病室から(その二十六)馬糞石の話

八月二十六日(水)晴れ

 午後一時。今しがた、これから不在者投票が五階会場で行われます、各病室毎に看護師が案内しますのでご用意ください、とのアナウンスがあった。昨日書いたように今回は棄権する。こちら選挙どころではない(などとその重要性を張り合うつもりはないが)、昨夕からオシメではなく便器で排便するトレーニング中で、先ほど小だけであったけれど見事成功したところだ。いま少し便秘気味で、朝方ウンコを掘り出す作業で疲労困憊した。早く便秘が終わり、大小とも順調に便器でやってくれることを祈るばかり。
 何? なにを下らないことを、とおっしゃるのか。いやー、人間とどのつまり(それ早くも詰まりなどと申すじゃろ)肝要なのは食うことと出すことなのじゃ。ここで、もう何度か言ってきたことでもあるので、終末と糞尿譚とのいとも崇高な関係(ちなみにスペイン語ではともに escatología と言うんじゃ)についてウンチク(そらね、またウンチだろ)を傾けるつもりはない。でも一つだけ昔の話。
 むかーしむかーしのことじゃったが、何日も何日も出なかったことがあってのー。あるとき、おっ、ひょっとして今がその時かな、と便所に駆け込んだものじゃ。でもそう簡単に出るもんじゃーないわさ。小一時間もそうして便器の上で孤軍奮闘(奮闘のフンは昔は糞と書いたものじゃ、もちろんウソだがな)のすえ、お尻がぶっつぁけるかな、と思った瞬間出ましたがなー、大―きな大きな長円形のものが。それはそれはみごとな、ほれぼれするようなウンチ様でした。だれかの短編で読んだような気がしますが、それを馬糞石と言うそうな。
 あれあれついに語っちゃいました。でもおかげさまでここ数日、頭の芯に溜まっていた疲れが一気に取れたような気がします。まっことアリストテレスは偉いもんじゃ、浄化と排泄の密接な関係を理論づけましてな、つまりそれがカタルシスでんな。ゴメンナサイ、もう本当にこれで止めます。
 疲れ、って先ほど言いましたが、これが実に奇妙な疲れでして。愛妻のためにもう一か月も病院に泊まり込んでる模範的な旦那さん、というのが、まあ自分で言うのも気がひけますが、世間様の見るところでござんしょう。でもねー実際は、さっきのウンチ談義でもお分かりのように、決して美しい、きれいごとづくしじゃごさいません。
 たとえばですよ、献身的なだんなに向かい、病身の奥さんが、「おまえさん、すまないねー、こんな迷惑かけちまって」なんて少し涙目になって礼なんて言われようもんなら、日頃の疲れなど一瞬のうちに飛んでも行きましょうが、残念ながら認知症を患っておりやして、ああだからこう、などという論理的因果的思考ができなくなっております。たとえばですよ、あゝ今日こそは食事の終わりまで機嫌よく食べてほしいと祈るようにして始めた食事も、途中からその姿勢ではどこかが痛くなるのか、だんだん不機嫌になり顔をしかめます。どこが痛いの、と聞いても、あらぬ方を向いてわけの分らぬ泣き言を並べます。
 たとえば排便のときです。そろそろ便意を催しているころかな、と声をかけますと、したいような素振り。うんこなのおしっこなの、と聞いても返事ができません。ともかく苦労して便器に座らせても、一向にする気配をみせません。もちろん三回に一回は、みごと予想した通りの結果を出しますが、でもその時であっても、もう終わったの、まだなの、という問いかけには不得要領の答えしか返ってきません。
 要するに通常の会話が成り立たないことからくる不思議な疲れがどんどん溜まってゆくのです。それでも歩けるようになれば、彼女とて気分転換になるでしょうし、もちろん私も不要な疲れが蓄積するようなことは少なくなりましょう。そうです、ともかく一日も早く歩けるようになって、私もこの「病室から」を書かなくても済むようになりたいのです。

葛西善蔵の小説でした。しかし本当は人糞ではなく、ウマの腸内にできた結石で、江戸初期、異国産の薬としてヘイサラバサラの名で渡来したそうな。さらに言うと、それはポルトガル語の pedra(石)+ bezoar(結石)から転訛したもの。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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