溜め息の効用

このごろ我知らずのうちに深い溜め息をついて、自分でもびっくりすることがある。起きている時だけでなく半覚半睡(これ私の造語です、正確には半醒半睡)の夢の中で自分の溜め息を聞くこともある。そして溜め息に関して今まで気がつかなかったことを一つ発見した。それは溜め息で吐いた息は容量が一定していて、これを繰り返すにはもう一度深く息を吸い込まなければならないということ。つまり深い溜め息が何度も口を突いて出てくるのは、それだけ悩みも深く大きいということだ。
 もちろん一人暮らしの身(と同じ)でつく溜め息は、他人への嫌がらせでもなければ、独り芝居でもなく、心底心のそこから出てくる叫びのようなものだが、しかし体内の邪気を払うにも似て、それなりの効用があるようだ。つまり己れの精神状態を平静に保つための一種の呼吸法みたいなもので馬鹿にはできない(利口にだけできるという意味ではありません)。

「何故働かないって、そりゃ僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いのだ。もっと、大袈裟に言うと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ。第一、日本程借金を拵(こしら)えて貧乏震いをしている国はありゃしない。此借金が君、何時になったら返せると思うか。そりゃ外債位は返せるだろう。けれども、それ計(ばか)りが借金じゃありゃしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでいて、一等国を以って任じている。そうして、無理にも一等国の仲間入りをしようとする。だから、あらゆる方面に向って、奥行きを削って、一等国丈の間口を張っちまった。なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。」

 だれの弁かもうお分かりでしょうか。そう、漱石『それから』の代助のボヤキである。もちろん代助がすべて作者の考えを代弁しているわけではない。高等遊民・代助はあくまで漱石が創り上げた作中人物にすぎない。しかし代助の背後に漱石の苦い顔が見え、漱石の深い溜め息が聞こえてくる。
 先日、安倍首相は祖父・岸信介の墓参りをしたようだが、まあどこまで国民(正確には戦争法案に反対してきた一部の国民だろうが)の感情を逆撫でするつもりだろう。もちろん私人としてのおじいちゃんの墓参りを責めるつもりは毛頭無い(第二次世界大戦中、翼賛選挙に際して東條英機らの軍閥主義を鋭く批判した父方の祖父・安倍寛の墓には詣でたのかな?)。でも現時点での報道陣引き連れての墓参りは靖国神社公式参拝ほどの意味を持っていることは誰の目にも明らかだ。でもこれによって、従来から言ってきたように、彼が明治維新以来の長州藩イデオロギー、すなわち「富国強兵」路線の正統な嫡子であることがまるでポンチ絵のように明らかに見えてくる
 昨夜、たまたまアマゾンの広告を見ていたら気になる本が見つかって、期待はずれになるかも知れないがともかく注文してみた。苫米地英人の『明治維新という名の洗脳 150年の呪縛はどう始まったのか?』(ビジネス社刊)である。そのキャッチコピーはこうなっている。「明治維新が明るく、素晴らしいものであった、という印象操作。これこそが、支配階級の仕掛けたそもそもの洗脳であった。たとえば、維新の時に内戦が始まっていたら日本は欧米に乗っ取られていた、というまことしやかな嘘。実は、外国勢力は日本の植民地化など狙っていなかったのだ!  では何を狙っていたのか? 現代につながる歴史の真実を抉り出すドクター苫米地の脱洗脳! 」
 ちょっとあざとい匂いがしないでもないが、苫米地という珍しい名前から、著者が芦田内閣の官房長官でサンフランシスコ対日講和会議全権委員だった義三の孫であることが分かった。信介の孫と義三の孫、たぶんまるっきり正反対の位置に立っているのであろうが、漱石といい、信介といい、あるいは義三といい、どちらにしても現代日本の骨格は明治維新以来たかだかここ150年に満たない期間に出来上がったもの、その病巣を抉り出し、新たな骨格作りを目指してもいいスパンであり頃合である。まだ間に合う(だろう)。
 戦争法案強行採決による支持率低下を挽回しようと、安倍政権は必死だ。新聞報道によれば、10月上旬に予定している内閣改造では「1億総活躍社会担当相」を新設するそうだ。つまりアベノミクスの第2ステージとして「誰もが家庭で職場で地域で、もっと活躍できる『1億総活躍社会』をつくる」という考えだ。実体経済が伴わない掛け声と惹句だけのアベノミクスの連発、一等国という虚栄の幻を追って国民を引き摺り回すのはもうやめろ! 弱者や老人たちの悲鳴が聞こえないのか!
 最後に代助のボヤキの続きを聞いてもらおう。

「牛と競争する蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。其影響はみんな我々個人の上に反射しているから見給え。悉く切り詰めた教育で、そうして目の廻る程こき使われるから、揃って神経衰弱になっちまう。話をして見給え大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考えてやしない。考えられない程疲労しているんだから仕方がない。精神の困憊と、身体の衰弱とは不幸にして伴っている。のみならず、道徳の敗退も一所に来ている。日本国中何所を見渡したって、輝いてる断面は一寸四方も無いじゃないか。悉く暗黒だ。…」

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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溜め息の効用 への4件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     先生が「内部へ進め」と言われたことを自分なりに、ここ一年間考え、『スペイン文化入門』の中でこういう文章を見つけました。

     「彼(ウナムーノ)が本当に言いたかったことは、むしろ逆のこと、すなわち歴史的偉業を追い求めるドン・キホーテは死すべきであるが、しかし永遠の偉業を企てる永遠の遍歴の騎士、進歩と物質的繁栄よりも、むしろ人格の不滅を希求する狂気の騎士ドン・キホーテこそは、生き残らねばならぬことだった。」

     含羞なき世襲議員が跋扈している日本社会の中で、一部の富裕層のためのアベノミクスという実体を伴わない経済政策で、先生が言われるとおりの現状だと私も思います。

     「弱者や老人たちの悲鳴が聞こえないのか!」

     久しぶりに「フクシマの唄」を鑑賞しながら、人間社会も自然界と同じようにお互いが助け合って共生するから全てが調和しながら造化し永続できるんでしょう。人間性は決して物質的なものでないことを改めて感じました。人間を養うということは人間の情操、情懐を養っていくこと、先生が言われる「内部へ進め」とは人格としての自己を発揮すること。鑑賞しながら歌詞の「程のよさ」という言葉を聞いていて、ふと、私はそう思いました。

  2. 守口 毅 のコメント:

    阿部修義 様
    佐々木孝氏を兄とも慕い、「モノディアロゴス」を読み続けている者です。
    今回の”溜め息の効用”も、実に納得させられました。
    阿部様のコメントも毎回、兄いの思想の奥底に達する内容で、教えられることが多く、注目いたしております。
    実は私も「フクシマの唄」をこよなく愛しておりまして、時々聴いては深く慰められると同時に、日本の歌の良さを身体いっぱいに感じております。今日はただ一点、阿部さんがコメントの最後に「程のよさ」と書いておられることについて、意味は同じなのでしょうが、馬に乗る姿のことですから「歩度のよさ」ということだと感じました。
    私も時々馬に乗るのですが、インストラクターから「歩度を伸ばして」などよく指摘されますので、お伝えしてみました。失礼しました。
    今後ともよろしくお願いいたします。

  3. 阿部修義 のコメント:

     ご指摘ありがとうございます。守口さんの解釈が正しいと思います。私が感じたものは、「ほどのよさ」には調和という意味が根底にあるのではないか、万物は何一つ単体では生存できるものはない。ですから「歩度のよさ」には調和という意味で「程のよさ」も含まれているように私は思います。

     

  4. 守口 毅 のコメント:

    阿部さん
    120%、私もそう思います。同感です。
    知足ということが71にもなってなかなか身につかない私ですが、いま中村桂子さんの「生命誌とは何か」を読んでおりまして、貴方の<万物は何一つ単体では生存できるものはない>ことをしみじみと学んでおります。

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