9. 未確認物体 (1981年)



未確認物体



 夕食後の犬の散歩は、私にとって一種神聖なおつとめである。雨が降ろうと、風が吹こうと、まちがいなく出かける。もちろんつらいときもあるが、そんなときでも意地になって出かける。しかし犬はバカ犬である。血統書つきのアイヌ犬であるが、このあいだも道ばたでパンくずをひろい食いしようとしたのを止めたとたん、とびついてきて右手の親指を本気になってかみついた。こっちも本気になってさんざんなぐりつけたが、いっこうに反省の色を見せない。二、三日ほど、三白眼で、鼻の上にしわを寄せて、こちらをにらんでいた。
 散歩の道筋は、機械じかけのように一定している。土手の上の一本道を一キロほど歩いて帰ってくるだけだ。眼をつぶっていても行ってこれる。つまりあるところまで来ると、必ずUターンして帰ってくるから、どこまでも行きっぱなしということにはならない。折り返し点は、判で押したように決まっている。「ハングリー弁当」と書かれた看板が土手下に見えるところで折り返すのだ。初めてこの立て看板に気づいたときは、読み違えたのではないかと思った。しかし何度読み返しても、たしかに「ハングリー弁当」と書いてある。土手下の原っぱに野球をしに来る人たちを当てこんでの弁当作りだろうが、そのものズバリのハングリーには恐れ入った。
 この一キロばかりの土手道を歩いていると、毎日何やかやの発見がある。トレーニング・パンツをはいた若者が、ひとり黙々と走ってくるのとすれ違う。よっぱらいがいまにも土手からころげ落ちそうになりながら、際どいところでバランスをとっているのに出くわす。しかしこれは発見でも何でもない。私の言うのは空にときどき変なものを見ることがあるということだ。先日見たのは、もしかするとUFOかも知れない。西の空が、つまり私の行く手に当たるが、一点急に明るくなったと思ったら、電車の形をした物体が赤く光りながらじっとしている。そのときは十歳になる息子もいっしょだったから、私ひとりの眼の錯覚ということはあり得ない。息子はこわがって私の手にぶらさがった。よほど恐かったらしく、手がふるえ、冷たくなっていた。沈んだ太陽の光が、何かの都合で屈折して、それがまわりまわって最後に、電車の形をしたちいさな雲に反射したのかも知れないと、帰り道何度も振り返ってみたが、決してそんなものではなさそうだ。もちろん犬は下ばかり見て歩いていたので、証人にはなりえない。
 その夜は、ラジオやテレビに注意していたが臨時ニュースはなく、翌朝の新聞にも何の報道もなかった。だれかがひそかに手をうったらしい。


清泉女子大学スペイン語学科
学会誌「フェンテ」第十三号、一九八一年


【息子追記】「ハングリー弁当」の看板、思い出した。近くが駒大の砧本村のキャンパスで、学生の需要も高かったのかもしれない。