済州島に渡った豆本

このところ週一のペースになってきた。特に理由はないが、これまではせっかくアクセスしてくださる方にお応えしないと悪いのでは、という健気な(?)気持が働いていたが、何人かの友人以外はただ通り過ぎるだけなんだと気づいて(気づくの遅いっつーの)、それなら本来のペース、つまり書きたいことが溜まって何とか吐き出さないと苦しくなった時だけ書こうという気になったまでだ。
 それでは今は? 書くのが気が重いのだが、まったく無視するわけにいくまい。つまり現在進行中のサミットとかいう見世物についてだ。経過を逐次追っていたわけではないが、テレビを点けると嫌でも目に入ってくる。今日は客人が石橋を渡った先に安倍が待ち受けるというなんともクサイ演出のパフォーマンスに出くわした。いや時と場合によっては実に感動的な場面にもなりうるはずだが、なにせ前提条件が悪すぎる。安部については今更言うもでもないが、オバマにしてもせっかく広島詣でをする気になったのはいいが、原爆投下に対する謝罪はしないという。哀悼の意を表する? 自然災害の被災者に対してならそれでもいいが、明らかに人間が、人間の意志が犯した犯罪なのだ。誰かが飛行機に積んできた原爆を広島に、そして長崎に落としたのだ。原発事故も(おっとこれは日本の為政者たちのことだが)いつのまにか自然災害の扱いをしている。「心からの哀悼の意」など言葉のマヤカシ・ゴマカシ以外の何物でもない。地下に眠るたくさんの犠牲者たちの無念さを思うとやりきれない。まっ、もともと外交なんてものはこんなもんなんだろう。もちろんオバマ批判はそのまま何十倍もの勢いで安倍に、いや日本国民全体にはね返ってくる。戦争責任を逃げまくってきた情けない過去そして現在があるのだから
 わが盟友であり良き仕事仲間で、現在沖縄に住んでいるJさんは今日のメールの追伸でこんな叫びを上げている。まさに今のオキナワにいれば当然の怒りである。

立ち上がれ、ウチナーンチュたち!!!!
とぼけるな、安倍!
広島を訪れていい気になるな、オバマ!
金返せ、舛添!

 ここで一息つこう。先日、狭い我が家の庭に見慣れぬ黄色い房状の花が目に入った。もちろんそれ以前からそこに咲いていたのだろうが、改めて気づいたわけだ。はて、何ていう花だろう? サクラ、ウメ、タンポポ、チュウリップくらいしか花の名前を知らぬ私に、突然閃いた言葉がある。ミモザ! どうしてか分からない、この衰えかかった脳髄のどこかにこびりついていた花の名前。

 急いでネットで検索した。間違いなくミモザらしい。去年も咲いたのだろうか、それともいつの間にか飛来した種が実を結んだのだろうか? 全く分からない。ばっぱさんが植えたのだろうか? それも確かめようがない。
 オーストラリア南東部原産の小高木で、日本には明治時代の初めに渡来したそうだ。ミモザの花言葉は豊かな感受性・プラトニックな愛・秘密な恋・友情・神秘・堅実・エレガンス・気まぐれな恋、だそうだ。ちょっと欲張ってない? アカシアの仲間で、日本でミモザアカシアとして呼ばれているものの多くはギンヨウアカシアやフサアカシアで、単にミモザとも呼ばれている。早春に淡黄色の花を枝いっぱいにつけ、丈夫であることに加え、都会的な美しさと香りのよさが親しまれているそうだ。房状につけた小花は明るく華やかなので、枝物の少ない時期には花材として重宝し、春には切り花として、秋には葉を観賞する切り枝として流通し、淡黄色の花は現代的な洋風の生け花に人気があり、樹高は5~10m。開花期は2~4月で鉢の市販期は3月頃だそうだ。
 我が家のミモザはせいぜい3メートルくらいだが、5メートルにもなるんだろうか。それにもうすぐ6月になるというのに。本当にミモザか? なんだか自信がなくなってきた。でもせっかく咲いてくれたんだ、大事にしてやろう。
 では次に爽やかな話題。先週の土曜日は全国的に運動会の日だったようだ。川口の孫たちの学校も、愛の学校も運動会。頴美にもらっていたプログラムを見ながら、すぐ裏手にある第二小学校に行く頃合いを検討し、昼食前の全員リレーを見てくることにした。愛の空色組は愛の出番の時、先頭から大きく離されて4組中3位、幸い愛は抜かれることなく最後まで走り切った。めでたし、めでたし。
 昨日、学校から、その日の感想を生徒本人と父兄のだれかが俳句にせよとのお達し。頴美がおじちゃんに頼みます、と回答用紙を持ってきた。それで急遽、即席俳句をでっち上げた。それがこれ。

   走り終え 息継ぐ子らに 初夏の風

 陳腐かも知れないが、季語を入れたあたり、まあまあの出来、と自負している。苦心したのは「息継ぐ」。
 最後は少しまじめな話。例の豆本歌詞集作り、心配していた通り、急には止まらないで続けている。そんな折、とても嬉しいことがあった。先日或る人から、済州島への旅で一緒になった人に(名前は失念したそうだが)あなたの作った豆本をいただき、特にその「原発難民行進曲」に感動した、とのはがきが届いたのだ。これは嬉しい、わが豆本が済州島まで行ったんだ。こちらからは東京新聞の記事と新たに豆本一冊を送ったところ、今日その方からご丁寧なお便りとYMCAの会報に載ったご自身の記事が送られてきた。それによるとその方は日本基督教団神奈川教区巡回牧師で青山学院大学名誉教授である。お歳は私より十一歳上の大先輩。
 まじめな話といったわけは、その文章を読んで大いに感動したからである。シールズや京大有志の会の言葉より、私と年齢が近いせいか一層身近に迫ってくる。先ほどの日米両首脳への残念な思いを打ち消すためにも、ここにほぼ全文を紹介したい。氏の許可なしだが、すでに公表された(2014年1月)ものだから許して下さるだろう。

戦争を知らない若者よ、戦争に巻き込まれるな

 このごろは〈戦争を知らない大人達〉が、日本の国を〈戦争へ戦争へ〉と追い立てているように思います。第二次世界大戦において300万人の同胞と2,000万人のアジア・太平洋地域の人びとに犠牲をもたらした後、〈戦争を知った大人達〉が痛切な思いを持って新しい憲法、特に〈第九条〉を含めて採択しました。非戦・平和の誓いを含んだ憲法は諸外国から人類の宝とまで評価されたのです。人類史的希望である平和と共生の世界を先取りする形で表明した第九条は、敗戦国日本の唯一の世界史的貢献でありました。これこそが、日本のみならずアジア・太平洋地域における戦争犠牲者の死を無駄にせず、その残された平和への叫びに応答するものに他なりません。
 しかるに最近は、A級戦争犯罪者達をひそかに合祀した靖国神社に日本の首相はじめ、国会議員達が続々と参拝に出掛けています。これではあの戦争を肯定・賛美することになります。日本がかつて侵略した中国や韓国から批判の声が挙がるとすぐに〈村山談話〉(村山富市元首相の戦争責任対する謝罪表明)を持ち出して弁明します。これではいつまでたっても日本は国際的に信頼される国になりません。省みて同じ敗戦国のドイツではナチスの犯罪告発を徹底し続け、大統領がユダヤ人墓地に謝罪の拝礼をいたしました。それ故今はEU諸国での指導性を発揮するに至りました。日本とは正反対です。
 また最近の教科書では〈愛国心〉なるものが強調されています。祖国の罪を隠しながら戦争を美化することが「愛国心」ではありません。祖国の罪を直視し、これを悔い改めて新しく国際社会に平和的に貢献する国になるように努力することこそが、本当の〈愛国心〉なのです。(中略)
 〈戦争を知らない若者達〉よ。この次にやって来るのは徴兵制度ですよ。いやも応もなく国家の命令によって軍隊に入ることになります。第二次世界大戦中、銃弾に当たって戦死した人よりも、食糧も弾薬もなく餓死した兵の方がはるかに多かったのです。〈戦争を知らない若者達〉よ。憲法第九条をしっかり守って、断じて戦争に巻き込まれることなく、貧しい人びと、貧しい国々へ平和と共生の社会を創造するために、君達の若い力をささげてください。

 この方、いま87歳とすると50年前は少壮気鋭の若手教授、とすると22歳の美子が青山でお習いしたかも。美子に確かめられないのが残念。でも明日あたり美子の英文卒論の載った『峠を越えて』を献呈しよう。英語劇などで活躍したから、ひょっとして覚えておられるかも。まさか。
 夕食時にたまたま見ていたBS朝日の番組「それでも私は、デモに行く」で90何歳かのおじいさんが、ずっと毎週金曜の国会前の反原発・反戦のデモにご老体を鞭打って参加している姿を見た。偉い先輩たちがいる。見習わなければ。現在の民放各社がどんなスタンスで政治を見ているのか全く知識がないが、伊勢志摩サミットに合わせての企画だとしたら、お見事と喝采したい。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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済州島に渡った豆本 への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     マスメディアが毎月出している内閣支持率を見ていて感じるのは、この数字の信憑性という問題は別にしても最近の投票率の甚だしい低さと深い因果関係があるように私は思えてなりません。いろいろな考え方があると思いますが、これだけ安保法制反対の気運が国民の間で高まっている事実を熟慮すれば、単純に投票率がアップすればするほどそういう民意が反映されないことはないと思います。とにかく私たち一人ひとりが投票所に行って、自分の思いを果たすことが現政権を打倒する最短の道、そう私は信じています。今の時点でどこの新聞、テレビも10ポイント程度内閣支持が不支持を上回っています。こういうのを真に受けて、投票に行っても自分の一票では何も変わらないという人が多いのは昨今の投票率の低さを見ればわかります。マスメディアは確かに私たちが日本の現状を判断するための大切な情報源ですが、そこには落とし穴もあるんだとういうことの認識も必要だと思います。先生が豆本歌詞集作りに1000冊を越えても継続されているお姿に、最後の最後まで諦めては絶対にゼッタイに駄目だと暗黙のエールを送ってくれているように感じます。

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