寝ようと思った矢先、今回のオバマ広島訪問についての、二つの全く対蹠的な論評が目に入り、どうしても紹介したくなった。全文引用という異例の形をとるが、緊急のこととして寛恕願いたい。
ほとんどの日本人が、というより報道機関が、今回のオバマ大統領広島訪問にただただ感動し、その名演説にころりと参ったようだ。遠来の客を温かく迎えるという日本人の美質発揮というところだが、またその美質は日本人の根本的な欠点にもなりうる。ともかく弱いんだなこういうムードに。自ら手掛けた今回の「歴史的偉業」に今頃安倍首相は大満足していることだろう。このアベノシアターを海外の著名日本人も絶賛している。今晩のネット版朝日新聞にはローマ帝国研究で名高い塩野七生がこんなことまで言っている。
★オバマ氏に謝罪求めぬ日本、塩野七生さんは「大変良い」
聞き手 編集委員・刀祢館正明
2016年5月25日06時49分
あの人は今、どう受け止めているだろう。オバマ米大統領の広島訪問が近づくなか、作家の塩野七生さんの考えを聞きたくなった。ローマの自宅に電話したずねると、「日本が謝罪を求めないのは大変に良い」という答えが返ってきた。塩野さんが思う、米大統領の広島訪問の迎え方、とは。
――オバマ大統領が被爆地・広島を訪問することを知ったとき、まず、どう感じましたか。
「知ったのは、ローマの自宅でテレビを見ていた時です。画面の下を流れるテロップでのニュースだったけれど、それを目にしたとたんに、久方ぶりに日本外交にとってのうれしいニュースだと思いました」
「特に、日本側が『謝罪を求めない』といっているのが、大変に良い」
――どうしてですか。
「謝罪を求めず、無言で静かに迎える方が、謝罪を声高に求めるよりも、断じて品位の高さを強く印象づけることになるのです」
「『米国大統領の広島訪問』だけなら、野球でいえばヒットにすぎません。そこで『謝罪を求めない』とした一事にこそ、ヒットを我が日本の得点に結びつける鍵があります。しかも、それは日本政府、マスコミ、日本人全体、そして誰よりも、広島の市民全員にかかっているんですよ」
「『求めない』と決めたのは安倍晋三首相でしょうが、リーダーの必要条件には、部下の進言も良しと思えばいれるという能力がある。誰かが進言したのだと思います。その誰かに、次に帰国した時に会ってみたいとさえ思う。だって、『逆転の発想』などという悪賢い人にしかできない考え方をする人間が日本にもいた、というだけでもうれしいではないですか」
――悪賢い、とは。
「歴史を一望すれば、善意のみで突っ走った人よりも、悪賢く立ちまわった人物のほうが、結局は人間世界にとって良い結果をもたらしたという例は枚挙にいとまがありません」
※ 残り:2732文字/全文:3498文字とあるので、この先何を言っているのか分からないが、まあこれだけでも十分だ。
このばあさん、権謀術数の渦巻くローマ帝国研究の挙句の果て、完全にマキャベッリ流の政治力学に骨がらみになったらしい。もう一人の、とろんとした目が魅力的な(と自ら思っているらしい)右翼の論客・櫻井よしことどっこいどっこいだ。
このままでは腹が立って寝られないなと、さらにネット渉猟して、やっとまともな論評を見つけた。それが次の「毎日新聞」の記事だ。
★元広島市長の平岡敬氏 (88) に聞くオバマ大統領は再び「核兵器のない世界」に言及したが、手放しで喜んではいけない。米国が「原爆投下は正しかった」という姿勢を崩していないからだ。原爆投下を正当化する限り、「核兵器をまた使ってもいい」となりかねない。私たちは広島の原爆慰霊碑の前で「過ちは繰り返しませぬ」と誓ってきた。原爆を使った過ちを認めないのなら、何をしに広島に来たのかと言いたい。
日米両政府が言う「未来志向」は、過去に目をつぶるという意味に感じる。これを認めてしまうと、広島が米国を許したことになってしまう。広島は日本政府の方針とは違い、「原爆投下の責任を問う」という立場を堅持してきた。今、世界の潮流は「核兵器は非人道的で残虐な大量破壊兵器」という認識だ。それはヒロシマ・ナガサキの経験から来ている。覆すようなことはしてはいけない。
「謝罪を求めない」というのも、無残に殺された死者に失礼だ。本当に悔しくつらい思いで死んでいった者を冒とくする言葉を使うべきではない。広島市長と広島県知事も謝罪不要と表明したのは、残念でならない。米国に「二度と使わない」と誓わせ、核兵器廃絶が実現して初めて、死者は安らかに眠れる。
オバマ大統領は2009年にプラハで演説した後、核関連予算を増額した。核兵器の近代化、つまり新しい兵器の開発に予算をつぎ込んでいる。CTBT(核実験全面禁止条約)の批准もせず、言葉だけに終わった印象がある。だからこそ、今回の発言の後、どのような行動をするか見極めないといけない。
広島は大統領の花道を飾る「貸座敷」ではない。核兵器廃絶を誓う場所だ。大統領のレガシー(遺産)作りや中国を意識した日米同盟強化を誇示するパフォーマンスの場に利用されたらかなわない。【聞き手・寺岡俊】
※ よくぞ言ってくれました。そういうことです。現広島県知事と広島市長は謝罪を求めないという声明を出したらしいが、それじゃ冥界に眠る原爆犠牲者たちの霊は浮かばれまい。謝罪を求めない、ということを私的な見解として持っているのは自由だ。しかし公的な声明まで出したとなると完全に行き過ぎ。これもアベノシアター演出上の要請に応えたものとしか考えられない。平岡さんの言う「貸座敷」のための塵払い役を自ら買って出たわけだ。やってくれるよ、まったく。でももう寝ようっと。
※ 翌朝の追記 アベノシアター(最初ドラマとしましたがそんな高尚な骨格を持っていないのでシアターと言い換えます、それもお涙頂戴の陳腐な股旅物しか演じられない芝居小屋です)のもう一つの舞台であった伊勢神宮、これも悠久の昔からひたすら平和を祈願してきた神聖な場所ならまだしも、戦時中は国家神道の聖地としてひたすら戦争賛美に加担していたことをを思うと、まさにアベノシアターの舞台にふさわしい。本当は靖国神社もアベノシアターの舞台にしたかったのかも知れないが、そこまでの勇気はなかったので次善の策を講じたのかも。
※ 翌々日の再追記 経済のことはまったく分からないが、今朝の新聞各祇を見ると、G7本会議でもやたら経済危機を強調した安倍の独り舞台だったようだ。要するにアベノミクスの失敗を糊塗するために小芝居を打ったわけだ。まさにアベノシアター、だからタイトルを「二つの論評」から「アベノシアター」に換えます。
人間は神ではありませんから、生きている限り過ちや間違いを引き起こしてしまうものです。そういう人間の宿命ともいえる「弱さ」を長い年月をかけて一つひとつ後悔をしながら克服していくことにこそ人間が生きる価値があるんじゃないでしょうか。平岡さんのご発言を拝読しながら、そんなことを考えて感動しました。私が物心ついたころから、確かにアメリカは世界一豊かな強い国であり、今もそうなんでしょう。そしてこれからもそうあらねばならない国だとアメリカ人は皆そう思っていると私は思います。「弱さ」は絶対に他国には見せられない。厚さ20センチもある防弾ガラス、総重量8トンのあのビーストと呼ばれている大統領専用車が一見強さを象徴しているかのように見えますが、常に襲われることに疑心暗鬼の心中を察すれば、それはまた「弱さ」故の必然の風景に見えるのは私だけなのでしょうか。原爆で亡くなられた人、生きてる限り後遺症で苦しみ続けている方に、アメリカは謝罪すべきだと私も思います。その謝罪は確かにアメリカの威厳を損なうものかも知れません。しかし、もし謝罪していれば、「弱さ」を受け入れ克服した真の強さを兼ね備えたアメリカなんだと私たち日本人は敬服したと私は思います。核兵器廃絶は人間が生きている限り背負っていかなければならない「弱さ」の克服に他ならないのではないでしょうか。
シェアさせていただきます。
塩野七生の言がマキャヴェリズムに骨がらみと先生がおっしゃるとおりで、事実爆笑ものですね。しかも野球を持ち出してきての比喩の下品なこと!
対照的に、元広島市長の平岡敬さんの発言こそ品位もあり、毅然としています。
コピーさせていただき、学生諸君にも読んでもらうつもりです。
立野正裕 様
コメントありがとうございます。確か英文学の先生ですよね、学生さんたちにもよろしくお伝えください。老い先短いと、どうしても若い人たちにぜひ後をよろしく、という気持ちが強くなります。教壇を離れて15年になりますが、学生たちに面と向かってお話しできないのが無性に寂しくなります。どうぞ立野教授、このロートル元教授のためにもお元気で頑張ってください、お願いします。