遺伝子と平和菌

 先日この欄で紹介した「焼き場に立つ少年」の写真にスペイン語のキャプションを付けてスペイン語圏の友人たちに送ったことは既に書いたが、さっそく反応してくれたうちの一人、メキシコのM・Aさんのお返事を以下に紹介したい。いや正直に言うと、文中の彼の遺伝子論への私なりの見解を書きたいがために利用させてもらうわけだ。ともかく彼のメールの一部を意訳しよう。

 
 今日お便りするのは、送ってくださった「焼き場に立つ少年」を見て改めて黒澤明の二本の映画、すなわち『八月の狂詩曲』と『どですかでん』を見直し、そして私の遺伝子論を思い出したからです。もちろん私の遺伝子はほとんどがメキシコ人のそれです。しかしそれ以外にも他の国々からの遺伝子が含まれています。それらのうちもっとも多いのはイベリアのもの、次いでギリシャ、イタリア、インドヨーロッパ、そして…日本人の遺伝子が。
 いつその日本人の遺伝子を自覚したかと言えば、中学校の世界史の授業で日本のことを少し知ったのがきっかけでした。その後、美術史と文学の授業で日本は色彩と輝きをもって私の前に大きく現れ、それに深く魅了されました。さらにそのあと岡倉天心の『茶の本』を読み、道と生の意味、そして道教の基本原理を学びました。それから三島由紀夫を読み、彼の世界観を、プッチーニの『蝶々夫人』で古き良き日本を知りましたが、その後に観た黒澤明の二本の映画に強く魂をゆさぶられました。以後、この『八月の狂詩曲』と『どですかでん』が私の存在論の中心の位置を占めるに至りました。
 このようにして私の日本人遺伝子が徐々に形成されました。そうこうしているうちにあの東日本大震災が起こり、ドイツのテレビ番組を通してあなたの存在を知り、あなたに対する敬愛の念が胸に刻まれました。
 あなたが送ってくださった「焼き場に立つ少年」は、私にはまさに黒澤映画の一場面として映りました。私の中にある日本人遺伝子全体が激しく反応し、あのピカソの「ゲルニカ」に対した時のように、人類全体の上に降りかかったこの不幸に耳癈(みみしい)のように声もなく空に向かって大きく両腕を広げるしかありませんでした。この写真はまた『八月の狂詩曲』の中の美しい老婆・鉦(かね)さんのことを思い起させました。この気高い婦人は、私の敬愛してやまぬすべての日本人を代表しています…。

 ありがたいことに日本に興味を持ち、そしてその日本がその人の生き方そのものに深く影響を与えている外国人の一つの典型的な例がここにある。実はM・A氏とは震災後何度もメールを交換しているが、氏がどんな職業を持ち(おそらく教師か)どんな家庭環境にあるかも、全く知らないままである。しかし今回のメールで、なぜ彼が私との交流を大切にしているのか、その秘密を初めて知ったような気がする。
 さて今回、彼への返事に書こうとしていることは、彼の遺伝子論に対する私の平和菌論(?)である。これも骨子だけを以下に書いておこう。


 拝復 震災後たくさんのスペイン語圏の友人たちを得ることができ、彼らとの交流から残り少ない私の人生に大きな喜びと、そして勇気をもらっています。そして今回のメールで貴兄の遺伝子論を興味深く読ませてもらいました。私にとって、スペインやメキシコなど中南米諸国へ抱く親近感や共感も間違いなく私の中にあるその遺伝子のなせる業(わざ)だと確信しました。ですからこれから書こうとしていることは、貴兄の論への反論ではなく、その補足であることをどうぞご理解ください。
 私は事故後、妻の介護をしながら細々とブログ「モノディアロゴス」を発信することで、核に頼らない世界、そして究極的には戦争の無い世界構築のために微力を尽くしたいと願ってきました。そんなとき偶然出会った言葉が「ケセランパサラン」でした。この言葉は1970年代にちょっとしたブームを巻き起こし、現在もその名を社名にした化粧品会社が存在するほどです。
 もともとこれは十六世紀の日本に来たスペイン人伴天連(神父)が伝えた言葉だという説が一番有力ですが、同時に白粉(おしろい)を食べて生きる綿毛に似た不思議な生物をも意味しており、化粧品会社もそこからヒントを得たのでしょう。
 しかし私はこの言葉に新たな意味を見つけました。この言葉はスペイン語では「これからどうなるの?事はなるようになるさ」という意味でしょうが、しかし禁教令の布かれた当時の日本の絶望的な状況の中でつぶやかれた言葉としては、「状況は最悪であろうが、ここで諦めず、不退転の覚悟をもって自分らしく力を尽くして生きよう」との積極的な意味が隠されています。そして私はこうしたメッセージの結晶体であるあの不思議な生物(胞子)を「平和菌」と名付けたのです。さらに言うなら、このケセランパサランは、アメリカの人気作家カート・ヴォネガットが作中しきりにつぶやく So it goes とも、そしてビートルズの Let it be とも不思議な共鳴音を発しています。
 私も黒沢映画は大好きです。原爆を扱った『八月の狂詩曲』も昔一度観た切りでしたが、あなたのメールに刺激されて早速アマゾンでそのDVDを見つけ注文したところです。黒沢の映画もいいですが、同時代の名監督・小津安二郎の映画も、もしまだでしたらぜひご覧ください。そこに描かれた日本は今のように安ピカの豊かさではなく、貧しくつましい日本ですが、見るたびに当時の日本人の気高く美しい姿に涙が出るほど感動させられます。彼らをいちばん良く形容する言葉はスペイン語の decente(つましく品のある)ではないでしょうか。残念ながら現在の日本人は(私も含めて)物質的には豊かだが精神的には貧しく、しかも下品に成り下がってしまいました。
 話をもとに戻しますと、遺伝子(gen) はあくまで生物学的・肉体的因子でしょうが、平和菌(germen de la paz)はひたすら精神的な因子です。「平和菌の歌」の5番にありますように「みごと咲かせよ 心の園に あなたと私の垣根を越えて 国境線さえ消してゆく」変幻自在の軽やかな菌なのです。別言すれば、生物学的 (biológico)ではなく、オルテガの言う意味での「生きること全体(biográfico)」にかかわる優れて生的(vital)な因子です。
 ご存知のように妻の介護があるので、この先死ぬまで1キロ四方の世界に蟄居する身ですが、まだ手足は自由に動かせるので、毎日せっせと「平和菌の歌」の豆本作りに精を出しています。現在日本語バージョン2,000冊、スペイン語バージョン300冊になりました。
 正直に言うと、私の友人たちでさえこの一見無意味な手仕事を年寄りの暇つぶし位に考えているのかも知れませんが、私自身は大げさに言えば命を懸けています。死ぬまで作り続ける覚悟です。M・Aさんも豆本つくりは無理でしょうが、機会あるごとにどうか平和菌を言葉で拡散することにご協力ください。

 最後に、私は平和菌の発見者ではありますが発明者ではありません。16世紀のスペイン人伴天連も確信的に発した言葉でないのかも知れませんが、平和菌はもともとこの地球上に人知れずひっそりと存在していたのです。要するに私は平和菌の宿主の一人に過ぎません。でも私のような宿主が一人でも多く存在することで、どんな政治的デモや署名よりも、じわじわとその効力を広げていく力になることを信じて疑いません。
 いつの間にか熱が入って、長々としたメールになりました、お許しください。最後に一つだけ。私は貴国の偉大な文学者オクタビオ・パスによって、貴国が置かれた実に悔しい政治的状況を知り、同じようにグリンゴたちによって日本が貴国同様、いや貴国以上に精神的には不思議な隷属状態にあることを深く憂慮しています。同胞が一日も早くそのことに気付き、真の平和国家に生まれ変わることを強く願っています。

※グリンゴとはもともとはグリエゴ(ギリシャ語)、つまりわけの分からぬ言葉を発する者を意味していたが、それが訛って、特に北米人をいささか侮蔑する言葉(ヤンキーに近い)になったものである。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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遺伝子と平和菌 への1件のコメント

  1. 佐々木あずさ のコメント:

    メキシコのご友人との「遺伝子論」拝読。一人で読むにはもったいないと思い、フェイスブックでシェアさせていただきました。

    こんな前ふりをつけました。「スペイン思想家の佐々木孝先生(南相馬市在住、帯広市出身、満州で幼少期を過ごす)が、「焼き場に立つ少年」の写真とキャプションをつけてスペイン語圏に発信。モノディアロゴスというHPをとおして出会ったメキシコのご友人(もちろんメールで交流)のメッセージをご紹介します。病身の奥さまの介護と、HPモノディアロゴスの発信、そして平和菌の拡散を続ける佐々木先生とのメールのやり取りをどうぞご一読ください。」以上です。

    昨日、「生活綴り方事件」を取材し、本にまとめられた「佐竹直子さん」(道新釧路)の講演を聴きました。戦時中、治安維持法で検挙された教員とその教え子たちの混乱と苦悩をききとったものです。一人一人の当事者、または遺族を探しながらの労作。その営みと情熱に感動し、先生の平和豆本を献呈いたしました。先生の新聞記事もつけて。先生が、一枚一枚おりながら作り続けていることにも感激し、受け取ってくれました。実は、南相馬市には昨年ボランティアで伺ったとのことでした。

    先生が以前メールで送ってくださったご友人の「福祉の現場に『物語』はあるか」もコピーして配っています。

    いつも、智慧と勇気、頓智と元気を頂戴していることに感謝です。

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