或る公開質問状

【息子後記】
たびたび発せられたこうした父の異議は浮世離れしたものだったのだろうか?
決してそうは思わない。むしろ今の世、つまり今の日本人は、あまりにも既成の社会的枠組みに飼いならされ、個として自存し、物事を根源から問うこと(特に不正に対し)を放棄しているのではないかと嘆じるのみである。いやむしろ、身の安定が図れ、私腹が満たされるのであれば積極的に、嬉々としてそのような悪しき構造に同化しようというのが、世の現実であるように思われてならない。それなりの役割、ポストが与えられると、あとは忍之一字で組織にひたすら忠誠を就くし、奴隷に成り下がるのだろうか。不正、腐敗は実にこうしたところを土壌にしているように思われる。飛躍したが、結論は要するに、今や皆、程度を問わず魂が麻痺させられているのではないかということである。まぁ、ともかくこれだけ足しげく通ったにもかかわらず、田舎の郵便局にとって父は単に鬱陶しい存在に過ぎなかったのだろう。恥を知れ。(2021年2月23日)

前略

 先日は課長さんがわざわざ拙宅に来られて丁重な詫びを入れられたことでもあるし、重ねてこのようなお手紙を差し上げるまでもないかも知れません。しかし考えてみればこれまでも似たようなことが再三繰り返され、あるときは三つの郵便局の局長さん連名の詫び状をもらったこともあります。しかしながら今回のことではしなくも露呈したように、大事なことが一向に改善されていないことが判明しましたので、敢えて公開質問状の形で愚見を述べさせていただくことにしました。
 一番基本的なことから申し上げます。
 今回、重量も料金も適正な郵便物(定型普通便で三十四グラムでしたから追加の十円切手を貼って)を「重量オーバー」の付箋をつけて「突き返され」たことが発端です。「突き返す」などときつい表現を使いましたが、しかし私ども利用者からすればまさに突き返され、それによって郵送が大幅に遅れました。それも子供でも判断できるごく初歩的な間違いから起こったことでした。
 こちらとしては仕分けから配達まですべて熟練したプロの仕事であってほしいわけです。貴局の内部構成や内部事情は分かりませんが、でも仕分け係りの人は付箋を付ける僅か数秒かの間に再度確認したのでしょうか。要は日本郵便は外部に対するチェック機能には熱心ですが、肝心な内部チェックがまったく機能していないということでしょう。付箋をつけられた郵便物を、誰か第三者が再度敏速にチェックすれば、利用者に迷惑が及ぶことなく内部的に事前にミスは回避できたはずです。
 また仕分けする人だけでなく、配達する人も単に機械的に配達するのではなく、例えば今回のような場合、配達先のポストに入れる前の数秒間、重量オーバーの付箋がついているがそれに間違いないか、手に持っただけで判断できるはずです。そうすれば内部チェックが二回行われたことになり今回のような間違いは未然に防げたのではないですか。
 外部の私が言うのもおこがましいですが、あなた方の命は、税関の役人のように持ち込まれた郵便物を検査したり不法なものを摘発することではなく、郵便物を間違いなく宛先に届けることでしょう。私の記憶に間違いがなければ、昔は料金不足の郵便物でも付箋をつけてともかく宛先に届けられ、受取人にその不足分(確か手数料込みで二倍にして)を要求したはずですが、あの制度は廃止されたのでしょうか。もちろんその際受け取りを拒否することも可能ですから、悪徳業者からの郵便物などの害は防げるはずです。
 そうした慣習が廃止されたのは、簡単に言えば面倒はできるだけ避けたいということなんでしょう。でも利用者にとってはえらい迷惑です。今回の郵便物の宛先は、ある高名な写真家で、その内容は二日後、福島県庁で写真展を記念して行われる美術館長とのトークショウへの招待に対する返事でした。つまり私は行けないが友人が代わりに行ってくれそうなのでどうぞ宜しくとの返事でしたが、それが結局は東京からの出発前には間にあわなかったようで、相手方からの返事はまだ届きません。
 それから確か前回のときは、レターパックの厚さが規格内なのに返送された「事件」でしたが、あの時も申し上げましたが、利用者が差し出すレターパックをこれ見よがしに目の前で測るのではなく、窓口に用意されたその定規状のもので、利用者自身に測らせて欲しいのです。こうすれば十人中十人、誤魔化すことなく気持ちよく郵便物を送ることができます。繰り返しになりますが、あなた方は税関役人ではなく顧客を大切に扱う商人であることを忘れないでください。あの時以来、返送されるのが怖くて、明らかに厚さ3センチ以内であってもレターパックは窓口に出すようになってしまいました。平たく言えば仕分けの係員を信用できなくなったからです。
 最後に私だけでなく多くの人が感じていることを書きます。日本郵便は民営化されたようですが、しかし先ほどの税関との比較のように、未だに本当のサービス精神が培われていません。もしも現在、他の運送会社への数々の規制が撤廃され完全に自由化されれば、残念ながら日本郵便は短期間のうちに商売できなくなるはずです。そうした危機感を持って、ぜひ企業努力をしてください。そうでもしなければ、僻地などへの郵便事業限定の小規模経営の準国営会社に縮小されなければならないでしょう。
 最後の最後、すこし奮起していただくための話をします。むかし『赤い自転車』という郵便局員や全逓組合員の青春を描いた名画がありました。難しく辛い仕事ですが、みな誇りを持って郵便事業に邁進している姿は感動的でした。どうか皆さんも、人々の心や喜びを運ぶ尊い仕事に従事していることに自信と誇りをもって、プロとして頑張ってください。
 前回のように一利用者の提言など聞く耳を持たない組織であることからぜひ一歩抜け出してください。大きな組織で難しいところが多々あることは容易に推測できますが、でも他の郵便局はどうあれ、この南相馬原町郵便局だけでも旧弊から抜け出してください。
 他の人より仕事の関係上、貴局には今後ともお世話になりますが、どうぞよろしくお付き合いください。なお「公開質問状」とはしましたが、この書簡が尊い郵便事業への局員全員の意識向上に資する機会になりますれば、特にお返事には及びません。宜しくご判断ください。

佐々木 孝拝

 二月二十一日

原町郵便局局長ならびに局員の皆様

追伸
 今回、もう一つ「事故」がありました。東京の友人宛に送った手紙が「宛先人不明」の付箋をつけて戻ってきたのですが、実は宛先住所にはその息子さんが住んでいました。確かに住所変更届けは一年間のみ有功のようですが、しかし同姓のお家の人に一言訊ねるくらいの手間を惜しまなければ、これも無事相手方に届いたはずです。相手方に後から問い合わせると、「郵便の転送を頼んでしまったので、転送期間が終わると宛先不明になるようです。ただし、ときどき届くものもあるのが謎です。」とのお返事がありました。配達人のサービス精神もしくは職業意識のバラツキのせいでしょう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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