チキティンの話

チキティン(chiquitín)なんて奇妙な言葉だが、スペイン語で「ちっちゃな奴」を意味する。実はこれ、数日前から私たち夫婦の居間に時おり、それも食事時ほんの数分現れるハエにつけた名前。もちろん初めのうちは、いや今も、手で追い払っているが、彼はすぐ退散する非常に行儀のいいハエ君である。止まるのも決して食べ物の上ではなく、お盆のへりに行儀よく止まるだけ。そのうち何か不思議な愛情(まさか!)みたいなものを感じ始めたのは我ながら不思議だ。
 そして大昔に観た映画のワンシーンが記憶の底から蘇ってきた。『翼よ! あれが巴里の灯だ』(The Spirit of St. Louis)である。これは1957年、チャールズ・リンドバーグの伝記映画としてビリー・ワイルダー監督、ジェームズ・ステュアート主演で封切られたものだが、パリを目指して単独で大陸横断飛行の途中、眠気を催す主人公の周囲に寄り添うように現れた一匹のハエに、彼がやはり何とも不思議な親近感を抱くようになるという印象的な場面である。
 べつだん私は生きとし生けるものすべてに対する分け隔てない愛を説く宗教者ではない。しかし独房の窓から入ってきたハエ一匹にも心動かされる囚人ほどではないが、大震災後とりわけ命あるものへのやさしい気持ちが生まれたことに気付くことがある。そう言いながら肉も魚も野菜も毎日食べ続けているわけだが、しかしエスキモーなどの狩猟民が必ず獲物への深い感謝の儀式をしてから殺したり食したりすることを美しい習慣だとは昔から思っていた
 だから捕鯨に抗議する集団にはいささかの違和感を持っている。つまりブタや牛をばくばく食べながら、鯨に対してだけ差別的な愛情を示すのはおかしいと思っているからだ。だったらベジタリアンのように、知能の多寡で差別などせず、すべての肉食を断ったらどうだ、というわけだ。
 その意味でも、あの南相馬が生んだ不世出の思想家・埴谷雄高の『死霊』第七章《最後の審判》の中で、ガリラヤ湖畔でのキリストの行ないに対する根源的な批判はいま強く胸に迫ってくる。その箇所を引用しよう。

「いいかな、イエス、死を恐れて、新しい生へと《復活》したところのそのお前がまだ飢えつづけて、まず真っ先の振舞いとして、焼き魚を口に入れたとき、食われる魚の悲哀、食うお前の悲哀、そして《復活》してまでもなお、《食わざるを得ない生》の底もない悲哀をーー嘗て、「ひとの生くるはパンのみに由るにあらず、神の口より出ずるすべての言葉による」と荒野でいみじくも述べたそのお前が、それらの深い悲哀の一片だに自覚しなかったのは驚くべきことだ」

 もしも人類がこの悲哀を深く自覚していれば、キリスト教徒による十字軍(要するに殺戮と略奪の聖別)も、そして今も繰り返されるイスラム教徒によるテロ(彼らもそれをジハードと美化している)も起こりえないはずだ。生きとし生けるものすべてに対する愛と感謝、そして生きるためにはそれらのいくつかを殺さざるを得ないことへの深い悲哀……
 このように生きていることはまさに「生かされている」ことだと心から自覚することがなければ、世界から暴力と戦争が無くなることは決してあり得ない。
 実はあのチキティン、昨夜やはり食事時に現れたので、思わず近くにあった殺虫剤を噴霧したから、もしかしてどこかで死んでしまったのでは、と心配(?)していたが、今朝、美子の食事介助のとき、また元気な姿を見せた。もちろん彼が良き伴侶を得て(?)たくさんの子供連れで現れたら、永遠の冥福を祈りながら殺虫剤を吹きかけるだろう。嗚呼、スペイン黄金世紀のカルデロンさんがいみじくも言った通り、生まれ出ずること自体が大いなる罪(el delito mayor del hombre es haber nacido)、だったら謙遜に、慎ましく、しかし勇気を奮って、明るく感謝の気落ちを忘れずに生き続けるしかない。
 実は昨日、これまで毎日作ってきた「平和菌の歌」の豆本に重大な改変を加えた。つまりせっかく豪華な布表紙の本を作るなら、その豆本を見るだけでそこに込められた作り手の祈りが分かるような工夫をなぜしてこなかったのかと突然気が付いたわけだ。これまでは、それについての東京新聞の記事や「青淵」の投稿文などをプリントして渡すようにしてきたのだが、なぜ本体に簡単なメッセージを付けなかったのかと反省したわけ。それでスペイン語版(『平和菌の歌』に関する部分だけ)にも日本語版にも以下のような文章を8ポの小さな字で印刷した『解説』を巻末に加えることにした。

解説
 「カルペ・ディエム」は古代ローマの詩人ホラチウスの言葉。大震災後、その頃はまだ歩けた妻・美子と小高い丘の上にある夜ノ森公園を散歩していた時に実際に見た光景を歌ったもの。
 「しっかりそしてまじめに」は、震災後九十九歳で避難先の十和田で亡くなった亡母の遺言。
 『カルペ・デイエム』と『平和菌の歌』のリフレイン「ケセラン・パサラン」は十六世紀、スぺイン人バテレン(神父)によって発せられた「これからどうなる? 事はなるようになるさ」ほどの意味の言葉であると同時に、白粉(おしろい)を食べて生きるという綿毛に似た謎の生物を指す。
 しかし禁教令の布かれた当時の日本の絶望的な状況での言葉として、「最悪の事態だが、ここで諦めず、不退転の覚悟をもって自分らしく力を尽くして生きよう」との意味になる。
 私はこうしたメッセージの結晶体であるあの不思議な生物(胞子)を「平和菌」と名付け、核兵器であれ原発であれ核の無い世界構築のため、世界中に拡散させたいとの願いを歌にこめた。
 またこのケセランパサランは、アメリカの人気作家カート・ヴォネガットが作中しきりにつぶやく “So it goes” とも、そしてあのビートルズの “ Let it be” とも不思議な共鳴音を発している。

 以上ですが、どうか皆さんも平和菌拡散にこれまで以上にご協力ください。豆本作りは無理としてもせめて豆本の散布(?)や本ブログ読者の拡大など(ここ数年、たぶんリピーター百数十人から全く増えてません。ひそかに読んでくださるのは、それはそれで嬉しいのですが。もちろんチャンチキ芸能人の何十万というアクセス数など夢にも望んでません)。佐々木のためなどと考えるといろいろ抵抗があるでしょうが、ひとえに真の世界平和構築のためとお考えになってご協力ください、これまで立野先生や佐々木あずささんたちがしてくださってきたように。豆本は死ぬまでゆっくり作り続けますので、返信用封筒同封の上佐々木までご連絡下されば、少し日数がかかるかも知れませんが喜んでお分けします(もちろん無料で)。
 またまずメールで申し込みたい方は、上方にある「富士貞房と猫たちの部屋」をクリックすればEメール送信欄がありますので、そこからご連絡ください。
(と書きながらこれまで全く反応が返ってこない現実に半ば絶望してますが、でも決してあきらめません)

 その日のうちの追記
 だから日本人が言う「いただきます」も、キリスト教徒が唱える「食前の祈り」も、単に(?)神様に向かってだけでなく、こうして食膳に供されている食物そのものへの感謝の祈りでもあるべきだ。またイスラム教徒も特定の動物だけを神聖視したりすることなく、またそのまま食べることが禁じられているものであっても(特別な儀式と祈祷が必要らしい)、だれもが心から祈ることによって食することが許されたならいいのになあ、と思う。もし私にイスラム教徒の友人がいたとしても、下手に食事などに招待できないのは悲し過ぎる。つまり同じ物を共に食することによって宗教や文化の違いを自然に乗り越えることができるからだ。
※※ 埴谷さんは、文字通り生きとし生けるものすべてを射程に入れておられる。つまり響きが面白いがどんな豆か知らないチーナカ豆まで、いやさらに遠く微生物まで、もちろん平和菌までも包括している。アンドロメダ星雲からチーナカ豆そして平和菌まで、ものすごい埴谷宇宙の広さ、こんなとてつもない思想家と知り合い、可愛がられたことを今になってやっとありがたく思っている愚かな私。改めて真の弟子となるべく、本気で彼の作品を読み続けよう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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チキティンの話 への3件のフィードバック

  1. 富士の高嶺の零れ水 のコメント:

    貞房様、はじめまして。

     時折ブログを纏め読みさせてもらっております。ありがとうございます。
    今回、食べ物についてのお話しがあったので、食事のとき、そしてトイレに行くとき、時折頭をよぎる下らない疑問についてコメントとして投稿させていただきました。
     一体、食べ物と自分の身体との境目とは何なのでしょうか。ついさっきまでお皿の上にあった玉子焼きが口に入り、十数時間後には私の身体の一部になる。そして先程まで私の身体の一部であったものが、トイレで流れ去ってゆく。更に細かく言えば水や空気もさらに容易に私の身体となり、そしてそこから離れて行く。
     こう考えはじめると、私の実態とは何なのか。私の身体と他の物との境界線が判らなくなり、また、ここで「私」という言っている「私」は身体とは別物のように感じられてきます。
     キリスト教についてはさっぱりな私ですので、ブログの内容にありましたような聖書の内容は難しくて理解が困難です。こういった内容の投稿はご迷惑と思われるかもしれないと考えつつ、投稿させていただきました。
     このような勝手なお願いで恐れ入りますが、私のこの疑問につきまして、何かアドバイスなどおありでしたら、コメントいただけますと嬉しいです。

                            富士の高嶺の零れ水 より

  2. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

     ご投稿ありがとうございます。この「談話室」には博識明敏な論客がそろっていますから、いずれどなたか適切なお返事を書いてくださるでしょう。今後ともよろしく。

  3. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    或る私信を以下勝手に投稿、許してたもれ!

    佐々木先生:
     奇妙な天気が続きますね。こちらでは暑さがぶり返しました!今日、練馬区の最高温度は36.4度で、折角の「夏休み」なのに外に出る気にもなりません。
     先生のお家に出没するchiquitín(聞こえが可愛い)のお話、興味深く拝読しました。こちらのchiquitínは全く可愛くない大きなカマキリで、2週間程前からベランダに居着いてしまい、毎日気持ち悪い思いをしています。最初に遭遇した朝、カーテンを開けると、網戸にへばりついていたので、びっくりして叫んでしまいました。「ムシ、コワ〜イ」と言う女は嫌いですが、いわゆる都会っ子で外遊びをしない子供だったので、これほど間近にカマキリを見るのは初めてで。ベランダには何も置いていませんので、カマキリは窓の外に掛けて巻き上げてあったすだれの内側に居場所を決めたようで。敵は死んだようにほとんど動かないのですが、常に居場所を確認することにしています。不用意に窓を開けて、部屋の中に入られても、誤って潰してしまっても嫌なので。
     そのうち、餓死するだろうと思っていたら、4日前、驚いたことに、敵はすだれの定位置にいながら、生きたままのアブラゼミを捕獲し、「別人」のような機敏な動きで貪り食っていたではありませんか!その恐ろしい姿が目に焼き付いて、その夜はなかなか眠れませんでした。
     先生のおっしゃりたいこと、わかります。普通に考えたら、箒か何かでカマキリを払って、ベランダの外に落とせばいいわけですよね?それが恐ろしくてできないから悩んでいるのです。人間に危害を加えないことも知っています。でもその気持ち悪さ!今日のようなかんかん照りの日にも、すだれを下ろせない意気地なしの自分が情けない。
     どうでも良いくだらない話を長々してしまい、本当に御免なさい。
     気持ち悪い話の直後で申し訳ありませんが、先生のご機嫌、少しは治ったようで、ほっとしています。

    では、どうぞ皆様にもよろしく。
                        虫愛ずる姫君より

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