おいら水夫とちゃう

一昨日あたりからこの南相馬も酷暑が続いている。モノディアロゴスの再読もようやく第八巻の終わり近くまできたが、その途中いろんな発見があった。夫婦の居間にクーラーが入ったのは震災後二年目の夏の終わり近くだったことが分かり、驚いている。美子が熱中症にもならずによくも酷暑に耐えたものだと改めて感心している。
 ところで美子の無聊(?)を慰めるため、夫婦の居間には絶えずCDからの音楽が流れているが、もちろんいつも新曲というわけにはいかず、中の何枚かは何度もなんども繰り返し聞いている。いま流れているのはお馴染みのトリオ・ロス・パンチョスだが、いつもそこに来ると笑っちゃう歌詞がある。「ラ・バンバ」という船乗りの歌で、「おいら水夫とちゃう、船長だぜ」という箇所だ。
 元々は、メキシコのベラクルスで300年以上昔から歌われていたもので、メキシコ民族音楽とキューバのソンがベラクルスで独自に発展した「ソン・ハローチョ(son jarocho)」と呼ばれる音楽の一つらしい。
 なぜ笑っちゃうか、といえば、もともと陽気で楽天的なメキシカンが精いっぱい虚勢を張っているからで、船長といってもおそらく、いや確実に荷物運びの小舟の船長だろう。つまり一人で水夫・人夫・船長役をこなしている貧しい、でも陽気で誇り高いメキシカンの姿が浮かび上がってくるからだ。

Para bailar la Bamba
Para bailar la Bamba
Se necesita una poca de gracia
Una poca de gracia y otra cosita
Y arriba y arriba, Y arriba y arriba
Por ti seré, por ti seré, por ti seré
Yo no soy marinero. Yo no soy marinero.
Soy capitán. Soy capitán. Soy capitán.
Bamba, bamba…

ラ・バンバを踊るなら、
ラ・バンバを踊るなら、
上品さはちょっぴりあればいい
ちょっぴり品がよければ、あとはノルだけ、
ノッていこうぜ、さあもっともっと盛り上がろうぜ
おいらは君のため、ただひたすら君のため、君のため
おいらは水夫とちゃう、そうとも水夫とちゃうよ
おいら船長、そうとも船長よ、船長だぜ
バンバ、バンバ…

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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