「私文学」とは

旧棟一階の応接室(と言えるかどうか)の壁二面の天井まで届く書棚に雑然と並べられた本を少し整理しなければ、と思いながらまだ果たせないでいる。整理すると言っても、具体的には当面読みそうもないものを二階の書棚に運び、代わりにスペイン思想関係の本を運び下ろすことだが、作業はすぐ中断してしまう。手に取った本の中にまだ読んでいないものがずいぶんとあり、その度にぱらぱらとページをめくってしまうからだ。先日も『加藤周一著作集』第六巻の「私文学論」を飛ばし読みしていて、なかなか面白い内容にいろいろ考えさせられた。
 乱暴に要約してみれば、近代日本文学の主流だったいわゆる「私小説」が時代の流れに取り残された感があるのは、作者や読者が文学と思っていたものが実はそうではなかったこと、その証拠に『徒然草』や『枕草子』の例を出すまでもなく、「私」の視点から書かれた作品は、たとえ小説ではなくともその優れた文学性ゆえに時代を超えて生き残っているではないか。
 と、加藤周一がびっくりして墓の中から生き返るような変な要約をしたが、中(あた)らずと雖も遠からずであろう。つまりは「私小説」ならぬ「私文学」の提唱である。その一例として、執筆当時(1955年)ベストセラーだった渡辺一夫の『うらなり抄』(光文社、カッパ・ブックス)を挙げている。
 渡辺一夫さん(「さん」付けするほど好きな学者なので)のその本を、さっそくアマゾンから取り寄せた。もちろん古色蒼然たる古書だが、例のごとく古いレンガ色のシャツの切れ端で装丁しなおした。荒正人さん(この「さん」は南相馬・鹿島区出身だから)の推薦で「西日本新聞」に百回連載した短文集成だが、奥付をみて仰天した。出版された年に既に28版になっている。つまり五月二十五日から九月一日までの実質三ヶ月ちょっとで二十八版。どこまで伸びたのか想像もつかない凄まじさだ。昭和三〇年当時、人々は活字に飢えていた、としか形容できない。いや内容もそれだけアピールしたということだが、飛ばし読みした限りでは加藤周一が褒めるほど、少なくとも渡辺先生(今度は「先生」になりました)の他の作品ほどではありません。
 まだ全部読み終えていないので断定は避けますが、思ったより凄くないです。傲慢の誹りを免れないが、貞房のこのモノディアロゴスのいくつか(全部ではありませんぞ)の方が優に文学性に富んでいると思います。(冷や汗タラリ)
 それはともかく、加藤周一の「私文学」論、大賛成である。先だっても「エゴラトリーア(自画自賛)」について書いたときにも言ったが、私がウナムーノなど優れたスペインの作家に惹かれてきたのも、そしてなんとかその顰(ひそみ)に倣いたいと思ってきたのも、その「私文学」性ゆえであるどんなに高邁な思想を語ろうとも、どんなに文学性を主張しようとも、その文章の中に「私」不在のものが多すぎる、と思うのは私の驕りだろうか、それとも錯覚だろうか。
 話はとつぜん変わるが、あともう少しで東京から、かつての教え子が二人(そのうちの一人にはもうお孫さんがいる)日帰りで訪ねてくる。生涯周囲一キロ世界の住人からすれば、こうして遠方からの客人にはただただ感謝あるのみである。しかしいつものように一方的に話しまくることだけは慎まなければとの自戒の気持ちを新たに。ではこれから駅前のバス停まで迎えに行ってきます。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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「私文学」とは への3件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     文章を拝読して、先生が「個から普遍へ」という表題でモノディアロゴスで言われたこと、それに私がコメントしたことを思い出しました。先生が「私」と言われていることを考えていましたが、私はそれを人間の生きる意味への意志と置き換えてみました。先生はこう言われています。

     「【私】の視点から書かれた作品は、たとえ小説ではなくともその優れた文学性ゆえに時代を超えて生き残っている」

     三年余り拝読してきた一読者として、モノディアロゴスは先生がご自身の人生の中で、その生き方を通じて人間の真実を啓示した「私文学」なのではないかと私は感じています。一歩踏み込んで言えば、真実は人間の人格を通じて人へと伝えられるものなのかも知れません。そのことがまさに「個から普遍へ」なのでしょう。

  2. Marco Antonio Cortés Sánchez のコメント:

    Maestro: Espero no equivocarme porque no entiendo ni un sólo diagrama japonés. Es muy lamentable mi falta de educación porque no conozco su idioma y usted si conoce el mío. Me disculpo profundamente por ello. También deseo no equivocarme de persona. Supe del hispanista y profesor Sasaki, de Minamisona, por medio de un noticiero español que abordaba el tema del desastre de Fukushima, un año después. Me he puesto a buscar por internet y es así como he llegado a ésta su página. Maestro, por ser usted un hispanista que ama su trabajo yo le admiro mucho. Yo soy mexicano y vivo en la Cd. de México. Soy profesor y tengo varios libros (unos de enseñanza del español y otros sobre literatura española) que quizá le puedan servir e interesar. No se cómo hacérselos llegar, pero si usted me da permiso y sus datos, me comprometo a hacerle llegar estos libros, algunos de los cuáles son muy buenos y sin nigún costo para usted. Me despido deseando que se encuentre bien, que tenga éxito en todo y que conserve su valiosa salud. Le admiro mucho por ser un hispanista en Japón. Eso no podría haberlo imaginado. Gracias por existir donde quiera que se encuentre. Le admiro y le respeto mucho. Me inclino ante usted y le agradezco infinitamente su valioso trabajo y su existencia. Gracias nuevamente.
    Cordialmente: Marco Antonio Cortés Sánchez. Cd. de México, D.F. Mayo 31, 2015.
    macstecne@hotmail.es

    PD
    Si acaso me hubiera equivocado de persona, con humildad le pido que me disculpe.

  3. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    Hola profesor Marco Antonio Cortés Sánchez:
    ¡Qué sorpresa es recibir un saludo cordial desde México! Especialmente a mí que vivo solo con mi mujer enferma es una gran alegría esta noticia desde el país lejano. Primeramente tengo que pedir perdón de escribir así castellano muy torpe. Sí, era profesor de la historia del pensamiento español,pero no estoy acostumbrado a oir y hablar ni escribir el castellano. Sólo leo los libros escritos en español.,
     De todos modos me alegro mucho así de poder tener amigo mejicano. Ud. dijo que sabía de mí por un noticiero. ¿Es el diario La Folha de Sao Paulo? Porque hace dos meses acepté una entrevista en papel de este diario,pero después no he recibido ningun resultado.
     Es el primer contacto y no debo prolongar mi saludo demasiado largo. En cuanto a la manera de nuestra correspondencia,Ud.puede contestarme aquí en mi blog o también puede escribirme personalmente usando E-Mail. A mi me parece mejor cambiar nuestras ideas y opiniones aquí,porque casi todos los visitantes a mi blog no pueden entender el castellano, y quizás alguien que pueda entender bien el castellano,mejicanos o españoles, entren en nuestro círculo de amistad. Además aquí no ocurre el cambio a las letras extrañas.
      Hábleme más de sus libros y de sus estudios especializados.
      Escribiré mi dirección en mi mail privado.
      Hasta pronto. Un abrazo. Su nuevo amigo japonés Takashi Sasaki

    P.D Puede ver unos videos sobre mi libro y mi familia arriba en “取材映像“(Por favor adivine las letras chinas por la forma). Y también desde la entrada de la izquierda de arriba puede entrar en mi Homepage y ver el album de fotos antiguas y recientes.

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