台風九号が接近しているためか大気が不安定で、しかも気温は引き続き高温を保っている。美子の体温が上がることを避けようと、今日は朝から、先日ネットで買った脇の下に挟む保冷袋を何度かとり替えている。幸い鬱熱(こもり熱とも言うらしい)にもならず元気である。
ところで愛の夏休みも終わりに近いのか、昨日は宿題の一つ、俳句作りにお爺ちゃんにも協力を頼んできた(児童と家族のコラボらしい)ので、こんな一句をひねり出した。
孫たちの 花火遊びに 涼を取る
先日川口の孫たち二人と夕食後そろって玄関先で遊んでいる光景を歌ったものだが、どういう意図で、との欄も埋めなければならなく、「孫たちの遊ぶ姿に平和のありがたさをしみじみ感じて」などと書いた。本当は終戦記念日前夜なので「終戦記念日」か「原爆忌」を入れたかったのだが、五七五に収めるには相当な技術が必要なのであきらめた。「呑空」という俳号を持ちながら、いまだに進歩なし、情けない。
夏休みでいつも思い出すのは、最後の日が自分の誕生日に当たっていて、いつもやり残した大量の宿題でそれどころではなかった記憶だが、しかしその記憶がどうもあやしくなってきた。つまり北海道での小学生時代、昭和21~25年ごろの夏休みのことだが、一般に北海道の夏休みは内地(向こうでは本州をたぶん今でもそう呼ぶ)のそれより短く、冬休みは長いはずだが、すると31日が休み最後というのはちょっとおかしい。急いでネットで昭和20年代の北海道の夏休みを調べてみたが、そんな記録はどこにも出てこない。さてこの宙に浮いてしまった思い出をどう処理しようか。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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佐々木孝先生
先生の小学生時代の思い出。8月の最期の日に、ばっぱ様に叱られながら?またはお兄様、お姉さまに励まされながら?宿題に汗を流す映像が浮かび上がってきてしまいました。そこまで脳裏に刻み込まれた冷や汗ものの夏休みの宿題とお誕生日の思い出が、幻のはずがないとは思いつつ、そうですよねぇ。北海道は20日ごろには2学期が始まりますものね。ちょっと、知人たちにもきいてみますね。
今月末で、先生が喜寿を迎えられるんだなと思いながら表題を見ていました。学生のころに学友と映画の話をしていて、その友人が最近見た映画の中でロバート・マリガン監督のアメリカ映画『summer of ´42』は良かったよと言っていたのを思い出しました。ジェニファー・オニール主演で、夏休みをを思いっきり楽しんでいる好奇心旺盛な少年と突然夫の戦死を知らされた若妻との淡い恋と別れを描きながら、少年が大人へと脱皮していく姿をミシェル・ルグランの美しいテーマ曲とともに懐かしさが込み上げてきました。いつの時代でも戦争は人の人生を狂わすものなんだ、とそんな私の思い出と表題とが重なり合ってしまいました。
阿部さん、アマゾンで「おもいでの夏」の安いのを見つけたので注文しました。ご紹介ありがとう。
今日「おもいでの夏」が届き、早速見始めたのですが、途中半分くらいのところでやめました。性に目覚めるころの少年の悲しくも美しい映像を期待してましたが、少年(たち)があまりにもバカなので興醒めしてしまいました。それだけこちらが年をとって感性が磨滅したのかも知れませんが、でもこの年代の少年たち、そして背後に迫る戦雲の悲劇を描いた優れた作品は、今すぐには題名が思い浮かびませんが他にもたくさんあったように思います。
バカだな、と思ったのは、例えば人妻をひそかに恋し始めているのに、同年配の女の子の胸を映画館で触ろうとしているなどの描写です。もしかすると、今テレビを点けるといやでも目に入ってくるバカな若手俳優のスキャンダルというより犯罪、そしてそれをめぐっての大騒ぎにうんざりしていることが背景にあって、上のような感懐に導かれたのかも知れません。またいつか気分がいいときにでも続きを見るかも知れませんが。
貞房先生
私のコメントから購入までしていただき恐縮しています。後で知ったことですが、この作品は実話だそうです。1942年と言えば第二次世界大戦の最中、ここに登場している少年たちも戦争の時代に青春を迎え、いずれ徴兵で戦場へ行くかも知れないという不安の中で生きていたはずです。男なら誰もが通る性への憧れを不安との狭間で謳歌していたんでしょう。しかし、ハーミーだけは、ドロシーに本物の女性としての気品や温かさを感じ取っていたと私は感じます。単に自分の性への欲求を満たすためだけの女性ではなかったんだと思います。そんな二人の穏やかな時間の経過の中で、ドロシーの最愛の夫の突然の戦死をハーミーは知り、一人の人間としての深い悲しみを共有することで自分のためだけに生きていた少年時代から決別し、ドロシーの女性としての弱さや悲しみを通じて他者の痛みのわかる大人へと成長して行ったんだと想像できます。そして突然の別れ、この別れはドロシーのハーミーの将来を思っての愛情なのかも知れません。おそらくハーミーは生涯この夏を忘れることはなかった、人生は決して割り切れないものだから。
友人の勧めで十代のころ観た映画でしたが、私の人生で、この映画との出合いは良かったと思っています。
阿部さんのコメントに導かれ(?)て残りのすべてを観ました。まさかこのまま終われば、何か意味あり気な、思わせぶりな筋立ての映画に過ぎないぞ、と思いながら、とうとう最後まで観てしまいました。途中で前半部と同じくあまりの荒っぽい筋立て、そして演出に腹立たしくなり、やはり何度かやめようとしましたが、最後に意外などんでん返しがあるかもと期待しましたが、完全に肩透かしを食いました。
確かに美しい映像でしたが、少年の方はともかく、自分の夫の戦死の報を受けた夜、寂しさのあまり少年と一夜を共にする若妻のあまりの自制心の無さに同情どころか腹立たしさすら覚えました。いや人間の弱さを倫理的に裁断しようなどとは思いませんが、そのことを何か意味ありげな映画に仕立てていることに腹が立ったわけです。世評が高かった映画かも知れませんが、私からすれば完全な駄作でした。もしかして阿部さんも今ご覧になったら私と同じような感想を持つかも知れませんよ。要するに最愛の(?)夫の死という冷厳な事実と実際の行動があまりにも不均衡だということ、それが人間だと言われても、それを描く何か別のアングルがあったはずです。
安岡章太郎さんの「質屋の女房」はちょっと似たようなテーマを扱ってましたが、下手に美化などせず、それでいてはるかに上質の感動を与えてくれたように記憶してます。
先生のご指摘は鋭いの一言です。確かに、日本人はそういうことに違和感を覚えます、私も同感です。私も若かったこともあって、その当時はあまり気にしないで観ました。手元に作品を持っていませんから、40年以上昔の記憶だけが頼りです。アメリカ的と言えばそれまでですが(笑)先生のように多くの作品を鑑賞されていると、世の中には多くの秀作があるんだということをしみじみ感じます。モノディアロゴスの中で是非ご紹介してください。
いやーーそうおっしゃられると申し訳ないです。ただ、私自身は決してリゴリストではないと思ってますが、それでもあの描き方では、戦場に散った若い夫の魂魄は浮かばれないと強く思ったわけです。それを無視して甘いオブラートに包んで描いている姿勢に違和感を覚えました。こういう問題に敏感なはずのプロテスタントの国アメリカでこの映画に対する異論がなかったとしたら、ちょっとおかしいな、と思ったわけです。
佐々木先生
私は『おもいでの夏』のテーマ曲は知っていますが、映画は観ていません。
ロバート・マリガンの作品に『アラバマ物語』というのがあります。
白人女性を強姦したという黒人青年の無実を晴らすためがんばる弁護士の話です。弁護士役はグレゴリー・ペック。単純な法廷ものではなく、人種差別に子供の成長等もテーマになっていて、私は良い作品だと思います。
ご存知でしたらごめんなさいですが。。。
阿部さん、上出さん
長い間ビデオ・テープやDVDを見てなかったのですが、お二人のおかげで「観る楽しみ」を思い出しました。正確に数えたことはありませんが、わが貞房文庫には数百本の映画がありますので、また少しずつ名作を見直してみます。
思春期を描いた名作は今特に思いつきませんが、男女の愛と戦争の悲劇を描いたものとしては、ちょうど今の季節、すぐ「ひまわり」を思い出します。もちろんご覧になったとは思いますが、特に大震災後、東北の各地に咲き誇るひまわりの姿を見るとあの悲しい映画を思い出します。
「アラバマ物語」がロバート・マリガンの作品であるとは知りませんでした。貞房文庫にもありますので、そのうち見直してみましょう。