病室から(その三十三)こんなに遠く

九月二日」(水)曇り時々晴れ

 さてお約束のイラン映画『こんなに近く、こんなに遠く』だが、さあ何て言えば良いのだろう。先日のカンヌでグランプリを取ったという『桜桃の味』よりはるかに出来がいいと感じた、途中までは。しかしこう立て続けに不思議な、というかまずい終わり方をする映画を見せられると、イランには起承転結とか大団円とかいった概念がそもそも無いのでは、などと考えてしまう。
 ストーリーは『桜桃の味』同様、極めて哲学的と言ったらいいのか、人生論的と言ったらいいのか、ともかく生や死について考えさせられる内容になっている。マスウード・イーガン演じる高名な脳外科医が主人公である。彼はひとり息子が手術不可能で致死的な脳腫瘍を患っていることを知ってしまう。息子は天体観測愛好家グループと砂漠に出かけてしまったので、表向きは誕生祝いに天体望遠鏡をプレゼントするという名目で、車で彼の後を追う。道中いろんなハプニングがあってなかなか追いつけないうち砂嵐に遭い、砂の中に閉じ込められる。あわやこれまでかという瞬間、捜索に来た息子に救出される。レザ・ミル・キャリミ監督の2004年の作品である。
 先ほども言ったように、結末部分がどうもいただけないのだが、しかしここでも果てしなく続く砂の容量に圧倒される。映像的にも実に美しい。こういう自然の中で、人は哲学的にも神秘家的にもなるのだろうか。題名の意味は、砂漠の夜空の星が手に届くような近さに見えながら、実は何千光年という気の遠くなるような遠さにあるように、近くにいるはずの自分の子供が、忙しさにまぎれていつの間にかはるか遠い存在になっていることを含意させているらしい。最後まで息子の姿を出さない(閉じ込められた車内で見る昔撮った映像の中にわずかに顔を出すが)手法は効果的だが、途中寄る村の若い女医が実にいい。
 それにしても出てくる女性がみなエリザベス・テイラー並みの美女であるのはどうしたことか。以前南回りの外国旅行で、小象が親象の正確なミニチュアであるように、アラブ系の子供たちが小さいのにすでに親たちの顔の輪郭を正確になぞっていることに驚いたことを思い出した。つまり、河目悌二描く子供たち(古っ!)のように幼児特有のプロポーションをした顔ではなく、やけに彫りが深いということ。羨ましいけれど、アラブ人にしてみれば、日本人のように平べったい顔が好ましいのかも知れない。どこかの国では、鼻を低くする整形が流行ってるそうな。いっすなー、世界にはいろんな顔や文化があるっちゅうのは。
 ところで例の締切の過ぎた原稿のことだが、たぶん結末部分はこんなものになりそうだ。

 「小川暁夫さんは父国夫氏を構えのない人と評しました。何十年も身近に氏を見てきた人の言葉に逆らうのはそれこそ烏滸の沙汰でしょう。でもあえて言わせてもらえば、実の子をも錯覚させるほど、彼はその独特な構えを自然体にまで高めた、と言ったら言いすぎでしょうか。つまり彼は剣の使い手のように、生に立ち向かう独特な構えをいつのまにか編み出していたわけです。小川教に惹かれる人が跡を絶たないなどと言えば、なにかはた迷惑な宗教のように聞こえるかも知れませんが、けっしてそんなことではありません。信徒たちは先ず徒党を組みません。みな連帯することなくひっそりと教祖を仰ぎ見ます。ご利益、そんなものを求めて門を叩いたのではありません。生という崖をよじ登ることにかけて彼以上の師は他にはいないからです。苦しい姿勢から次の手掛かりへとよじ登るその間合いと力の入れ具合を彼がまず実践して見せてくれたからです。もちろんこれらすべてを、言葉に向かって、そして言葉によって達成したことは言うまでもありません。
 文士という言葉は、たぶん現在は死語に近い言葉でしょう。でも彼は自らを文士と呼んではばかるところがありませんでした。しかし小川教とか文士とか、彼が何かを教え諭す者と自分を考えていたと考えればそれは誤解です。自分の不器用な生き方から学べるものがあれば学んでほしいと願っていたにすぎません。その意味で、彼と郷里を同じくする若者たちは実にいい先達を持っていることに気付かなければなりません。いやすでにじゅうぶん気づいているように思われます。生前、静岡新聞社が出版したDVD入りの『故郷を見よ 小川国夫文学の世界』という本があります。50ページほどのものですが写真や絵入りの大判の本です。それを見ると、小川国夫は生きている時から、すでに伝説を作り上げた人であることがよく分かります。先ほど言った構えのある人の真骨頂がたくまずして顕れ出ています。ちょうど能のシテのように、しかし鳴り物抜きで、人々や風景という書き割りの中の、もっとも自分にふさわしい位置を静かに占めています。
 小川国夫は勁い人であったと同時に、実に幸福な生を全うした人と言わなければなりません。羨ましいことです。さてこれで今日の、いつものように準備不足の拙いお話を終わります。」

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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病室から(その三十三)こんなに遠く への3件のフィードバック

  1. SHIHO のコメント:

    Buenas tardes.

    Es dia de lluvia hoy.
    Yo tengo el frío.
    Cuide de usted y su esposa.
    Yo debo no llegar tarde la clase hoy.
    (Yo no llegaré la clase tarde hoy.)

    ↑↑↑ ¿Cuál frase es buena?

    Con permiso.
    Shiho Kamada

  2. アコ のコメント:

    シンポジュームの最後に、貞房氏が「隠れフアンはいないか」と言われました。“隠れ”の言葉に胸がドキドキしました。で、そのとき、初めてフアンを口外したのです。徒党を組まない点で「島尾」もまた同じ読み方をしました。カミュを訪れたときも、不条理の範疇で小川と島尾を感じていたことを思い出しました。

  3. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    Muy buenas.
    さてシホさん、今手もとに名簿が無いので、名前の漢字が分かりませんが。ともあれ、よくがんばって書きましたね。これからもどんどん書いてください。意味は完全に分かりますが、ちょっと直しますと
     Yo tengo frio.で定冠詞はいりません。
     Cuidese de usted y de su esposa. cuidarse と再帰動詞として使ったほうがいいのですが、貴女はまだ再帰動詞の勉強をしていなかったですね。
     no は debo の前。la clase の前に前置詞の a があればいいですね。
     buena の代わりに比較級の mejor がいいでしょう。!Mucho animo!
    あっそれから、これからは私のアドレスを教えますので、そちらに直接メールしてください。よろしく!

    アコさん、コメントありがとうございます。あなたのお気持、よく分かります。

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