エイブの転進

今回の「談話」騒動、健康に悪いのでテレビもネット新聞も見も読みもしなかったが、その点、若くてタフな盟友ハビエルはしっかり見ていたようだ。先ずこんなメール(スペイン語で)を寄こした。

「やあ先生!今日エイブはどんな pastiche(佐々木注: フランス語で寄せ集め、ごたまぜ)を発表しますかね(【エイブ】はアブラハム・リンカーンのニックネームでしたが、彼自身はそう呼ばれることをひどく嫌ってました)。」

 次は正真正銘、彼の見事な日本語です。

「先生、安倍談話、聞きましたか?Ja, ja, je, je, ji, ji, jo, jo, ju, ju(佐々木注: スペイン語では ja, je などはハ、ヘと発音される) いろんな笑い方ができますね。「植民地」は出てきましたが、西洋諸国による植民地支配のことで、日本の「韓国併合」など何も言っていませんね。特に、「侵略」という単語の入れ方は絶妙ですね。別に日本が「侵略戦争」しているとは、思っていないみたいですね。さすが、さすが。
 私はよく「こうかつ(狡猾)」と「こうけつ(高潔)」とを間違えたりしますが、これは「こうかつ」の方ですね。¡¡Qué asco!!(佐々木注: ムカツクー)J.」

 さて、ここからはハビエルさんの毒舌に煽られた「先生」のコメントです。先ず安倍のローマ字表示が Abeで、Abrahamの愛称と同じだったとは迂闊にも気づかなかった。これいただきます。これからは彼をエイブと呼びましょう。アメリカべったりの彼は喜ぶでしょうが、墓場の中のエイブは嫌がるでしょうなー。
 さっきも言いましたが、健康に悪いのでエイブの談話、テレビの画像やネット新聞でちらっと見ただけですが、ハビエルさんの言うとおり、歴代首相の言葉をうまく継ぎ接ぎしてますなー。しかも主語として発言してませんぞ。たとえば

「わが国は先の大戦における行いについて、繰り返し痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンをはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。こうした歴代内閣の立場は、今後も揺るぎないものであります。」

 エイブがこの文章の主語「わが国」「歴代内閣の立場」の中に入っていないことは、これまでの彼の主張や実際の行動から見ても明らかでしょう。肝心なところで彼は透明人間に早変わりです。彼のシンクタンクである右翼勢力への配慮が見え見え。簡単に言えば、謝りたくないのに、謝らないと支持率がさらに下がり、関係各国から圧力がかかることを懼れて、なんとかその場しのぎをしようとの魂胆ありありの文章です。だったらやめればいいものを、その勇気も無いままのグダグダの文章です。元教師の私の採点では落第点のDすれすれのC+です。もとい! やっぱDかE(そんなの無いか)でしょう。いやそんなことより、卑怯で不誠実な単なるパフォーマー(カッコマン)であることが、じんわりと浮かび上がってくる文章です。四つのキーワード(思い返すのもカッタルイから書きません)を埋め込んだまさにパスティーシュです。
 ぱっと見には「揺るぎない」などという殺し文句に騙されそうになりますが、それも内実を伴わない美辞麗句であることはこれまでの彼の言行に照らし合わせればすぐ見抜けます。今回の談話の中にはまさか無いと思いますが、もし彼が「断腸の思い」などという言葉を使ったとしても、あっ使ってました使ってました!、それは彼の持病「潰瘍性大腸炎」のちょっとした手術のことを大げさに言っているのだと思って間違いありません。
 ですから昨夜のテレビが、安倍首相の談話を自宅で見守っていた老婦人について「二度と惨禍を繰り返してはならない」との言葉に安堵(あんど)の表情を浮かべた、などと報じていて、一瞬目の前が暗くなりました。こういう「無辜の民」がわんさか住む国になっている、と暗澹たる気持にさせられたからです。そのうち進軍ラッパが鳴って、またぞろ戦場に駆り出される「無辜の民」。
 ああそうそう、表題の「エイブ」の方はお分かりいただけたと思うが、「転進」についてはまだ説明してませんでした。辞書を引くとこう出ています。

「軍隊が、戦場または守備地から他へ移動すること。第二次世界大戦中【退却】の語を嫌い代わりにこの語を用いた」

 つまりエイブの当初の目論見が、支持率急落などの四面楚歌(とまでは残念ながらまだ行ってませんが)の中で急遽一時退却を余儀なくされてのあの「談話」となったわけだが、彼ならびに彼の取り巻き連中にとって(つまりかつての大本営よろしく)、それはまさに退却ではなく「転進」とみなしてることだろう、と言いたかったわけです。
 さて皮肉屋のハビエルさんに刺激されてここまで書いてきましたが、やはり残るのはなんとも遣り場の無い怒りであり、底知れぬ空しさである。ここらで「転進」しましょう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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