連想から妄想へ

次々としなければならない雑用のため、連日あっという間に時間が過ぎてゆく。むかし勤め人だった時よりもむしろ忙しい。だから本棚の隅っこに隠れていた見たこともない本に出合ったりすると、嬉しいけれど困ったな、と思う。なぜなら、今や宿痾ともなっている古本蘇生術に取り掛からなきゃならないからだ。
 昨日も運悪くそんな本に出合ってしまった。本当に古い本、私の生まれる一年前、つまり昭和13(1938)年発行の改造文庫、モンテスキューの『ペルシア人の手紙』(斎田禮門訳)である。最近は購入日時を本の中扉あたりに小さく記すことにしているが、今日のように誰が買ったのか、だれが読んだのか全く分からない本がたびたび見つかる。
 私が買った覚えはない、美子の本でもなさそうだ。読んだ形跡もない。しかし改造文庫ということなら以前ばっぱさんのものを見つけたことがあった。書名は忘れたが、確かドイツの教育哲学者のものだったような気がする。福島女子師範時代に買ったものらしい。すると確率的にはこれもばっぱさんのものか。
 さっそく厚紙で表紙を補強し、百円ショップで買った猫柄の手ぬぐい地で装丁したが、先日来イスラム文化のことを考えていた時だったので、偶然ではあるがグッドタイミングの出会いであった。つまり十八世紀初頭(発表されたのは1721年)、小説仕立てのフィクションとはいえ、イスラム文化とキリスト教ヨーロッパの出会いを描いた作品だからだ。正確に言えば二人のペルシア人がパリで見聞したことを故郷の友人に知らせるという形で、実は作者の狙いは当時のヨーロッパ社会を風刺するという内容らしい(実はこれから読むところ)。
 フィクションとはいえ、ここで二つの文化が比較されているわけだが、もしかするとサイードのオリエンタリズム批判では、ヨーロッパ人が十字軍時代のように敵対者としてではないにしても、今度は西洋が東洋を見る視線の中に含まれる蔑視、つまり “表象(イメージ)による暴力” の端緒を作ったと批判されているのかも知れない(サイードのその本も読まないまま本棚に鎮座している)。
 ところでこのモンテスキューの作品のスペイン語訳が貞房文庫にもあることが分かって、今度はそれが気になってやおら捜索に乗り出した。しかし系統的な整理をしていないし、寄る年波で踏み台を使って高いところに上るのは怖いし、近くのものでも懐中電灯で照らさないと背文字が読めない。要するに今回探すのは無理、時間がかかっても少しずつ整理した暁での発見に希望を託すしかないか、と半ばあきらめたとき、これも偶然、古いが風格のある古本が目に入った。18世紀スペインの作家ホセ・カダルソの『モロッコ人への手紙』の原書である。これはモンテスキューの訳書よりさらに古い、何と1885年にバルセローナで出版されたスペイン古典草書の一冊である。これは清泉女子大時代に研究費で手に入れたものだが、マドリードのマジョール通り61番地のマヌエル・タラモナという弁護士の蔵書印が押してある。
 この本はモンテスキューの『ペルシア人の手紙』から数えて64年後の1785年に書かれた、やはりこれも書簡体小説で、前者がペルシア人ならこれはモロッコ人による当時のスペインの風俗習慣の実況報告の形を取っている。もちろんカダルソは執筆時モンテスキューの作品のことが頭にあったはずだ。
 こうして期せずして十八世紀ヨーロッパとイスラム世界の出会いと相互理解の物語が出てきて、これらをサイードのオリエンタリズム論に照らし合わせながら読むという面白い課題…課題?、聞いてないよ、だいいちそんな時間ないし…
 実はいま目の前にそれぞれ厚さ5センチ近い(袋とじ印刷だからこうなる)私家本が、しかもそれぞれご丁寧に布で表装されて積み重なっている。いずれ市販本にしたいものばかり。そのうちの一冊はスペイン語版作品集で、これはほぼ確実に出版されそうだが、問題は残りの三つの訳書、すなわち古い順から言えばダニエル・ベリガンの『危機を生きる(原題は They call us dead men)』、アメリコ・カストロの『葛藤の時代』、そしてオルテガの『大衆の反逆』である。
 もっともあとの3冊についてはこの構造的出版不況の時代、無理に出すつもりはないが、それでも最終的な推敲を終えてないまま死後に残すのは避けたいものと、このところ頭を痛めている。なのにこんなとき、またもやこの男(私のことでーす)新たにアマゾンに本など注文している。自分でも意味の分からない(?)ふるまいである。
 そのうちの1冊は先日来の苦闘の後を引いてか、大江の健ちゃんの『暴力に逆らって書く 往復書簡』で、中の一人がサイードだし、それに例の破壊された価格の1円だからいいようなものの、もう1冊というより1組はな、なんと『新・子連れ狼』コミック全11巻なのだ。
 前述したように自分でも説明はむつかしいのだが、このところ時おり部屋に流している昭和歌謡曲の中の、橋幸夫の「子連れ狼」の歌(小池一雄作詞・吉田正作曲)を聴いているうち、無性に読みたくなったのは確かだ。萬屋錦之助や若山富三郎の映画にしろテレビにしろこれまで一切見たこともないのに、ここにきてトチ狂ってる。
 歌そのものもいいが、間に挟まれる若草児童合唱団の擬音の合いの手が実にいい。

しとしとぴっちゃ、しとぴっちゃ、

も可愛いが、それよりいいのは、霜の朝の

ぱきぱきぴきんこ、ぱきぴんこ 

が素晴らしい。

 繰り返し聞いているうち、例のごとく妄想が広がってゆく。つまり私は拝(おがみ)一刀で、時おり外に出て「涙かくして 人を斬る」が、家には三歳の大五郎ならぬ病身の美子がチャンの帰りを待っている。

帰りゃいいが帰りゃんときゃあ
この子も雨ン中 骨になる
この子も雨ン中 骨になる

だからこの老いさらばえた拝一刀、外出しても死に物狂いで帰ってくる。
(まさかウソですよ。)

※31日の追記
 今日とうとう子連れ狼がやってきた。さてこれをどのように合本にしようか。迷ったが結局1-3,4-7,8-11に分けた。つまり都合3冊のぶっとい合本を作ったのだ。それぞれを厚紙で補強し、一見革に見える古いジャンパーの端切れを背中に張り、もともとの11枚の表紙絵から選んだ3枚をそれぞれの表紙に張り付けて、ちょっと見栄えのいい美本に仕上げた。
 「新」とついているのはなぜかなと思っていたら、要は拝一刀が柳生烈堂との果し合いで死んだ後、東郷重位(しげかた)という侍が大五郎の父代わりになって新たな旅立ちをするところから始まっているかららしい。昔からの愛読者ならとうぜん知っていることでも、拙者にはすべてが未知の世界である。まっ、手元に置いて、昼寝の時の誘眠剤(こんな言葉があったかな?)として読むことにしよう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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