第XIII巻刊行のお知らせ

この暑さの中、『平和菌の歌 モノディアロゴスXIII』が完成しました。収録したのは昨年八月から今月一日までのものです。なるたけページ数を抑えようとしましたが、それでもとうとう288ページになってしまいました。表題に「平和菌の歌」を選んだのは、この期間、やはり一番頑張ったのは豆本歌集の作成でしたからすんなり決まりました。もちろんスピードはがくんと落ち、時おり思い出したようにちびちび作っています。現在、散布済み994冊、手元に215冊、つまり累計1,209冊です。
 ところで第XIII巻のことですが、これまで通りご希望の方に頒布しますので、このページ右下にある「呑空庵刊私家本のご案内」をクリックして手続きしていただければ幸いです。ただしこの暑さの中、一枚一枚手折りの私家本ですので、ご注文から少し時間をいただければありがたいです。どうぞよろしく。
 私自身、こうしてウェブで執筆していますが、あくまでアナログ人間なのでしょう、自分の文章なのに印刷されたものにまったく違った印象を受けます。皆様にも読み直していただければ幸いです。
 なおこの暑さで「あとがき」を書く気力もなかったので、右のコメント欄の上出勝さんの五月六日の書き込みを、お断りしないまま勝手に「あとがき」に代えさせてもらいました。事後承諾ですみませんが、上出さん、お許しください。


※ 参考までに私自身の遁辞を以下にコピーします。


あとがきに代えて

 第十三巻は漠然と自分の誕生日ごろ、つまり喜寿を迎える頃にと考えていたが、なんとか予定通りにはなった。しかしこの暑さの中、改めて「あとがき」を書く気力は出てこず、それで最後近くにあった上出さんのコメントをあとがき代わりにさせてもらおう、とずるいことを考えた。東京の現役の弁護士さんだが震災後月一度の割合でずっと南相馬、特に小高地区へボランティアとして働いてこられた方である。私とは違った角度から被災地の現状を観察しているので、私の現状分析に客観性を与えてくれるのではと、再度本書に採録させていただいた。他にも阿部修義さんのものなどいつかぜひご紹介したいものがあるのだが、それはそれでまた第十四巻のお楽しみにしよう。
 とうとう本書で十三巻目、論創社から出してもらった『原発禍を生きる』を加えると、これで原発事故以後だけでも九冊目になる。我ながらあきれるほどの量だが、ここまで来たからにはこれからも執念深く書き続けるつもりである。(二〇一六年九月五日記す)

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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第XIII巻刊行のお知らせ への9件のフィードバック

  1. 上出 勝 のコメント:

    佐々木先生

    こんな拙い文章、いくらでも使ってください。それどころか、大変光栄に思います。ありがとうございます。
    読み返してみましたが、われながらマトモなこと書いてますね。

    話は変わりますが、3日前、大学時代の友人と酒をのみました。私財をなげうって社会福祉事業をやりたいとのことで相談を受けました(福祉の勉強がこういうところでも役立っています)。
    彼の母親は昨年100歳で亡くなったのですが、彼は約20年間、自宅で母親を介護していました。彼の母親も認知症で、お互いの母親の認知症エピソードを紹介し合って話が盛り上がりました。私も彼も認知症を必ずしも否定的なものとは考えてはいません。シモの世話など「大変」ではありますが、「宇宙人」のような母親にこそ「妙味」があるのだとバカ息子同士笑いあった次第です。

    で、話の終わりに、私から彼に太宰治の話をしました。例の相模原の殺傷事件で私が連想したのは太宰の言葉で、まだ頭の中に残っていたのでその言葉を紹介しました。
    太宰の長男はダウン症でした(津島祐子さんのお兄さんです)。太宰も長男のことは気にかけていて作品にも出て来ます。

    その太宰に『パンドラの箱』という作品がありますが(本当は「箱」ではないのですが、このパソコンでは表示できません)、主人公にこう言わせています。

    「僕たちは命を、羽のように軽いものだと思っている。けれどもそれは命を粗末にしているという意味ではなくて、僕たちは命を羽のように軽いものとして愛しているという事だ。そうしてその羽毛は、なかなか遠くへ素早く飛ぶ」

    相当酔っぱらっていましたが、彼もこの太宰の言葉に大いに共感してくれました。双方の母親とも「羽のように軽い」ゆえに「なかなか素早く飛ぶ」ことがありましたから。

    私は何事も「弱さ」を出発点において考えるべきであるとずっと思ってきました。実習でのお年寄りとのおつきあいを経験していっそうその思いが強くなりました。「弱さ」ゆえ辿り着けることもある。「弱さ」ゆえわかることもある。「弱さ」ゆえ真実に近づける。
    人は弱くあるべし!です。

  2. 立野正裕 のコメント:

    佐々木先生、『モノディアロゴス』第13巻の刊行に祝杯を!
    旺盛な執筆力に心から敬服しないわけにはいきません。モンテーニュの『エッセイ』、アランの『語録』、アミエルの日記、森有正の日記、そしてウナムーノのDiario íntimoなどがたちどころに想起されますが、質においてそれらに比肩し、量においてはすでにそれらを凌駕するものと思います。
    行路社版を読みながらしばしば感じたことですが、日録でありながら、こうして一冊にまとめられてみると、これはたんに日録の一年分をくくったというものではなく、有機的な全体性を持った一種独特の文学作品であり、一種独特の思索の書であり、一種独特の小説といってもよいのではなかろうか、と。
    アランはルーアンのローカルな新聞にコラムを書くのを自己の思想と批評の実践とみなし、政治、経済から教育、宗教、文学、芸術、存在論などにいたる人間生活の万般を主題として健筆をふるいましたが、モノディアロゴスもまたthe fugitiveと自らをみなす思索者が、中央からの視線ではなく、福島という現代日本のいわば「ローカルな地点」に発想の根拠を置きつつ、そこから現代のハイテク情報発信手段であるブログを通じて、抽象的な概念やソフィスティケートされた専門用語や術語によらず、あくまで日常語を駆使し、ときに方言すら交えて愛読者をまごつかせ(ごせやける!)、足元の日々を凝視すると同時に、日本および世界の動向へと視野を自由に拡大し続ける柔軟でユニークな姿勢を確立しました。
    なにをきっかけに自分がモノディアロゴスの愛読者となったのか、たんなる偶然だったのか、それともしかるべき経緯があったのか、それははっきりとは覚えていないのですが、とにかく「佐々木孝」をウナムーノやオルテガの研究者として、なかんずく『聖マヌエル・ブエノ』の訳者として、その作品を漱石の『こころ』と初めて関連づけながら考察した人として、わたしがずっと印象深く記憶し続けてきたことは事実です。
    現に(前にも申したかと思いますが)、『ドン・キホーテの哲学 ウナムーノの思想と生涯』は年来わたしの愛読書であり、古書店で見つけるたびに購入し、若い有為の友人たちにも一読を進めるのを常としてきました。あの本は再刊される価値のある本ですが、何年も品切れとなっているのは残念です。

  3. 立野正裕 のコメント:

    つけくわえるのを忘れましたが、これからますますご健筆を!
    (いや、著者の旺盛なエネルギーを思えば、つけくわえるのさえ陳腐ですね。)
    わたしもモノディアロゴスをみならって、くたばるまで書き続けようと思います。

  4. fuji-teivo のコメント:

    立野正裕様
     ちょうどご注文に応えて貴兄へ送る大量の私家本をボール箱(コピー用再生紙の箱が二冊横に並べてぴったりなものですから)に詰め終わって、短いメールを書いたところでした。モンテーニュ以下錚々たる文人たちに比べられて、正直びっくりし、そして狂喜しました。もちろん身に余る光栄であることは本人がよく承知していますが、でもほとんど外出もせずひねもす病妻の側で狂夢を紡いでいる老人にとって、それがどれだけの励みになることか、おそらく誰も想像できないでしょう。
     ばっぱさんの従妹で、原発事故で家を追われ、現在老人ホームで頑張っているよっちゃん(97歳)の言葉を借りると、「わたしゃ煽(おだ)てにはいつでも喜んで乗っかっと」です。そして次巻(第14巻)の解説を、上の文章のままでも大変結構ですが、もしよろしかったら少し膨らませて、立野教授、よろしくお願いできませんか。この場を借りての先行予約です。
     

  5. 立野正裕 のコメント:

    佐々木先生、
    先のコメントは、第13巻刊行とうかがって非常にうれしかったものですから、とっさに思いつくままを率直に書き連ねました。次の第14巻刊行にあたってそのまま拙文を掲載収録されるにはチト言葉が足りないと思われるのはごもっともです。
    もしも書かせていただけるなら、よろこんでお引き受けし、もう少し推敲しながら考え、言葉足らずのところを補うことにいたします。
    どんどんお書きいただいて、第14巻、第15巻が異例の速さで刊行されるというふうであっていただきたいものです。
    『飛翔と沈潜』にウナムーノの詩が引用されていますね。

      感情は考え、思考は感じる
      汝の歌は地上に巣を持たねばならぬ。
      そしてそれらが天に舞い上がるとき
      翼の彼方に消えてしまってはならぬ
     
      汝の歌はその翼に重さを必要とする
      雲の柱は跡形もなく消えてしまう
      音楽でない何か、それが詩なのだ
      考えられた詩のみが残る

    このあとに続く全体がわたしは好きなのですが、この冒頭の二連だけでも、なかんずく「汝の歌は地上に巣を持たねばならぬ」や「考えられた詩」だけでも、形式は散文であってもまぎれもないウナムーノ的な意味での「歌」と「詩」が、モノディアロゴスにはみなぎっていると思います。

    蛇足めいて恐縮ですが、「考えられた詩」の最近における典型は、ロバート・マリガン監督の映画『おもいでの夏』をめぐる阿部修義さんとのやり取りのなかにも、如実に見受けられました。お二人のコメントの応酬をわたしは深い興味をもって拝見しました。
    名作とされる一本の映画をめぐって、いわゆるプロの映画評論家の書くものとは断然異なる思想と感受性と想像力が、あれほど明快に、あれほど鋭く、あたかもスクリーンから飛翔するような、ど同時にスクリーンの底部に沈潜するような言葉をもって語られる。
    あそこにもわたしは、モノディアロゴスを一つの場として、the fugitiveと優れたコメンテーターとの批評的かつ詩的な対話を見る思いがしました。

  6. 佐々木あずさ のコメント:

    呑空庵@とかち(呑空庵十勝支部)の佐々木あずさです。台風の爪痕のこる十勝ではありますが、真っ青な大空の下、芽室町で教育を学ぶ小さな会がありました。開催場所は、芽室駅すぐ横の集会室。私は思いました。今日は村山士郎先生(綴り方などで子どもたちの成長を大切にしている大東文化大の教授)を囲んで、内言を育てることなどに関心のある方たちが集まります。綴り方、芽室、子どもの成長…こんなキーワードにぴったりなのがばっぱ様こと、佐々木千代先生。私は、呑空庵@とかち所蔵の本箱を運びこみ、佐々木孝先生のことをちょっとだけ紹介させていただきました。そうです、2016年9月11日(日)、芽室で呑空庵@とかちのスタートをきりました。先生の思想、モノディアロゴスが十勝平野を駆け巡りつつあります。

  7. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    佐々木あずさ様
     呑空庵@とかちの発足おめでとう!
     旧満州に渡る前、ばっぱさんは芽室の小学校、そして父は清水町の御影小学校の先生でした。死ぬ前に一度、父と母の足跡を辿りたかったのですが、もう無理です。でもその代わりあずささんが十勝をいろいろ歩き回ってくれるので、それで満足です。
     『平和菌の歌 モノディアロゴスXⅢ』、明日あたり届きますよ。皆さんで読んでください。 呑空庵々主

  8. 佐々木あずさ のコメント:

    佐々木孝先生
    そうでしたね、芽室と御影。先生のご両親の足跡と人間を育てるという魂がいっぱい残っている大地なのですね。私は、先生に歩いていただきたいと願うものです。今日の講演会には、芽室と御影からも参加した方がおられました。熱い気持ちを持つ元教員でした、お二人とも。ばっぱ様とご主人さまの教育者として生きた道がしっかり残っているのではないでしょうか。ご縁に感謝しつつ。佐々木あずさ拝

  9. 佐々木あずさ のコメント:

    台風が過ぎ去った後には、十勝には幾重にもその爪痕が残されています。お金がある生活、便利な暮らしを追求してきた私たちにつきつけられているのは、原発事故に始まり、命をも守り切れない現実なのだと痛感します。その中で、今、ウナムーノの時代について先生の著作集をとおして学んでいます。理解には程遠いのですが、先人に学ぶことの重たさがわかりつつあります。
    さて、本日、先生の最新刊を受け取りました。風雨にさらされないように丁寧に包まれたモノディアロゴスが、先生の故郷に無事到着いたしました。呑空庵十勝支部の一翼を担っている者の特権?!として、最初に読ませていただきます。ありがとうございました。

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