平和菌再再説

平和菌を思いついたのは、例のバイオテロリズムで一時期騒がれた炭疸菌からであった。もちろん炭疸菌のような致死的な毒性などあろうはずもない、架空の菌である。効果? そういろいろありますよ。まずこれを吸い続けると、世の中のおかしなことがおかしなこととしてはっきり見えるようになります。そういえば、あのチャップリンの映画には、この平和菌が大量に仕込まれていました。『独裁者』をご覧なさい。ヒットラーがどれだけ滑稽でバカで誇大妄想狂の殺人者であるか、映画を見て初めてはっきり見えてきました。つまりこの平和菌を吸い続けると、この日本に毎日起こっている実に馬鹿げたことがそのまま馬鹿げたこととして見えてくるのです。たとえば、いつのころからかテレビでは日常的な映像になっているあの各種謝罪パフォーマンスが、実にげれーつ極まりない茶番であることなど、少しでも平和菌を吸っていればすぐ分かるのです。
 なーんだ、平和菌ってそのくらいの力しかないんだ、と思うかも知れませんね。いやいやそうではありませんよ。この平和菌は、炭疸菌のような劇的な効果性は持ってませんが、しかしだからこそ知らぬ間に広範囲に、しかも持続的にじわじわとその効力を蓄積していきます。もしかして、いや確かに、手前味噌になるかも知れませんが、実はこのモノディアロゴスにはいたるところにその平和菌が仕込まれています。うんそうだよなあ、と思われるところをもう一度ゆっくり読み直してください。いやその菌はすぐには姿を見せませんよ。でもゆっくり読みながら、いわゆる行間というやつを右手親指と人差し指でピチンと弾いてご覧なさい。小さな紙魚よりももっと小さな、透明ですばやい動きの菌が、別の行間に逃げ込むのが見えるはずです。
 いつものことですが、とつぜん話が飛びますよ。今度の騒動で、それまで気づかなかった親子、夫婦、兄弟、友人間で、ものの考え方がどれだけ違っていたか見えてきましたよね。そんな統計はどこにも公表されてませんが、たとえば震災離婚、震災別居がいたるところで起こっています。いちばん多いケースは、放射線の危険に意外と鈍感な夫に嫌気がさして子供を連れて別居生活に入る奥さんが急増していることです。まあ、皮肉な見方をすれば、平和時にはそれと意識しないできた相手に対する根本的な不信感が表面化しただけなのかも知れませんがね。
 でも別居からついには離婚に進むケースが多いとしたら、やはり日本の家族がいかに柔(やわ)な土台に辛うじて立っていたかが見えてきます。でもいま、そんな大きな問題を取り上げようとしているわけではありません。ただ平和菌ということに関して言えば、たとえば夫の一見優柔不断な姿勢の中に、もしかするといつの間に沁み込んでいた平和菌の成果が見えてくるかも知れません。つまり平和菌は、短兵急に事の正否、適不適などを決めることをしません。平和菌保持者はものごとをもう少し広い立場から、あるいは単眼ではなく複眼で見ようとしますから、いきおいなんとも煮え切らない態度に見える場合が多いのです。
 世間ではいつごろからか、草食系の男がやけに評判を落としています。白黒はっきりさせる肉食系の男がもてはやされるようです。確かに主体性のない、責任逃れに汲々とする男性は男性の風上にも置けないかも知れませんが、しかし……
 おやおやいつの間にか男性擁護論を展開しそうになっています。それは本意ではありません。じゃ別の角度から。たとえば先日、辛口の批判をしたいわゆるジャパニゼーション、つまり日本のポップカルチャーを代表するアニメなどの影響で、いまや世界語にもなってしまった「カワイイ」とか「クールジャパン」も、考えてみれば「平和菌」の一種というか「亜種」であると言ってもいいでしょう。
 つまり口では世界平和とか人道主義を言いながら、一方でミサイルやディジーカッターなど大量殺人兵器を輸出している軍事大国に較べるなら、よほど道徳的だし人道的です。テレビなどで、そうした兵器産業の見本市たる航空ショーなどをなんの批判も加えずに報道してるなど、考えてみればこれほど不見識なものはないでしょう。
 つまり「平和菌」はそうした全ての愚行・愚挙を嘲笑し呵呵大笑する強力な武器となる可能性を秘めているわけです。そういえば過去の日本にも世界にも、そうした人間の愚かさを笑い飛ばす文学が健在でしたなー。セバスティアン・ブラントの『阿呆船』も、あのエラスムスの『痴愚神礼賛』も、そしてもちろんスペインのピカレスク小説やあの不朽の名作『ドン・キホーテ』もそうでした。
 笑い飛ばしたってなんの効果も期待できない? そうかも知れませんなー。でもそれでもとりあえず愚かな人間の愚かな所業をまずは笑い飛ばすことから始めましょうや、さしあたっての現実変革の妙案が無いんでしたら。

※ここまで読んできて、あれっこれ読んだことあるぞ、と何度か思われた方はこの「モノディアロゴス」の優秀な読み手と認定いたします。この暑さの中、自分の書いたものを毎日ちびちび読んできた私でさえ、おやおや、こんなこと書いていたんだわ、と毎日発見しているのですから。いまちょうど5年前、つまり震災の年の九月十四日(第六巻119ページ)「平和菌」再説、を読んでいるところでした。皆さん気が付くかな、とちょっと悪戯してみました。
 安倍内閣の新閣僚が発表されたようで、夕食後たまたま見た画面には稲田防衛大臣の記者会見の模様が映ってました。別にマークしていたわけではありませんが、この人、安倍親分の側近中の側近とか。時あたかも秋田県沖に北朝鮮のミサイルが着弾したようで、彼女の自衛軍(本音は国防軍)構想の追い風になりましたわな。それにしてもあちらさんはこちらの新・人事発表にタイミングを合わせたのかも。秋田県知事は、昔だったらとっくに応戦していたのに、とずいぶん危険な発言をしているようで、こうして徐々に戦争法案の環境が整っていくようですな。でもここでおたおたしたら奴らの術中にはまります。大きく「平和菌」を吸い込んで、そして大きくはき出しましょう。田舎芝居と茶番劇が見えてきますから。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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平和菌再再説 への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     戦後生まれの人が70歳を越えた日本は、戦後から平成の始まりのころまで右肩上がりの経済成長をほぼ全期間維持して、バブル崩壊から原発事故を経てもまだ成長という幻想から覚められないでいるのでしょう。安倍政権がアベノミクスを加速させることに賛同する国民が多い理由もそこにあるように私は思います。経済成長のための戦争法案、原発促進、大企業優遇、米国崇拝と一連の繋がりが見えてきます。年金運用資金も株に投入しているようですから経済成長しなければ国民も死活問題になるように巻き込んだ異様な政策を現政権は展開しています。しかし、東京オリンピックまでの4年間はそういう雰囲気が通用するんでしょうが、宴の後の日本を考えると不安極まりない流れが待っているような予感を私は覚えます。先日の参院選は東北の殆どが自民が敗退していました。それだけ東北の人たちは、現政権の政策に疑問と不安を抱かれているということだと思います。人間は厳しい環境を経験しなければ物事の真実はわからないのかも知れません。

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