敬老祝い金

今日の郵便物の中に、市役所からの「敬老祝い金支給に係る」書類一式が入っていた。つまり9月15日の基準で77歳(喜寿)と88歳(米寿)になるご老人へそれぞれ1万円支給するから必要書類を提出せよとの知らせである。あゝそういう歳になったんだという、ある種悲哀感をもたらす知らせでもある。いえ、頂けるものなら喜んでいただきますよ。必要書類といっても要するに口座振込依頼書だけでしょう。いやよく見ると「※口座番号・名義等が記載された部分の通帳写しを添付願います」との但し書きがある。
 あゝいいですよ、すぐ目の前にパソコンがありスキャナーがあるのでお安い御用です。でもねー、スキャナーやコピー機が手元にないご老人はあわてるでしょうなー。息子や娘と同居しているならまだしも、一人暮らしのご老人にとっちゃーこりゃー大仕事になりません? たかが1万円のためになんて言いませんが、書類にハンコも押してるんだからもっと簡単にいきません?
 確か一昔前なら、区長さんが回ってきて、「おめでとさんです」と温かい挨拶のあとに熨斗袋に入った祝い金を渡しながら「すまんけど、ここにちょっくらハンコついてもらうべか」で済んだはずなのだが*。
 老人や病人や体の不自由な人にとって、この世の中いよいよ住みにくくなってきていることは間違いない。以前も書いたことだが、美子の介護をしていると、「コーヘイ」や「アンゼン・アンシン」が錦の御旗になって、ちょっとしたことにも大量の書類と捺印が必要になっている。今のところ、わたしゃーぎりぎりセーフですが、いつも世のご老人たちのことを考えて、複雑な気持ちにさせられてます。

 何事ももっと簡単に、そしてもっと優しく人間的にいきません? 

 ついでに言わせてもらいますが、先日購入したケータイの説明書、やはり字が小さすぎて拡大鏡を使わないと読めません。本も読まない、勉強もろくろくしないでばっちし視力だけはいい若い人にとっちゃコンパクトでいいかも知れないが、長年の勉学のために(?)視力が衰えたこの私には、字が小さいだけでなく書かれている日本語の分かりにくさはそりゃー堪えます。これじゃクレームをつけられないようにやたらむつかしい文章をごたごた並べた生命保険の約款みたいで、わたしゃ好きくない。

* 同じ福島県でも郡山市では民生委員が自宅等を訪問して贈呈しているそうだ。
** それでいて今の日本には奇妙なやさしさが氾濫している。いつも笑ってしまうのは、袋に入った食品、例えばお菓子などの袋に「写真はイメージです」という訳の分からないメッセージが刷り込まれていることだ。誰も写真と中身が寸分たがわず同じだとは思わないのに、いつかどこかの消費者が、写真のものと中身が同じじゃない、とクレームを付けたばっかりに、それ以来すべての食品会社は、外袋の写真が中身そのものの写真である場合でも、このバカげたメッセージを印刷するようになったらしい。
 これも前述の保険会社の約款みたいに、過剰なまでの自己防衛である。
 ついでにもう一つ。杉並にワンルーム・マンションを一つ持っているのだが、今じゃオリンピックを控えてだろうか二日とおかず東京の不動産屋から問い合わせがあってかなわん。だからいつもは留守電にセットしているのだが、それでも運悪く直接相手の電話を受けてしまうことがある。その時の彼らあるいは彼女たちのいやらしいまでにバカ丁寧な言葉にウンザリさせられる。たとえばこんな風に。「もしもしこのお電話、佐々木孝様のお家でよろしかったでしょうか」。この「よろしかったでしょうか」という奇妙な日本語を聞くと正直虫唾が走る。丁寧なようで、しかし自分を第三者の高みに置いて遠回しに責任を回避しようとする浅知恵まる見えの言葉遣い。
 意味のない過剰なまでのサービスと、その実、誠実味のひとかけらもない機械的な対応、これが今の日本。
 いけねーだんだん腹が立ってきた。この辺でやめよう。
*** 憎まれ口をもう一つ。テレビでチューリッヒとかいう自動車保険のコマーシャル。応対する可愛い女性の、また何というオリコーさんの受け答え。「…はこのカカクです」あたりはまるで小鳥の鳴き声のよう、というよりあまりに感じの良さを誇示しているようで、やはり好きくない。さっそくどこかの保険会社がそっくり真似し始めてますぜ。要するにこれでもかこれでもかという具合に過剰に良い子ぶりっこしてるようで逆に嫌味になってるんですわ。(影の声 やたら気難しい爺さんになってしもたわい)

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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