あゝよかった!

今になってその幸運を、その僥倖を心から感謝している。まずは怪我をしなかった美子への深い感謝。
 昨日、昼少し前だったか、来年初めにも増補復刊されるウナムーノ論『情熱の哲学』のゲラ校正に没頭しているときだった。何かがボトンと落ちる音がした。時々右わきの手作り移動式書棚から本などが落ちることがあるから、それだと思って横を見てみると、何と美子がベッドからずり落ちる音だった。幸いすぐ傍にあった車椅子の足置きのおかげで頭を打つことはなかったが、美子は声ひとつ出さずうつ伏せになっている。抱き上げようにも、私ひとりでは無理と分かったので大急ぎで息子を呼んできてベッドに戻してもらった。どこも怪我しているようには見えない。
 普段は身動き一つしないので、食事時に少しベッドの端近くに寄せるのだが、これまで一度もずり落ちたことなどなかった。まったく油断していた。自分でにじり寄らなくても空気の入った柔らかいマットがベッドからはみ出ていたのかも知れない。
 すぐその後の訪看さんたちのケアの際も体をよく調べてもらったが、やはりどこも打撲などの跡はなかったようで安心はしたが、そのことが意識の中で一日中尾を引いていた。
 とにかく美子はもともと体が丈夫な方だった。走るのも私より早かった。机横の茶箪笥の引き出しに、小さなメダル入りの桐の箱がある。義父の字で、中蓋に「昭和三十年十月六日 秋季運動会 100メートル競走一着 十六秒 小学校女子最高記録 桜の聖母学院」 十六秒というのはそう早いタイムではないと思うが、ともかく一着、義父はよほど嬉しかったのだろう。
 痛くても泣き声一つ出せず、ベッドから落ちても無言のままの美子、申し訳なかった。これから絶対にこんなことが無いよう注意する。ベッドわきの柵もさっそく取り付けた。

★ デスクトップに「介護日記」というボタン(というのかな)があったのを忘れていた。二年前に書き出してそのままになっていたものだ。今朝は美子のベッド落下なんて残念な記録をしてしまったので、その埋め合わせに元気なころの美子の記録をそのままコピーしておこう。

2015年10月7日
 今朝、朝食の時、明らかにこれまでと違って、顔を撫で声をかけると、顔面が紅潮し、涙を滲ませた。もしかすると少しずつ良くなっていくかもとの望みが出てきた。頻繫に声をかけ、頬や両肩を抱いてあげることにしよう。

10月16日
敦子と頴美に送ったメール
時々ホウカンさんが嬉しい報告をしてくれます。
1.わきの下に手を入れたとき、「何するの?」と言った。
2.一昨日は、「何か美味しいもの食べたの?」と聞いたら「美味しいものなど食べない」と答えた。
パパにそういう経験は無いけれど、ホウカンさんが嘘をいうはずもないし、本当に嬉しいことです。愛ちゃんが近くにいればもっと進歩するかもしれません。パパも努めて話しかけます。

今日はまた、「手を挙げて」と言ったら、「どうやって?」とはっきり答えたそうだ。

10月23日
 今朝もヘルパーさんに「分かっている」とか数語はっきりした返事をしたそうだ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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あゝよかった! への5件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     『峠を越えて』の最後の日1968年8月1日に先生から美子奥様に手渡された手紙の中で、先生はこう言われています。

     「これから二人の道、どんな難事にぶつかるかも分からないですが、どうかぼくを信頼してついてきてもらいたい。(中略)ぼくは理想の美子を追い求め、恋してるのではありません。今の美子を、もちろん欠点もある美子を愛しているのです。ぼくのこの姿勢は一生変わりません。」

     半世紀も前に先生が美子奥様に書かれた言葉を、その言葉通りに実行されている先生の誠実さを文章を拝読して私は感じます。口先だけの軽い言葉が氾濫している今の時代にあって、誠実であることの大切さと、そうあり続けることの難しさがわかる私には、先生の生き方に人間としての重みをひしひしと感じています。なぜか、ビリー・ジョエルの「Honesty」が聞きたくなりました。

  2. 中野 恵子 のコメント:

    ほんと!あ~よかったです!
    でもさぞ驚かれたことでしょう~。
    呑空庵代々木支部よりお見舞い申し上げます。
    お寒さが日に日に増してまいりました。
    お揃いでお元気で過ごされますように。

  3. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    中野恵子様
     お見舞いありがとうございます。おかげさまでなんともありませんでした。受け身を知ってるはずもないのに、どこにも打撲の跡もありません。でもあれから、脇の柵をセットして、最大限注意するようにしてます。
     それよりも、中野さん、おみ足の方はいかがですか。どうぞお大事に。

  4. 佐々木あずさ のコメント:

    「ダニエルベリガン神父」に関することについては、大先輩、恩師にもなる美子先生へ。先生は、なんでも全力で、一生懸命頑張ってこられたのですね。そして今、その人生を共に歩む孝先生が、お二人の人生をたっぷり味わい深く、私に伝えてくださいます。その幸せのおすそ分けに感謝します。

    美子先生、何度か家族旅行でいらっしゃった十勝は、もう雪の世界。三角屋根からは、シバレて固くなった積雪が、どっど~、どっど~と音を立てて落ちていきます。
    あっそうだ、先週末、「環境交流会」という自然を考える展示会に出席。私のブースは、「泊原発の廃炉をめざす会 十勝連絡会」の主催です。そこに、なんと、孝先生の従弟、はげ安さんが足を運んでくださいました。大雪で路面の悪い日でしたが、あの、でっか~い車で、ガガガ~っと、40キロの悪路のなか駆けつけてくださいましたよ。孝先生の血統は、とてもユニーク!ですね。

    美子先生、寒い季節となりましたが、先生のお部屋の大きな窓からは、すてきな景色が見えていますね。またお邪魔いたします。来年は結婚50年とのこと。孝先生は幸せです、ね。ご自愛の上お過ごしくださいませ。 佐々木あずさ拝

  5. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    あずささん、美子への温かなメッセージありがとう。
     私も一応道産子なのですが、それも寒さでは旭川と双璧の帯広生まれなのですが、内地の、とくに温暖な相馬の風土に慣れてしまったのか、いや歳のせいか、このごろめっきり寒さには弱くなりました。美子は布団の中ですから問題ありませんが、私は足元の寒さが応えるので、アマゾンから中国製の安い、膝上から足先までの「極暖 足が出せるロングカバー 」、つまり長ひょろい毛布のブーツみたいなもの今日から穿いてます。トイレにもそのまま行けますからなかなか便利です。でもものすごーくかっこ悪いです。
     あゝ「はげ安」さんも行きましたか。なぜ「はげあん」などとクリニックの看板掲げたのか本人に聞いたことはありませんが、「あん」は安藤の「安」で、たぶん「赤ひげ診療所」をパロッたのかも。小さいとき、母方のいとこたち(四家族)と休みには士幌線(今は廃線、残念)の汽車に乗って萩が丘駅からさらに山奥の祖父母の家で仲良く遊んだものです。特にはげ安さんの三兄弟とは、満州引き揚げから一緒でしたから、特別仲が良かったです。十年ほど前、いやもっと前か、ばっぱさんと美子と頴美の四人で渡道し(懐かしいね、この言い方)、その勢多の開拓地跡まで行ったこと、今となっては本当に良かったと思います。勢多の祖父母の家で、冬の朝、口近くの布団がかぱかぱに凍っていたのを今でも思い出します。つい昔話になってしまいました。今日はこの辺で。

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