参院選狂想曲の予想違わずの結果、こんな煮え湯はこれまで何回も、いや何十回も飲まされてきたことなので、格別がっくり来たわけではないが、しかし暗澹たる思いがなかなか消えないのも事実。ただ福島一人区で民進党が勝利したように、東北地方では自民が劣勢だったのはせめてもの救い。たまたま見た相馬市の速報では自民が圧倒的に優勢だったようで(南相馬はどうだったか分からない)、今回の選挙は人物どうのこうのではなく、改憲勢力に歯止めをかけるべき選挙であることを理解できぬ地元有権者の政治判断のトロさ、いつものことだががっかりさせられる。
こんな時だからだろうか、このところ昔書いた自分の文章の再読が続いている。今日は自分のものではないが、東京純心女子大時代の人間学学生レポートを再読していて、改めて感動した。実はこれを書いた田島さんの昔のメールアドレスに連絡したが、いまは使われていないアドレスなのかまだ返事がないので、彼女にはまたの機会に了解してもらうことにして、取りあえずはこのところのご無沙汰代わりに(?)以下にご紹介する。
※執筆者の田島さんは、大学卒業後、某大手菓子メーカーのCMソングの作曲などフリーの作曲家として活躍していたが、近況は全く知らない。なお映像詩とピアノ連弾曲を収めたCD・DVD「夏鳥」(Aereo Mucic Create, 2004) は、このレポートの内容を主題にしたものである。
私が考える生と死
東京純心女子大学芸術文化学科一年 田島 佳奈子
私が「人間学」という授業を受けたいと思ったのには、ひとりの人間の存在があったからでした。「ひとりの人間」。それは、五年前に病気で亡くなった私の弟のことです。私は彼に生きるということの大切さを教わりました。そして、人間というものの弱さ、強さ、を知りました。私が、「人間」というものに興味を持ったのも、全て弟との体験があったからこそです。生きる尊さを教えてくれた彼とのことを交えながら、私が思う、「生と死」を綴っていきたいと思います。
私にとって人間が生きるということは、決して当たり前のことではありません。むしろ人が生きるということは不思議なくらい奇蹟的なことで、決して当たり前ではないこと、そして貴重なことであると思います。というのは、少女時代に「死」を身近に感じたからです。
私の弟は未熟児として生まれてきて、腎臓が片方しかなく、三ヶ月しか生きる事ができないと医者から言われていました。初めて彼を見たのは病院の中庭から、窓越しに、ガラスケースの中で体中管が巻いてある小さな小さな彼でした。私には指一本も触れることのできない遠い遠い距離でした。三ヶ月の命といわれた弟は、順調に大きく育ち、六年間も生きることができました。その六年間というのは、短いけれども、とてもとても中味の濃い時間でした。今日を生きられることが幸せでした。大変辛い思いもしましたが、弟が笑顔で過ごす時間は、たとえ一瞬でも、私には何時間分にも値する幸せでした。「死」がいつくるかわからない人間。私は今、人間が無駄な時間を過ごしているように思えてなりません。弟には、毎日毎日が重くて、大切でした。しかし、現代に生きる人を見るとうんざりします。生きるということの奥底にあることを知らないのではないかと思います。最近起こった事件や、毎日流れる二ユースでも、今の人間たちは大切なことを忘れている気がしてならないのです。人間が生きる。それは、お金を得ることでも、お酒落をすることでも、快楽だけを追求することでもありません。私は人間が生きるということは、愛することだと思います。そして、現代に欠けていることが愛だと思います。愛とは、若者の恋愛とか、そういう愛のことではありません。隣人愛や、友情、人間の絆、そういった意味の愛です。私は、人間から愛を取ったら何も残らないのだ、と授業から学び取りました。
私が人間学の授業で一番好きな言葉は、「真実の愛は、二つの孤独を一つにしようとする試み」ということばです。この言葉はどんなことがらにもあてはまると思いました。私と弟の兄弟愛は、たしかにそうでした。弟には病気に対する不安や寂しさ恐れがあったでしょう。そして、私にも弟を失う事の怖さ、不安、心配、など孤独は教え切れないほどありました。それでも、一日中弟のそばにいたことや、何をするにも弟を優先させたことや、とにかく弟のそばを離れずにいたこと、それは、私と弟がお互いの孤独をひとつにしようとしていたからなのだと思います。
私は、弟の息を引き取る場面をみて、初めて「生きる」ことを知りました。死を見つめて、生きることを知ったのです。私は弟の死の時間をどうしてもわすれることができません。夜、眠るときにふっと全てを思い出してしまうほどです。
夜中の三時ごろ、病院にいる母から一本の電話がなりました。まだ子供だった私は電話台に背伸びして受話器をとりました。緊迫した母の声がします。
「こうちゃん(弟)が危ないからみんなを起こしてすぐに病院にきなさい。」
「‥‥わかった‥‥。」
私は田舎からやってきていた親戚みんなを起こしました。そして、叔母が呼んだタクシー二台で、病院へと向かいました。
病院に着くと、父も母も緊迫した表情で弟を見つめていました。体中に管と点滴と、いろんな装置をつけた弟。看護婦さんと主治医がいました。誰も一言もしゃべらない中、子供だった私だけが、こうちゃん、こうちゃん、と弟の名前を呼んでいました。 そのうち、夜が明けてきました。だれもひとこともしゃべりませんでした。ただ、弟の心臓の装置だけが、ピ、ピ、と鳴り響いていました。そして、十時頃、突然主治医の先生がこう言ったのです。
「こうちゃんには、こんな管似あわないよねえ。」
そうして、先生は弟から全ての管をとりました。点滴もとりました。心臓の装置もとりました。やっと弟はいつもの元気だったころの姿に戻りました。みんな、これが何を意味しているのかわかっていました。死がやってきていたのです。親戚中のみんなが順番に弟を抱きました。私も抱きました。そして、最後に母に抱かれました。みんな泣いていました。私は弟の顔を覗き込み、こういいました。
「お姉ちゃんのこと、忘れないでね‥‥‥。」
弟はちゃんと私を見てくれました。最後に大きく息を吸うと、弟は静かに、静かに、深い眠りについたのです。
窓の外を見ると、たくさんの小鳥たちが木に止まっていました。私は、とうとうひとりきりになってしまいました。弟は死んだのです。
あれから、もう五年の月日が流れました。今では、弟の死を思い出して泣く回数も減りました。家族は、たわいもないことで笑います。弟の話をしても誰も泣いたりしません。私たちは弟を失ったのではないと信じているからです。今は見えないだけで、弟は今、元気に天国で生きているからです。
私はよく思います。弟がいてくれなかったら、私は生きることの本当の意味を知らなかっただろう、と。朝がくることのすばらしさ、夜を迎えるすばらしさ、友達と笑い合える時間。大学で授業を受ける時間、すべて、すべて大切な一瞬のつながりで、その一瞬を大切に生きることが大事なのです。
私は人間学の授業を受けるとき、いつもいつも弟のことを考えていました。先生が教えてくださる言葉に、いつも弟のことを思い出して、ああ、そうなのか、と聞いていました。とにかく、「人間」という言葉を聞いただけで弟のことを思う程、弟好きな私なのです。先生が人間について、生きることについて、真直ぐに教えてくださり、私はますます人生を素晴らしいものだとかんじることができました。
「人間はあらゆることに慣れることができる。ただし、生きることをのぞいて。」
「挫折の中で、困難の中で考える。なぜ生きているのか、生きている事がこんなにも辛いことなのか。」
この言葉を聞いたとき、まるで電気が体中を通り抜けたかのようでした。弟が生きていたとき、私はそう感じていました。でも、それを言葉にすることはできずにいました。なんと言って表現したらいいのかわからない言葉を、大学で知ることができたのです。たしかに、生きていることは本当につらいことです。なぜなら、誰かとお別れしなくてはならないからです。私はもう痛いほど体験しました。でも、これからも生きていく中でたくさんの人とお別れしなければなりません。生きていることはすごく辛いことです。しかし、そこで、もう一つの言葉があります。
「精一杯生きようとしていることほど感動することはない」
この言葉にも深い意味が込められていると思います。この言葉を聞いたときも、弟のことを思い出しました。弟の生き方には感動させられました。彼は病気でも精一杯生きていました。今、地球上にどれだけの人が精一杯生きているのでしょうか。私はよく日本のことをみていて、こういうことを知らずに生きている人が大勢いるとおもいます。それは、とても悲しいことです。もし、日本中にこの言葉が行き渡ればきっともっと素敵な世界になるのではないかな、と思います。
一度、死が怖くて怖くて仕方ないときがありました。それは、最近のことでした。自分が病気なのではないのか、と考えたりもしました。その原因はストレスからくるもので、命には何の関係もなかったのですが、私は死が怖くてしかたない時期がありました。
果たして、「死」は怖いものなのでしょうか。私は、よく考えてみました。じゃあ、「死」がなかったらどうなのでしょう。永遠の命を持つ人間。たとえ、病気をしても人間は死ぬことはない‥‥‥。「死」がないことがわかったら、人間は、なんのため精一杯生きるのでしょう。限りない時間がつづくのなら、一生懸命という言葉さえも生まれてこない世界になってしまいます。「死」は、人間にとって必要なのだと私は思います。人間は、いつか死ぬからこそ、そのわずかな時間を、とても強い力で生き抜くのです。だから、「人間学」という学問が生まれていて、よりよく生きるために、お父さんが働いて、お母さんが食事を作って、子供たちはたくさん遊ぶ。人間は、もう最初から死に向かって歩みつづけています。それまでに、良い人生を送りたいと、もう頭の中に組み込まれていて、それが、人間なのではないかな、と思いました。
そして、その与えられた「命」は本当にかけがえのない宝物です。
「生」それは、愛して生きること。「死」それは、愛を残すこと。私はこの一年間、なんとなくこう思っていました。私は弟から、命の尊さと、誰かを愛することと、「死」は誰かの心の中に生きることなのだ、と教わりました。「死」は、はっきりいって悲しいです。でも、悲しみの裏には、思い出やたくさんの愛が詰まっています。人間はいつだって希望をもつことができるのです。
この一年間、私は何年分ものことを教わりました。人間学を通して、凍り付いていた「死」への恐怖感も溶けてきました。私は先生の人間性をすごく尊敬しています。先生にとって私はたんにひとりの学生にすぎないでしょうが、私にとってはこの世でたった一人の先生です。生きることをこんなに考えることができるようになったのは、先生の授業のおかげです。私は心から先生に感謝しています。「真実の愛は、二つの孤独を一つにしようとする試み。」
生と死は決して離れ離れのものではないでしょう。私はこの言葉を聞いたときに思いました。死があるからこそ、生きることに意味があるのだ。そう思います。
(『人間学紀要』第七号所収、二〇〇〇年)
※これは後に呑空庵私家本『新たな人間学を目指して』に再録
「人間学」を修めた学生の「生と死」をとらえる文章を拝読し、鼻の奥につーんとした痛みを覚え、熱いものがこみ上げてきました。読みながら、昨日手にとった「16歳の語り部」の著者である3人の高校生たちのメッセージが重なってきました。彼らも、生と死にぶつかり、嘆き、憤り、見えない気持ちと対話しながら他者と繋がりながら、今を生きようとしています。
「真実の愛は、二つの孤独を一つにしようとする試み。」「人間はあらゆることに慣れることができる。ただし、生きることをのぞいて。」
「挫折の中で、困難の中で考える。なぜ生きているのか、生きている事がこんなにも辛いことなのか。」
「精一杯生きようとしていることほど感動することはない」
田島さんという教え子のフィルターをとおして、佐々木先生の魂の講義が伝わってきます。こんな真剣さで、一票を投じる大人でありたいとも思いました。