※以下のものは右「談話室」への阿部修義さんのコメントですが、せっかくですので、ここに全文を移させていただき、合わせて画集から「受難」の一部をコピーしました。もちろんまだ会期中なので、スペイン大使館でぜひ実物の全体をご覧になってください。(佐々木)
貞房先生
10月2日(火)「受難」再訪。
この絵を見るためにここにやって来ました。戸嶋氏のプロフィールを見ると1974年にスペインに転居されたとありました。この絵は彼がスペインに渡って間もなく筆を執った絵です。先ず目立った特徴は、他の絵が黒を基調に描かれているのに、この絵だけがオレンジ、茶、淡い黒、そして白で配色されています。中央に上半身だけの男の横顔があり、その背後に大きな人間の両手だけが描かれています。右手は男の頭の上に、左手は男の肩越しから垂れ下がっていて拳を握っているように見えます。瞑っている目から悲しみの表情が醸し出され、背後の両手は、それとは対照的に慈愛に満ちた手の表情をしています。この男は戸嶋氏本人ではないかと何の根拠もありませんが私はそう思いました。生きることへの、ある意味、深い絶望の中から何かを諦観した男が、打ち砕かれた自我の先に救いの神であるような大きな両手が男をやさしく抱えるように出現するこの絵を通じて、「受難」を超えたところに「希望」が存在することを示唆されたように私は感じます。受付で、再訪の旨伝えると、この「受難」の絵のポストカードをもらいました。そこに、執行草舟氏の言葉が添えられていました。
「いのちが沈むとき、人は根源的実在と出会う。」
「文学の上でも、まず苦難なくしては、決して偉大なものや真に善き作品が作成されたことがない。苦難がはじめて人間の中になみはずれた思想をもたらしてくれる。テニスンやカーライルはそのような例であり、ダンテはさらに大なる実例である。これが欠けている著名の詩人がいるが、彼らの言には真の力がない。『ヒルティ著作集8 悩みと光』より」
戸嶋氏の作品に共通しているものがあるとすれば、人生の「苦難」を徹底的に戸嶋氏自らが真正面から向き合って、そこから発せられた彼の魂の感動に基づいて一つ一つの作品を創作されたことで、それぞれの作品の中に真の生命が宿っているようにヒルティの言葉を思い出して改めて私はそう感じました。