82歳のポートレート

相変わらず豆本歌詞集作りが続いている。自分では根気強い方とは思わないが、止める理由が見つからなくて半ば意地になって作っている。実を言うと初めはほんの遊びのつもりだったが、この豆本形式でメッセージを伝えることの効果性、つまりネット上の電字とか紙っぺらに印刷されたものだったら無視されたり捨てられるものでも、まるでお守り然とした可愛い豆本だと簡単には捨てられない、そのうち何か気になりだして時々ぱらぱらとめくったりして、そうだ平和菌をばらまかなきゃ、などと思ってもらったら、シメタもの。
 「千」という数字はT新聞のS記者が言った「千羽鶴」から、そしてもう一つは弁慶の顰みに倣ってのものだ(彼の場合、義経に出会って千本目はかなわなかったそうだが)。現在、すでに拡散したもの280冊、手元に277冊、累計557冊になった。千までまだ遠い道のりだがなんとかたどり着けると思う。
 バックミュージックも、先日スペイン歌曲の柳貞子さんから頂いた『82歳のポートレート』(フォンテック)に変わった。私より年上だとは承知していたが、このCDは二年前のもの。その声の若さに驚いた。ここにはスペイン歌曲以外にも、イタリアの作曲家サルバトーレ・カルディッロがあのエンリコ・カルーソーのために作曲し、以後ドミンゴ、カレーラス、パバロッティなどの有名テノール歌手らの重要なレパートリーとなっているナポリ歌曲「カタリ・カタリ」や、アマリア・ロドリゲスが歌って世界的にヒットしたポルトガルのファドの名曲「暗いはしけ」などが収録されていて、スペインを含む南欧全体の情緒豊かな世界が柳さん独特の華麗かつ奥深い歌声で堪能できる。
 たとえば「暗いはしけ」だが、初めて聞いたとき男女二人のドゥエットかと思った。あまりにも太い声だったからだ。しかしよく聞くと柳さん一人で歌っていて、ただその声が、何という発声法なんだろう、つまり裏声に近い声で、まさに悲しい情念の世界を歌うファドにふさわしい歌声になっている。
 他には、あの名画『禁じられた遊び』でギターの音色の美しさで私たちの度肝を抜いたスペイン古謡「ロマンセ」、そしてアラブとスペインの壮大な歴史絵巻を音で描いたメキシコのララ作曲の「グラナダ」、そして私がスペイン語科の学生時代に初めてスペイン語で歌った懐かしい「すみれの花売り娘」などもあって存分に楽しめる。
 もしも美子が認知症でなかったら、このCDをどんなに喜んだことか。彼女は柳さんの大ファンで、夫婦して町田のお宅に招待され、広いお庭の白いテーブルでお茶をご馳走になったり、リサイタルでは舞台下で花束を捧げた時の写真が残っている。そのうち許しをいただいて、ホームページのアルバムに掲載させていただこうかなと思っている。同封のお手紙に、「そんなわけで、まだ演奏活動はしていますけど、正直、この年齢になると疲れます。ここで二、三年休んで、体を作って、気力、体力、新曲をと考えているところです」とある。凄い!私は七歳若いのに、完全に負けている。見習わなければ!
 いやいや、一番大事なことを忘れていました。このCDの圧巻は、何といってもあの「鳥の歌」なんです。柳さんはこう書かれている。


「この曲に出会ってからはもう41年位になるだろうか。スペインから帰ってきてから子育てのために演奏活動を中断していた時だった。当時亡命中のチェロの巨匠カザルスが、国連の演奏会で弾いていた映像をたまたまテレビで見て、ショックを受けた。何と美しく、なんと深々と魂に響く演奏、(中略)これぞ平和への祈りの歌の様に思い、溢れそうになる涙を堪え(中略)、何年か後にカムバックして初めてのクリスマスコンサートで本邦初演した」。

 そう、この「鳥の歌」こそ最高の平和の歌、だから私はこの歌を聴きながら今日もせっせと豆本作り。あゝ、もしも柳さんが演奏会でなくとも、いつか私的なお茶の席ででも、菅さんが作曲してくれた「平和菌の歌」を口ずさんでくださったら! などと妄想しながら……
 最後に、柳さんのお手紙の中にこんな嬉しい言葉がありました。


「きれいな小冊子も有難うございました。ケセランパサランという言葉は知っておりましたが、スペインから出たとは知りませんでした。大変面白くよませていただきました(ハンドバックの中に入れました)」。

もちろん嬉しい言葉は最後のカッコの中にあります、♪♫。

※CD以外YouTubeでも柳さんの歌が聞けますので、どうぞお聴きください。
※※ 言い忘れましたが、このCDには日本の歌が二曲、「喝采」と「夜間飛行」が入っています。びっくりしました。そして柳さんの若さの秘密がここにあるように思われました。「喝采」について、なぜ魅かれるのかわからないと書いてますが、私には何となくわかります。特に最終フレーズの「それでもわたしは 今日も恋の歌 うたってる」がポイントでしょう、歌うことが宿命となった歌姫の喜び、そして悲しみを見事に表現しています。
 ちあきなおみは好きな歌手でしたが、いまどうしてるのか気になって調べたら、愛するご主人を亡くされたあともう20数年間おもて舞台から消えているそうです。柳さんの歌を聴いて、元気にカムバックしてほしいです。でもこのままで通すのも、彼女らしくて素敵な生き方かもしれません、ちょうど原節子がそうであったように。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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82歳のポートレート への1件のコメント

  1. 立野正裕 のコメント:

    カザルスの『鳥の歌』は素晴らしいですね。ウェッバー編『鳥の歌』も愛読しています。
    『喝采』は心にしみる歌で、ながいあいだ繰り返し聴いてきましたが、「『それでもわたしは 今日も恋の歌 うたってる』がポイントでしょう、歌うことが宿命となった歌姫の喜び、そして悲しみを見事に表現しています。」と解釈されているのをうかがって、ああ、そうだったのかと遅ればせに納得した次第です。

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