もう勘弁してくれーっ!

昨日から立て続けに不如意なこと不具合なことが起こり、実質一人暮らしの老人には怒鳴ったり愚痴ったりする相手がいないので、ストレスがたまる一方である。いやどれも大したことじゃないんです。
 どうしてもうまく作動しないスキャナーに見切りをつけ、同じ製品を中古で見つけて注文し、それが届いたのだが、これもうまく作動しない。いや電源を入れて最初の画像はうまく出るのだが、二回目以降はどうしたことか真っ黒になってしまう。
 最初がうまくいったのに、二回目からどうしてうまくいかないのか、それが余計に気になって、夕食の準備もしなければならないのに、やめる踏ん切りがつかない。もともとパソコンや周辺機器についての知識もなく、いまさら勉強する気もないままここまできてしまったが、もはや後戻りはできない。なんとか今あるものを騙しだまし使っていくしかないだろう。
 実はそれと平行して、プリンターにも不具合が生じていたのだが、この方はなんとか粘り勝ちした。つまりプリンターの中の小さなゴムのパッキングが外れて、それがインクホルダーの動きを止めていたことがようやく分かったのだ。老眼なのにそんな小さなものをよくぞ見つけたり、だ。
 要するに歳を取るということは、小さな不都合にいちいち蹴躓(けつまず)いて、その先になかなか進めないということだ。フットワークが悪くなること。身体が言うことを聞かないと同時に、精神の方もうまく方向転換ができない。
 こうして次の日、つまり今日になったが、トイレに通うたびに北側廊下の虫害被害現場を通るわけで、否応無く先日の惨事を思い出す。で、今日もその廊下の西手の突き当たり、つまり二階への階段の踊り場(なんて代物じゃないが)の天井近くに据え付けた本棚に目が行った。そしてはたと思い出したのだ。つまり先日は北側廊下が三年前八月の虫害被害現場と書いたが、魯迅さんが被害に遭ったのは(「虫害に遭った魯迅」の項に記述あり)その二ヵ月後にこの踊り場だった、と。
 そこには平凡社の「中国古典大系」がずらりと天井近くまで並んでいるが、何の気なしに三巻合本にした『史記』を抜き出したとき、隣りの巻までくっついてくるではないか! これはしたり! 虫が両方の本の表紙をまるで縫い合わせたように喰いちぎりくっつけていたのだ。傷跡から判断すると、これは最近のではなくあの三年前の惨事と同時期のもので、どうやらあの時見過ごしてしまったらしい。
 もう勘弁してよ~。調べてみると、廃棄処分にしなければならないのは四冊。司馬遷の『史記』の中を除いて上下二巻、それに呉承恩の『西遊記』上下二巻である。『史記』は武田泰淳さんのこともあっていつかきちんと読みたいと思っていた古典、そして『西遊記』は岩波少年文庫の児童向けのものはあるが、これもいつかまともに読みたいと思っていた本である。それにおぼろげな記憶では、腕白小僧時代、自分を孫悟空になぞらえたこともあってなおさら情が移っている古典だ。
 漱石さんの場合は、一冊だけ補充すればよかったが、今回はそうはいかない。アマゾンで調べてみると、一応あるにはあったが、四冊全部を補充するとなると送料を入れて計4,000円を少し超える。さーてどうしよう。買っても死ぬまでちゃんと読むことができるかどうか、それさえまったく自信が無い。たとえ私が読まなくとも、この家を継いでくれる誰かが読んでくれればいいのだが、今のところだれも継ぎ手はいない。
 でもこうなったら意地でもこの家を佐々木孝またの名を富士貞房の記念館のようにしてから死んでやれ、と思っている。いや貞房氏だけでなくその連れ合いの美子、そしてこの家の創建者ばっぱさんの記念館だ。訪れる人がいるかって? そりゃいないべさ、でも子どもたちや孫たち、そしてその子どもたち(その頃までこの家持つかな)がいつかこの家を訪れ、私たち三人への忘恩に後悔の涙を流す日が必ず来ると祈ってるわけ。文句あっか?
 ところで今日も不如意なことが二つ続けて起こった。一つは例の漱石全集のこと。アマゾンでは第33・34巻が200円で売りに出されていたので、欲しいのは34巻だけなのだが仕方がない、そのまま注文し、それが午後の便で届いたのだ。ところが袋の中には第33巻しか入っていない。精神状態がハイになっていた時だから、即座に書店に電話を入れた。すると出先からそこの中年男性の店員さんが電話に出、33巻か34巻のどちらかを選んでもらうつもりだったのだがアマゾンさんの方でカタログを作っているので、その点を確かめ、帰店しだい夜にでもメールをします、と言う。こちらからは強い口調で善処方を頼んで電話を切ったが、どうも後味がよろしくない。ところが、である、それから小一時間ほどあと、先ほどの男の人から丁重な詫びの言葉と共に、当店のミスなのでさっそく第34巻を送りますとのこと。それでは当方から第33巻を返送します、と言うと、いや郵送代の方が高くつくので(それはそうだ)そちらさんで適当に処分してくださいとのありがたいお言葉。いやーいましたよ、本を愛する良心的な商人(あきんど)さんが。(ちなみにこの古書店さん、神楽坂ブックスといいます。どうぞ皆様以後お見知りおきのほどを)
 もう一つ、その少し前、ポストを覗くと「ゆうパック」を届けに来ましたがご不在でしたので再配達に関してご連絡ください、との紙片が入っていた。待ってよー、わたしゃずーっと家におりましたですよ。その時も相変わらず昂揚していたので、そく郵便局に電話、それこそドスの聞いた声で、直ぐにでも届けろやい、の喧嘩口調。先方の女性局員が恐れ慄いているのも構わず電話を叩き切った。
 これもそれから一時間もしないうちに、感じのいい好青年が玄関先に来た。アマゾンから届いた美子の吸引機を持って(このごろ食事時に喉を詰まらせるので、ケアマネージャーさんとホウカンさんの勧めで購入したもの)。こうなると私も強面(こわもて)をあっさり返上し、笠智衆のような好々爺に急遽ヘンシーン。「ご苦労さん、暑いところ二度まで来てくれてありがとさん」と愛想よく言う。
 老人学レッスン第二。めったなことで癇癪を起こさぬこと。我が敬愛する笠智衆さんに見習って、「よかった、よかった、これでよかった」を連発しながら生きていこうっと。変わり身の早い貞房さんでした、♬♫。
 あゝ結論を報告するのを忘れてました、今日は良いことが二つも続いたので、『史記』と『西遊記』これから注文します。

※ 美子の夕食のあと、疑心暗鬼でスキャナーを操作してみた。するとどうだろう、見事回復してるではないか! しつこく4、5回やってみた。間違いない、回復している。でもどうして急に治ったのか。まるで狐につままれたよう。もしかして機械もこちらの精神状態を微妙に察知するのかも。つまりこちらの荒れた心を見くびって叛乱を起こしてたのかも。かもかも。
※※ 今朝、念の為,スキャナーを操作。また駄目になっていた。こうなれば持久戦だ、めげずに、しつこく攻めていこう、向こうが根負けするまで。(5月27日記)
※※※ 午後スキャナーの製造元キャノンのサービスセンターに電話してみた。いろいろ症状を言っているうち、新しく手に入れたスキャナーにもそれまでのケーブルを使いましたか?との質問。えっ、はいそのまま使いました。それじゃケーブルを替えてみてください。……五分後、喜びの経過報告。原因は古いケーブルの不具合だった。向こうの女性の「あゝ良かったですね」の声が、まあ天使のように甘美に聞こえましたとさ。めでたしめでたし。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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