ちっちゃなことをこつこつと

珍しいことに昨日に引き続いて今日もスーパーに行った。帰りに石原クリニックに寄って美子のエンシュア(缶入り栄養剤)をもらってくるついでに寄ってみたのだ。なぜかと言えば、昨日の買い物で、自動支払機(と言うのかな?)のカゴに小さな袋入りのシャープペンの芯をつい忘れてしまったからだ。帰宅後すぐにスーパーに電話して、そういうわけで万が一だれかが届けてくれたら明日あたり寄るから取っておいてくれないか、と名前を告げて頼んでおいた。
 たかが93円のためにそんな面倒なことを、と思われるかも知れないが、先日のブログにも書いたように雑多な用事をこなしていると、西川キヨシじゃないけれど、ちっちゃなことをこつこつ、という気持ちになる。
 果たしてだれか届けていたでしょうか? 他の買い物の後にレジの女の子に忘れ物のことを聞いてみると、何と!サービスカウンターに届いてますからどうぞ、と来た。しかし本当はたいして驚かなかった。たぶん届いているだろう、と予想していた。こんなこと、たぶんほかの国ではありえないと思う。悪気はないにしても、こんなものをわざわざ取りに来る人なんていまい、と思って自分の買い物かごに自然に(?)移すのではないか。いやそれよりも、そんな安物のために電話しないか。
 テレビで、わざと落とし物をして、それに気が付いた何人の人が落とし主に教えるか、の各国の統計を取るという番組があった。確かダントツに日本が多かった。自慢していいことではあろう。しかし震災後の我が同胞の行動について苦言を呈したことがある。つまり遵法精神と言えば聞こえはいいが、要するにお上(立法者)に飼いならされている、言葉はきついが家畜化されているだけ、と言い放ったことがある。震災後の緊急事態の最中でも役所その他公的機関の規則一点張りで融通の利かなさ、それに唯々諾々と従っている良民たちの態度に業を煮やしてのいささかきつい評言である。
 でも勝手なもので、今日のことなど、あゝ日本ていい国だなあ、と素直に(?)喜んでいる。しかしこのお話にはオチがある。つまりせっかく手元に戻ったその芯(太さ0.7ミリ)、手元のシャープペンシルには細すぎた、たぶん0.9ミリが正解だったらしい。
 まっ、いいさこのオチのために93円使ったと思えば(いやーそれムリムリ)
 話は突然飛ぶが、しかも思い切り、例の座間殺人事件の犯人、一見真面目で人当りもよかったらしい。これまでだってこうした猟奇殺人事件が無かったわけではないが、今回の犯人像はいまだはっきりしない。というより人間の内面の底知れぬ闇にただただ言葉を失っている。いずれ評論家たちが論評を始めるだろうが、正直この闇の深さに届く言葉があるとは思えない。もしかして、いやいやかなりの確率で、犯人はシャープペンシルの芯を忘れた老人に、もしもしこれ忘れてましたよ、と親切に教えてくれるような若者だったかも知れない。つまり人当りがいいとか礼儀正しいとかは、人格の最深部にまで届く徳性ではないということだ。
 またまた話が飛ぶが、アメリカの田舎町の教会での銃乱射事件、子供を含む20数名の犠牲者が出たとか。個人の武器保持を憲法で保障している国の、性懲りもなく繰り返される事件。今はだれだろう全米ライフル協会の会長は? かつてはチャールトン・ヘストンだったが、それを知ってから彼の映画を観る気にもならなくなった。
 そんな大事件が起こっているというのに、来日中のトランプはおざなりの挨拶をツィートしただけで、迎賓館の池の鯉に安倍と一緒に楽しそうに餌をやってる。まっアメリカの悪口も言えないな、日本には座間事件があるんだから。あーやんなっちゃう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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ちっちゃなことをこつこつと への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     表題の「ちっちゃなことをこつこつと」の「ちっちゃなこと」と先生の文章の中にある「徳性」という言葉とは、密接なつながりがあると私は感じます。概して人間というのは、華やかなものとか今はやりのものに目を奪われてしまいがちですが、世の中の目立たないけれど欠くことのできない大切なものには案外無頓着なものです。しかし、人間性が出てしまうのは、そういうささいなこと、例えば挨拶の仕方とか靴のぬぎ方などにその人の生き方が凝縮されている場合があると思います。相手の美点を見ないで批判ばかりしている人の多くは、自分の欠点には盲目的です。大言壮語する人の多くは、実行力がない人が多いのも人生経験の中でよく見かけるものです。「徳性」というものは、内的なものであり、周りの変動にも動かされないもの、そして、「ちっちゃなこと」にこそ現れるものなんだと私は思います。

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