感じている。そう、むつかしい問題、でも見方によったら実に簡単なのだ。つまり理屈抜きに、これまでどおり、被災犠牲者としてではなく年来の友として、この世の矛盾やむつかしさ、そうではあってもこうして生きることの素晴らしさ、その喜びについて共に語り合うところからしか始まらないということ。そんなことを、認知症の妻に対する親戚や友人たち(であった)の憐れみに満ちた、しかし距離を置いた、ときには既に死んだ人であるかのような対応を見ながら学んできたことである。
 見てください、それでなくとも現政権の進もうとしている未来がどれだけキナ臭いものか、あの単細胞のカッコマンによってとんでもない方向に進んでいきそうな気配に本気で立ち向かわなければ…アワアワワ、最後は支離滅裂になりました。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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大切なことはすべて面倒くさい への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     楽しく、面白おかしく人生を送りたいから面倒なことは避けたいと思うところ、先生は大切なことはすべて面倒くさいと言われています。先生の75年の人生の中から紡ぎだされた真実の言葉だと私は感じます。日本社会全体が原発事故という不都合な(面倒な)事実からメディアを含めて避けているように私は最近強く感じています。東京オリンピックに水を差す気持ちはありませんが、オリンピックに浮かれているのではなく、ご家族が離散され、毎日の不安の中で生活を強いられている福島の人たちのことを決して忘れてはいけないと思います。東京に電力を供給するために福島の人たちにリスクを背負ってもらっていたことを。

     人間は実人生を歩んで行く中で、他者との繋がりの中から生かされている自分を自覚するものなんでしょう。その繋がりを維持し継続することは確かに面倒くさいことです。人間は自分にとって不都合なことは忘れ都合の良いことばかり追いかけてしまいがちです。しかし、面倒くさいことを直視し、心を込めて打ち込んだ時に自分自身の心の平安を感じ、他者の心の琴線に響くのかも知れません。

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