初めての誕生祝い

 他に気になることなどいっぱいあるのに、なぜか先日の夏休みの謎が尾を引いている。道産子のあずささんが調べてくださるそうだが、たぶん私の記憶違いだろう。ただその記憶がどうして作られたかについては思い当たる節がある。ちょうど六年前に下記のようなことを書いたが、それ以来記憶が修正されたままになったのではないか。ちなみに谷田製菓のそのきびだんご、今も北海道銘菓の一つとして存続している。


きびだんご


 五月と六月は孫たち三人の誕生日が続く。今まではお菓子あたりを適当にみつくろって送っていたが、だんだん成長するにつれてそうはいかなくなってきた。といっていまどきの子供たちが何を喜ぶのか詳しいわけではない。
 ところで自分の子供時代はどうだったかを思い返してみると、まともに誕生を祝ってもらったことなど無かったことに気づく。私だけでなく、私の年頃の人間はだいたいそうではなかったか。ケーキなどで誕生を祝うようになったのは、ほんの最近のことである。
 私が初めて誕生を祝ってもらったのは、小学4、5年生のころである(残念ながらその後続かなかったが)。ある年の夏休みの終わり、バッパさんが急にお前の誕生日はいつだ、と聞いてきた。とっさのことで返事に窮していると、自分の誕生日を知らないのか、と怒られてしまった。それまで誕生日など祝ってくれなかったくせに、などと大いに不満だったが、自分がこの世に誕生した日を知らないのは確かに恥ずかしいことだろうとは思った。
 自分の誕生日がなんと夏休み最後の日だということをそのとき初めて知った。お祝いといっても、たとえば夕食にご馳走が出たとかいうのではなく、一本の「きびだんご」をもらっただけである。今でもときおり見かけるが、ゆべしを細長くしたような、オブラートに包まれた羊羹状のお菓子である。黍団子というからにはおそらくキビが入っているのだろう。だから今でもお菓子売り場に「きびだんご」をみると、懐かしいような、こそばゆいような変な気持ちになる。( 2010 /6 /6 )

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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初めての誕生祝い への4件のフィードバック

  1. 佐々木あずさ のコメント:

    きび団子とばっぱ様のエピソードが記されていたモノディアロゴスを読んだとき、思わず笑ってしまいました(笑)。脳の片隅に、こんな素敵なエピソードが潜んでいたことを、時空を超えて、お孫さんを持つお年頃になったころ(!)に舞い戻ってきたのですね。一足早いのですが、先生、お誕生日おめでとうございます。先生をこの世に登場させてくださった、満州で亡くなったお父上、そして勇猛果敢かつユーモアあふれる正義感にあふれたばっぱ様に感謝です。

  2. 上出勝 のコメント:

    佐々木先生

    24日間の「実習」、無事終了しました。
    楽しい楽しい毎日でした。

    地域包括支援センターというところでの実習でしたが、ここはマンモス団地を抱えているのですが、団地の高齢化率は60%近く、日本でも有数の超高齢地域です。ということは世界中の最先端の超高齢地域ということです。施設も近所もお年寄りだらけで、「老人の海」でした。

    学んだことは非常に多かったですね。
    デイサービスや特養も併設されており、デイサービスは一般デイサービスと認知症デイサービスに分かれていますが、認知症のお年寄りのお相手をすることもよくありました。一口に認知症と言っても、「症状」も「残存能力」も様々で、大変個性的なものです。私の母親も認知症ですが、やはり個性があります。一緒に「能トレ」をやったり(足し算引き算はできなくても「九九」はできます。リズムで覚えているのでしょうね)、歌ったりと(みなさん唱歌はよく覚えています)、こちらの方が楽しんでいました。
    ちなみに、私はお年寄りから「店長さん」と呼ばれていました。

    私はもちろん「学生」として学びに行ったのですが、多重債務、相続、退職金未払いの問題などを抱えている人も多く、その場合は逆に職員から弁護士としてのアドバイスを求められました。多少はお役に立てたかと思います。

    楽しいエピソードはいっぱいあるのですが、一番愉快だったエピソードを紹介させて下さい。
    一般デイサービスを利用しているNさんは97歳の女性ですが、大変しっかりした方で、豹柄のシャツを着ていてとてもおしゃれです。
    そのNさん、先日路線バスに乗ったところ、100何歳かのおばあさんが乗っていたそうです。その人と話をしていて年齢を聞かれたので、97歳と答えたら、「あんたなんかまだ子供よ」と言われたとのこと。
    上には上がいるなーと思いましたけど、そう言われて、Nさん、「ショックを受けた」んだそうです。何もショックを受けることはないと思いますけどね。。。
    愉快ですけど、すごいエピソードでもあります。。。

    ロバート・マリガンの映画の話題が出てますが、あれは『おもいでの夏』という邦題でした。
    私の今年の夏も本当に「おもいでの夏」になりました。
    それでは。

  3. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    上出 勝様
     この暑い中、実習生と弁護士の二役、ご苦労様でした。97歳と100歳のおばあちゃんのエピソード、面白いですね。そんなおばあちゃんたちに、中途半端に老人になった湘南の不良出の元知事など叱り飛ばしてほしいですね。先日101歳のむのたけじさんが亡くなられ残念でしたが、昔からあんな老人になりたいな、と憧れていたのは笠智衆さんでした。体形や気性から考えてもそれは無理な願いなので、せめて老害と言われない程度に言いたいことを言いながら死にたいと思ってます。
     実習生といえば、二日前、今日までの予定で市立病院に実習に来ていた上智の看護科の学生さんが六人、引率の二人の先生と夕食後話を聞きに来てくれました。地元の養護学校の先生をしている若い友人も交えて、短いながら有意義な夜を過ごすことができました。
     また台風がやってくるようですが、実習の疲れを十分に癒して元気に実りの秋を迎えてください。

  4. 阿部修義 のコメント:

    佐々木 孝先生

     喜寿おめでとうございます。   2016年8月31日

     なかなか思うようにいかない人生です。少し調子が良いとエゴが心の奥底から飛び出して来ます。そんな毎日の中で、先生が執筆されたものを少しずつ拝読しながら魂の重心を低く、低くと意識して生活しています。一度わかったと思っても魂の重心は知らず、知らず宙に舞い上がっているのが私の現実です。おそらく死ぬまで直らないものだと痛感しています。これからも益々お元気で執筆されることを心よりお祈り申し上げます。

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