超弩級のペテン

超弩級(チョウドキュウ)などという形容詞はもはや死語だろう。しかし20世紀そして今世紀になおも続く最大のイカサマを形容するために敢えて引き出してきた。もしその言葉についてご存知なければ、右の検索エンジンで検索していただこう。
 いや、このロートル瞬間湯沸かし器がとっくに沸点を通り越して、いまやジュクジュクとなんとも情けない音を出している。馬鹿な政治家の連発するシュクシュクじゃありませんぞ、可哀想にジュクジュクとです。何に反応した、ですって? もちろん川内原発の再稼動にです。
 実は二日ほど前、或る新聞から、それに関してインタビュー-を受けたのだが、それとは別にこの場所でもぜひ言いたいことがある。先にお断りしたとおり、それでなくともこの酷暑の中、怒り心頭に発しているので、支離滅裂な文章になるかも知れない、とあらかじめ申し上げておく。
 先ほどネットで地元福島の被災者のコメントを見ていて、一気に沸点に達した。つまり安全を担保にして再稼動に踏みきったんでしょうから、いいんじゃないですか、だとーーーーーーーーっ。ぬるま湯で蛙にションベン引っ掛けられて笑ってるアホかーっ。放送記者は意識的にこんなバカ被災者を選んだのか?
 安全基準云々の問題以前だっちゅーの!原発そのものがキケンでありインチキでありペテンそのものだと、なぜみんな言わないんだろう?
 もう繰り返すのもカッタルイが、安全基準どうのこうの以前の問題だということだ。たとえ安全に操業させたとしてその廃棄物どうするの? 地球に穴ぽこ掘って埋めるんでしょ? これまで何度も使われてきた喩えだけど、超豪華なコンドミニアムかなんかの最上階からウンコをポタポタ下に落とすだけで、その処理を誤魔化してるのとどこが違う?
 「長崎の鐘」で有名なカトリックの物理学者・永井隆は確かに偉い人でしたでしょう。でも彼が遺児たちに「人類はこれまで薪、石炭、石油、電気の時代を生きてきたが、これからは原子力の時代だよ」と言い残したそうだが(正確な言葉を彼の著書から捜してもいいが、暑くてカッタルイのでご勘弁)、彼の見込みは完全な間違いでした。つまり原子力の平和利用なぞ完全なインチキなんです。
 中世の錬金術や不老長寿の薬以上のインチキ。これに反論ある奴、さあ言い逃れしてみろ! 錬金術や不老長寿への夢は副産物として化学や物理学、そして医学に多大の貢献をしてきたことは認めよう。でも20世紀の「錬金術」の副産物はナーニ? ビンゴ! 核兵器でーす。
 原発推進のアホ代議士も明言しとったです。原発技術のノウハウは核兵器製造のいわば「タンポ」です、と。仮設住宅のアホ被災者も言っとりました、安全を「タンポ」に、と。
 あゝタンポ、タンポ、、、、安全をタンポにだとーっ!
 チッキショー、この酷暑の中、湯タンポでも抱いてけつかれーっ!
 すみません、やっぱり湯沸かし器故障したようです。さっきはジュクジュクでしたが、いまやシューシューと心細い音に変わりましたとです。このままそっとしときましょ。

※蛇足
 クリーン・安全・安心でしたっけ? これ完全なインチキです。その事実を繰り返し言わなければなりません。原子力村の学者さんたち、知能指数は高いけれど、人間としての知恵力はまさに低脳でしょう。彼らのいうクリーンで安全な原発、つまり廃棄物の再利用も含めての全工程表が未完のまま踏み切り発車をしたことはどんな詭弁を弄してもゴマカシでありハッタリです。もう何度も言ってきたことだけれど、彼らの思考回路にはオルテガの言う往還の回路が欠落している。つまりどんなに高度な計算能力、緻密な思考をめぐらしても、「それが人間の真の幸福にどれだけ寄与できるか」という大切な問いかけにフィードバックする大事な、大事な回路が欠落してます。これほど明々白々な事実をなぜ人は繰り返し指摘しないのでしょうか。並以下の知能指数しか持ち合わせていないこの元老(ゲンロウじゃなくモトロウ)教師から見ても、原発推進論者は救いがたいアホどもです。埴谷雄高大先輩の言葉をお借りすれば、彼らグレーツ極まりないアホどもです。どうだ、反論してみーい!
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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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超弩級のペテン への3件のフィードバック

  1. 守口 毅 のコメント:

    猛暑日連続8日がようやく途切れたと思ったら、さらにヒートアップさせる川内再稼働が伝えられ、もうトタン屋根の上の猫です。兄いのコメントに一切の反論なし!
    核兵器のその後について、ローマ法王フランシスコが先日”人類への犯罪”であり”広島・長崎から人類は何も学んでいない”と、明快な発言をされてましたが、被爆国の政治はと見れば、アメリカの核の抑止力に頼り切った安全保障であって、まったくねじれています。他の国への主張になんの重みもありません。それに覆いかぶさるように国中にはびこっているのが、無責任の跋扈です。国を国民を切り裂き、一部を売り渡してもなんの痛痒を感じない連中が、いっかな権力を握りしめています。
    私は兄いの体調を心配しつつも、アイデンティティーの深みにまで到達している沖縄辺野古の基地移設問題に注目しております。とことん暑い夏ですね。

  2. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    わが愛する舎弟よ

     現ローマ法王はフランシスコでイエズス会士、不肖貞房は同じく洗礼名フランシスコで元(!)イエズス会士、比較するなんて滅相もありませんが、でも法王にはもう一歩踏み出してほしい。つまり上出さんの領域ですが原発容認は未必の故意っちゅうやつでがんしょ?この私、法律には無知もいいところですが、でも犯罪である事は間違いない、でしょ?
     もう一つ、超弩級の parallelism(これは友人のハビエルさんの指摘です)。二代前のイエズス会総会長 Pedro Arrupe さんはヒロシマ原爆被災者で『私は原爆を生きた(Yo viví la bomba atomica)』という本を書きました。不肖貞房は『原発禍を生きる(Vivir el desastre)』を書きました。どうです、表現が酷似してるでしょ。偶然の一致ですが、面白いしょ。

  3. 上出勝 のコメント:

    佐々木先生

    確かに「未必の故意」と言えるかもしれませんね。
    人混みに向かって石を投げる際、「あたるかは確信は持てないが、多分あたるだろう、あたってもかまわない」と思って敢えて石を投げるのが未必の故意ですから。
    福島の事故の前までは言い訳ができたかもしれませんが、すでに事故が発生しています。巨大な厄災を生み自然や人心を徹底的に破壊するという結果について「未必の故意あり」と言えるかもしれません。
    原発再稼働の問題で刑法の用語が出て来るとは思いませんでした。すこし驚きました。

    ところで、最近別のことで驚いたことがありました。
    先日ラジオを聴いていたら、童謡の『あの町この町』が流れて来ました。野口雨情作詞、中山晋平作曲のあの有名な歌です。何十年ぶりかで聴いたのですが、「えっ、これ反戦歌だっけ?」と思いました。
    作られたのが1928年、昭和3年で、張作霖暗殺事件があった年です。3・15の共産党弾圧事件もありました。そういう世相です。

    あの町 この町
    日が暮れる 日が暮れる
    今きたこの道
    かえりゃんせ かえりゃんせ

    お家がだんだん
    遠くなる 遠くなる
    今きたこの道
    かえりゃんせ かえりゃんせ

    お空に夕べの
    星が出る 星が出る
    今きたこの道
    かえりゃんせ かえりゃんせ

    この後日本は戦争への道をまっしぐらに進みますが、この歌はまるで時代に抗して「ひきかえせ」と言っているかのようです。
    野口雨情のことはよくは知らないのですが、ネットで調べてみたところ、この童謡を反戦歌として解釈する見解はやはりあるようです。
    同じ雨情の『七つの子』のカラスは炭鉱で働かされる朝鮮人を意味しているとの見解もありました。
    雨情の『シャボン玉』についても、以前小沢昭一さんが、お女郎さんの心境に立って歌ったものだとお書きになっていたと思います。
    実際のところはどうかはわかりませんが、雨情が弱い人たちの側に自分をおいていたことは確かなようです。
    若い頃は、キリスト教社会主義的な反戦の詩も書いていたようです。

    そうすると、雨情が反戦歌として『あの町この町』を書いたとの説もハズレとも言えないような気がします。

    この歌どう読んでもヘンな歌です。子供に危ないから帰れと言っているだけの歌です。
    でも、当時の日本の行く末を心配しての雨情の思いを託したものと解釈したらすとんと落ちる歌です。

    しかも、この今の日本の世相にぴったりです。
    戦争法案、原発再稼働。
    今きたこの道、帰りましょう。日が暮れてきた、星が出てきた、おうちが遠くなる、危ない、早く帰りましょう。平和からだんだん遠くなっていく。今からでも遅くない。早く帰りましょう。早く帰りましょう。

    私にはそういう歌に聴こえます。

    安保法制しかり。原発しかり。

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