いささか憂鬱な苦言

もちろん歳のせいでもあろう、最近いろんなことに対して今まで以上に(?)短気になってきた、つまり堪(こら)え性がなくなってきたのである。例えば次のようなことに対して。
 このところタブッキの作品、特に最初に読んだ「レクイエム」に感心して、いくつか彼の作品を読み進め、さらには雑誌「ユリイカ」の特集号を2冊取り寄せ、いつものように厚紙で補強して布表紙の合本にするなどかなりの入れ込みようだった。しかし同じ頃に購入した『時は老いをいそぐ』(和田忠彦訳、河出書房新社、2012年)が同一の作者によるものとは思えないほどつまらない作品群(まだ全部は読まないが)なのだ。「レクイエム」でえらく感心した、あの複数の登場人物の対話の場面もこれらの作品に来ると、ものすごく分かりにくいものになって、今しゃべっているのは誰なのか皆目見当がつかなくなる箇所が頻出する。健ちゃんの『晩年様式集』の方がまだ分かりやすい(失礼!)と言えるほどに。
 もちろん(とここで謙遜の意味で同じ言葉を再度使わせてもらうが)これは一部、私自身の加齢現象のせいではあろう。しかしたぶんかなりの確率で、だれでも同じ感想を持つのではないか。これには二つのことが考えられる。すなわち訳者の力量不足か、あるいは作者自身の小説作法の退化か。おそらく二つともが関係していると思うが、しかし「レクイエム」が書かれたのが1996年、「時は…」は2009年、つまりタブッキの53歳と66歳の時の作品だから、それほど急速に劣化(失礼!)するとは思われないので、かなりの責めを訳者が負わなければなるまい。手元に原文がないし、あっても読めないのでその点の判断は保留するが。
 そんなこんなでどうも気分がよろしくなく、何か別のものを読んでスッキリしたいところ、たまたま目に入ったのが先日取り寄せたばかりのボルヘス『ブロディーの報告書』。これは新書版になったものだが、以前のB6版のもの(出版社も訳者も同じ)は静岡時代に学生に貸したまま戻って来ていないのに気づき、急遽取り寄せたものだ。しかしこれから書くことがその大先輩の訳者批判になるかも知れない(いや確実に)あえて名前を伏して話を進める。
 短編集の最初にあった「じゃま者」の訳文についてである。「語り伝えられるところによれば、ネルソン兄弟のうち弟の方のエドゥアルドが、1890年代にモロン(ブエノスアイレス市郊外の郡)で病死した兄クリスチャンの通夜の席で、すすんでこの話をしたということだが、これはどうも眉唾くさい。」という書き出しから、読者ははや濃密なボルヘス的世界に引き込まれてしまうのはいつもの通りである。ただ初めからいちゃもんつけるようで心苦しいが、そしてそれは多分にタブッキから引きずっていた気分が作用したのかも知れないが、その弟の話というのができれば秘しておきたい内容、つまり兄弟二人で一人の女を殺した話なので、「すすんで」は「問わず語りに」というか、つまり「隠しおおせずに」の意味が出る訳語がなかったのだろうか。また「眉唾くさい」は「眉唾物だ」くらいが適語じゃないだろうか。
 実はこれから書くことの裏を取りたくて貞房文庫にあるはずの原書を捜したのだが見つからず、万が一あとから原文と比較して自論を訂正しなければならないときは、隠さず再度報告するが、今のところ原文を横に置かなくても大きく間違えることはあるまい、と更に先に進む。
 いやいやこれから問題にしようとすることからすれば先の二つの訳語ことなどほんの些細なことで無視しても構わない。この短編の内容は、要するに二人の仲のいい兄弟がフリアナという一人の女を巡って対立しながらも、最後は兄が女を殺し、弟の方もその兄を許して兄弟の絆を修復するという物語で、ボルヘス的世界特有の濃密な因習と血縁の世界、もっとはっきり言えば旧約聖書的な世界が描かれている。
 いま旧約聖書的世界といったが、作者は「教区司祭の話では、ゴチック文字で印刷されたボロボロの黒表紙のバイブル…家じゅう探しても本はこれ一冊だけだった」と書いてさり気なく伏線を張っていた。
 さて問題の箇所は、兄弟のいさかいの原因たるフリアナを娼家に売り飛ばしたはいいが、その後も客として二人は別々に隠れてその娼家に通うので、そんなことならいっそ買い戻そうと、再び女を買い戻す。「ふたたび前の状態に戻った。あの不埒な解決策は失敗に終わったのだ。兄弟もいったんは互いに欺き合うという誘惑に屈した。カインがあたりに姿を見せたが、しかしニルセン兄弟の愛情は深かった」。
 それまで一回も出てこないカインの名がそこに突然出てくるが、その場かぎりだ。さーて皆さんはどう思われますか? いやそれ以前に訳者はどう思ったのかが気になる。
 問題は不適切訳とか単純な誤訳とは違う。つまりこの作品の根幹に関わる問題なのだ。
先ほど旧約聖書的世界といったことを思い出してほしい。つまりこの話は「カインとアベル」の物語の現代版あるいはゆがんだ形のパロディーなのだ。パロディーと言ったわけは、旧約聖書では弟の捧げ物だけが神に嘉せられたことをねたんだ兄のカインが弟アベルを殺したのだが、この現代の兄弟は自分たちの結束を固めるために哀れな女を生贄にしたからだ。
 さて、とここで再度言うが、問題は果たしてどれだけの読者がそのことに気づくか、もっときついことを言えば、果たして訳者はどこまでこの話を理解していたか、ということだ。私など足元にも及ばない実績のある偉い訳者だから、もちろん例の伏線のことは承知していただろう。しかし文化が違う言語への翻訳の場合、そしてこの場合はゆがんだ形であれ聖書の教えが血肉と化している文化の産物を翻訳する場合、ここらあたりのことをしっかり押さえてほしい。
 文学作品に訳注はそぐわないとしても、せめて解説あたりでさらっとでも指摘してもらいたかった。また作者はいわばサブリミナル効果を狙って「カイン」という言葉を入れたのかも知れないが、それだったら他にも数か所「カイン」という言葉を挿入してほしかったし、訳者にもそのあたりのことを解説してもらいたかった。
 少し長くなったが、以上のことと関連してもう一か所だけ指摘しておきたい。作品集の最後から二番目にある「マルコ福音書」のこんな場面はどうだろう。これも陰惨な事件が内容だが、その要約は端折らせてもらって、問題の箇所で、主人公の父親についてこう書かれている。

「彼の父親もいわゆる自由思想家で、彼にハーバード・スペンサーの思想を吹き込んだ。しかし母親は、モンテビデオに旅立とうとする彼をつかまえて、毎晩、父の祈りを唱え、十字を切るようにすすめるような、そんな女だった」。

 さて「父の祈り」とは何でしょう? 彼の父親、まさかね。では誰? カトリック教徒ならすぐ分かることだが、これは「天にましますわれらの父よ」で始まる「主祷文」、つまり聖母マリアに祈る「天使祝詞」とともに、最も大事な祈祷文のことである。でも普通の読者はそれが分かる? そういう祈りを唱えなくなってから何十年にもなるこの私にも自明のことだが、果たしてどれだけの日本人がそれを理解できるだろう。ここはせめて「天父の祈り」くらいの訳語を当ててほしかった。
 以上、タブッキ体験から続くブルーな気分の中でのつぶやきでした。

※ 6月3日の追記 夕食前、本の整理をしていたらボルヘスの『ブロディーの報告書』の原書が出て来た。問題の箇所を見てみると、まず「邪魔者」の冒頭だが、「すすんで」などという言葉はどこにも見当たらない。次にカインだが、確かに訳されているように唐突にカインが登場するが、これは読者がとうぜん旧約聖書と結びつけるだろう、と作者が考えたはず。でも聖書になじみのない読者のことを考慮して、訳者はどこかでそれについて触れるべきだろう。
 最後に「父の祈り」だが、原文では rezara el Padrenuestro と大文字で書かれていて、当然「主祷文」を指している。要するに先日の批判はすべて当たっていたということだ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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