病室から(その三十二)続・介助と暴力

九月一日(火)曇り時々雨

 とうとうコルセットが届いた。到着時・装着時には居合わせなかったが、中世の貴婦人たちが身につけていたであろうものがその始まりと言われるコルセットである。フランス語で言われるとなにやら艶めかしいが、傷者用のそれはほとんど首の下から腰あたりまでの、マジックテープで固定させる極めて実用的な道具である。
 さてこれから私には、手術前の排便の習慣に徐々に戻していくという難事業が待っている。つまり手術後、尿は管で、大便はおしめにする期間が一か月も続いたので、元に戻すのが意外と厄介なのだ。現に今日も、大小ともにやってないことを聞いてから便器に坐らせようとしたのだが、すでに大も小もやっていた。そういう言葉でのやり取りができないことで、難しさは尋常ではなくなる。
 排便のことと直接の関係はないが、ついでだから先日の介護と暴力の問題にかかわる話を続けたい。たとえばこんな話から始めよう。看護師さんに便の世話をしてもらうときのことだが、とうぜん恥ずかしいことだし嫌なことなので、認知症ということを考えるとある意味で当然の反応だが、きわめて反抗的になるときがある。さてそんなとき、私はどうするか。たいていは黙って見守り、汚い作業を終えた看護師さんに妻に代わって感謝の気持ちを表明するのだが、時にはあまりに我儘なので、看護師さんが去ってから妻を諌めることがある。そんなとき一向に反省の態度を見せないので思わず平手で頬を打つことがある。
 認知症だからと半ばあきらめて放置すべきかどうか。いまのところ私の見解はこうだ。間もなくこの世を去る人なら、もちろん病気に免じてすべてを受け入れてやるべきだと思うが、これから何十年生きていかなければならない人に対してなら、普通の人よりずっと理解力がなく、また同じことを繰り返すかも知れないが、時には頬を打つ程度のことは許されてもいい、時にはそうした方がいい場合だってある、と思う。不思議なもので、そうされているあいだ、そして後も、神妙にこちらの言葉を聞こうとすることだ。つまり少なくともこちらの本気さが分かるということだろう。
 ただこちらには遣り切れなさが後を引く。最近自殺した若いタレント、確か清水由貴子とかいった素直な女の子のことを考えることがある。母親の看病疲れだと報道されたが、彼女はその遣り切れなさに負けたのではと憶測する。こちらの話が伝わらないもどかしさ、病気ゆえに罪はないのだが、それでいて憎たらしいまでの反抗、つい手を出してしまったあとの無念さ。
 ともに生きていかなければならない以上、たとえ意志の疎通が難しかろうと、そして本人には責任能力が欠けていることも斟酌したうえで、やはりときにはこちらの怒り・無念さを態度で表わすことも許されるのではないか、と思う。もちろん程度がある。それから一度手を出してしまうと歯止めがきかなくなる危険性がある。たえずフィードバックする、振り返って反省する必要がある。ただし過度の反省も禁物。疲れを蓄積させない工夫が必要となる。そのためにはやはり周りに自分の悩みや愚痴を聞いてくれる人、ときには肩代わりしてくれる人が不可欠となる。
 老老介護の果ての殺人の話が時おり新聞に載る。以前なら目にも止まらなかった記事だが、最近は大いに気になる。そこまで追い詰められたことの怖さが他人事でない。出口の見えない絶望感が分かるような気がする。もちろん分かることと実際に手を下すことの間には、たとえばビルの屋上から下を見て飛び降りたらと想像することと、実際に手すりに上って飛び降りることとのあいだと同じくらいの距離がある。が、ある極限状況ではその距離が一瞬のうちに消えてしまうこともある。
 真面目に本気に介護すればするほど、つまり相手のことを思って真剣に向かえば向かうほど、それに応じてくれない無念さ・はぐらかされた怒りが募ることは容易に想像できる。先日の聖者のような人ならまだしも、凡人にそのとき許される想像が一つある。つまり相手は、こと判断力に関しては<壊れている>と考えることだ。こうなっているのは本人の意志でも本意でもない、と考えること。
 喜多方の介護士のことも時おり思い出す。彼は介護士という尊い仕事に就いたことがかえって仇となって、相手や相手方の家族に償うことのできない損害を与えたと同時に、自分の愛する人や家族にも取り返しのつかない不幸をもたらしてしまった。あのとき、あんなつまらないことにこだわって、許せなくて、ついかっとなってしまわなければ、こんなとんでもない事態にならなかったのに……
 いやー介護と暴力、底が深いです。えっ私のことが、いや私の奥さんのことが心配になってきましたって? 心配しないでください、こうして自分の生活を報告していることで精神のバランスをとってますから。書かなくなったら危険の兆し、そうかも。だから毎日しっかり読んで見守っててくださいな。
 最後は脅しめいたこと書きましたが、冗談ですよ。本当は例のイラン映画について書くつもりでしたが余白が無くなりました。何? そんな気配りイランって? またまた私を乗せようとそんな下らぬダジャレまで。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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