凍てつく遠野の里から

※ 以下のものは今朝届いた立野正裕さんからの私信ですが、許しを得たので、そのまま全文ご紹介します。

佐々木先生、
 今月8日と10日のブログを、なかば絶句しながら、繰り返し読ませていただきました。ひとまず気を取り直し、以下に一筆したためます。
 従軍カメラマンだったオダネル軍曹の写真「焼き場に立つ少年」から発した一連の魂のリレーとも言うべき継承ないし展開は、まさに「世界の片隅にひっそりと暮らす孤老であっても、うまずたゆまず言い続けていれば、必ずいつか、どこか、でその結果が表れる」ことの証左! と申さねばなりません。
 原爆投下からまもない長崎と広島で、米軍の従軍カメラマンとしてなまなましい写真を撮りながら、それを長年秘匿したのちついに公開に踏み切ったオダネル氏。そしてそこにいたるまでの葛藤。案の定、全米から誹謗と中傷の手紙が押し寄せ、孤独にさらされたオダネル氏。
 しかし石つぶてを投げられるようなあまたの非難の手紙のなかに、ただ一通、敢然と非難者たちに反論し、オダネル氏に公開をうながした根本動機に対して、全面的に擁護する手紙があったといいます。差出人はほかならぬオダネル氏の子息でした。この絆を一つの支えとしてオダネル氏は写真展と講演活動を続け、やがて写真は世界へと伝えられ、テレビや新聞などの報道を通じ、心ある人々の目に触れることになりました。ここまでは先刻ご承知のとおりです。
 しかし、マスコミで大きく取り上げられても、一過性のニュースに終わることは珍しくありません。したがって重要なことは、あの写真にわれわれがなにを見るかでありましょう。解釈がさまざまであることは日本でもだいたい同じと予想がつくことです。
 死んだ弟の遺骸を背に、くちびるを噛みしめて佇立するあの少年に、軍国日本を象徴する「感情抑圧」と「無表情」を見るという人間もいるいっぽうで、先生がお書きのように、「あの少年の凛とした立ち姿がもっとも美しい日本人に思えて仕方がない」と感じる人々もおります。
 しかし、戦争の惨禍がなにをもたらすかが、焼き場に立つあの少年の姿には端的に表われている、と法王は確信したわけです。同時に、その確信には、悲惨のなかに「凛と」して立つ少年をとおして、非人間的な現実のただなかでも人間らしさや尊厳を失わないことへの深い感銘が伴っているにちがいありません。
 さらに言えば、むしろその感銘が、あまたある戦禍の映像のなかから、とくにあの一枚を法王に選ばせた理由であったのかもしれません。そして、先生の二つのブログにおける推理に思いをいたすかぎり、法王の視野にあの写真が最初に姿を現わすことになったきっかけが、福島在住の元修道士から送られた写真と同元修道士の手で作成された文言とにあったという可能性は、けっして低くないと思います。低くないどころか、あれやこれや考えながら推理の過程になおも思いを馳せるにつれ、いよいよそうとしか思えなくなってくるようです。
 繰り返しになりますが、わたしが言う「あれやこれや」の意味の核心にくるのは、なんと言っても次のことです。おとなが理屈をつけて始めた破滅的な戦争に巻き込まれた少年と幼い弟が、理不尽かつ惨めな運命に翻弄されながら、なおも失うことのなかった根源的な威厳といったなにかを、一人の敵国従軍カメラマンが映像として記録し、退役後も秘かに自宅に保存し続け、それを人生の後半にいたってようやく公開しようと思い立ち、世間の非難を覚悟のうえで実行に移したのでした。
 法王が写真に注目したことも、それを拡散することにしたことも、確かに大きな影響力を世界に対して持つことでしょう。しかし、真に感動を禁じ得ないのは、むしろそこにいたる過程であると言わねばなりません。写真に表われた魂を意識的に受け取り、次代へ受け渡そうとする精神、その持続的な粘り強い精神の軌跡ほどわれわれに勇気を与えてくれるものはありません。
 世界の片隅の微塵のような個といえども、うまずたゆまず、人間のなすべきことをなし続けてゆくならば、あるがままの巨大な世界の現実といえども、これにいつかは働きかけ、変える力となることも不可能ではない。一人の人間、一枚の記録写真、一つの歌、権力を持つわけではないそれらが、単独ではにわかに現実への効力を発揮しがたいのは当然としても、戦争拒否の精神に立つ人間同士の、国境も民族も超越した意思がつながり合い、その写真なり歌なりを直接間接の媒介として粘り強く受け継がれてゆくならば、人類の未来にとって好ましく望ましい勢力にきっと育つにちがいありません。二つのブログによる絶句状態からわれに返ったばかりで意を尽くしませんが、以上のようなことをあわただしくお伝えする次第です。
 年が明けてから遠野に帰省しておりますが、おととい午後から強風とともに雪が降りだし、きのうもまる一日風強く、雪が降りしきっていました。いまは風も雪も止んで、ただ静寂が支配し、夜目にも鮮やかな白銀の世界が非情なまでに清浄そのものです。見上げるとオリオン座や北斗七星をはじめ星座が輝いております。冬の凍てつく寒気のなかで星空を眺め上げるのが、むかしからわたしの無上の喜びでありました。数日後には川崎に戻りますが、それまでは故郷の夜空をぞんぶんに堪能することにします。                                            

donkeyhut より  

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

凍てつく遠野の里から への2件のフィードバック

  1. 佐々木あずさ のコメント:

    立野先生、佐々木先生
    大先輩の魂の交流に、胸高鳴らせております。「うまずたゆまず」。何度も反芻します。「うまずたゆまず」。幼子は、理不尽な時代の、理不尽な国に生を受け、理不尽にも命を奪われてなお、その兄は、自身の背中から、不憫な弟の肚に、生の温もりを送り続けたその瞬間、瞬間を想うと目頭が熱く、鼻の奥がつんとしてきます。「うまずたゆまず」。ありがとうございます。生きかたを考える時間となりました。

  2. 守口 毅 のコメント:

    立野さんの深い洞察に感謝します。わたしの胸にズシーンと暖かくも重いメッセージとして定着しました。

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