談話室へのお誘い

このところ右の「談話室」が賑わってます。お時間のある時にでもどうぞお寄りください。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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談話室へのお誘い への8件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     立野さんの『スクリーンのなかへの旅』(彩流社 2017年1月30日 初版第一刷)を購入して拝読しています。全部で48作品の映画を「旅」をテーマとして六つに分けられ、立野さんの独自の視点からエッセイとしてそれぞれの作品を紹介されています。日本映画の「一瞬のお辞儀『黒い雨』(今村昌平監督 1989年)」は何度か読み返しましたが感銘を受けました。お辞儀を「人間的心がまえの発露」、「一瞬のしぐさにおける人間の心のありようの発露」と言われた言葉に立野さんの人間への信頼と平和への祈りを感じます。

     「談話室」が賑わっていますと先生が言われていますが、こういうコメントもお許しください。

  2. 立野正裕 のコメント:

    佐々木先生、
    談話室の窓際で、阿部さんとちょっと立ち話です。

    阿部さん、拙著を読んでくださってどうもありがとうございます。あの「一瞬のお辞儀」に登場した神戸の女性ですが、文法学者ではなくじつはあの方も英文学が専門で、わたしの領域(おもに20世紀前半)と共通するところから、その後神戸と東京とでひんぱんに手紙のやり取りをすることになりました。互いの書いたものを忌憚なく批評し合う仲でしたが、アカデミシャンでありながらナイーヴな感性を失わないたぐいまれな女性でした。
    不幸にして十年前、心不全のため急逝しました。
    いつかこの人のことをわたしは書きたいと思っています。
    私事にわたりそうですから、立ち話はこのへんにしておきます。
    立野拝

  3. 阿部修義 のコメント:

     その急逝された女性の英文学者のことを書かれた本を楽しみにしています。この映画を「歴史への旅」の中へ入れられた理由もそのことからわかるように私は感じます。先生もこんなことを言われています。この本は机上に置いて長く読み込んでいくつもりです。ご返事ありがとうございます。

     「歴史は直線状に進むのではなく、自己を中心軸として螺旋状に積み重なる。」

  4. 立野正裕 のコメント:

    佐々木先生、おはようございます。
    阿部さんが先生の言葉を的確に引かれたので、わたしとしてはどうも窓際の立ち話ではすまなくなりました。とくに考えさせられたのは、螺旋のイメージについてです。

    阿部さん、
    引用してくださった「歴史は直線状に進むのではなく、自己を中心軸として螺旋状に積み重なる」という命題は、いまのわたしにとってじつに時宜を得た言葉です。
    このところ、わたしはまさに「螺旋」についてずっと考えていたところでした。新たなきっかけを与えられ、きのうもまた考えていました。
    それというのも、年来二つのイメージがわたしの脳裡を占めてきたこととそれが関係がありそうだからです。この機会にそのことをここに書かせてください。

    歴史の歴史、公的な大きな歴史も、歴史の歴史、私的な小さな歴史も、確かに螺旋の姿においてイメージされ得るものかもしれませんね。
    とすると、それは上へ、上へと積み重なる、あたかもバベルの塔のように、と申しても差し支えないでしょう。
    しかし同時に、下方へ、下方へと掘り下げられる、あたかもファールンの鉱山のように、と申すこともできそうです。
    従前のわたしは、上方への想像力と下方への想像力とを、垂直な直線のイメージでとらえていたような気がします。

    十年近く前にドイツに行き、二つの都市を見てきたことが、いままた記憶からよみがえってくるかのようです。出かけたのはミュンヘンとドレスデンでした。この二つの都市の美術館で見る機会を得た二枚の絵があり、旅から帰ったのちも強烈な対照をなしてそれがわたしの脳裡に焼き付いていました。
    一枚はミュンヘン新絵画館で見たフランツ・フォン・シュトゥック作『罪』にほかなりません。この絵は「創世記」のエバ(イヴ)を描いています。もう一枚はドレスデン州立美術館で見たラファエロ作『システィナのマドンナ』です。
    そして、ふた月ほどしてから書いたドイツ紀行に、この二枚の絵についてわたしはこう記しています。

    「エバに象徴されるものとマドンナに象徴されるものとのあいだには、人間存在に関わる無限とも言いたいほどの距離が垂直に伸びていることは依然として事実だ。上を向いても果てしなく、下を向いても果てしない。底知れない奈落に目が眩んでしまう。だが、その果てしない距離の隔たりにもかかわらず、両者のあいだに強いて眼を凝らさなければならない。そして年来の自分の課題をその空間の一点に突き入れて固定しなくてはならない。
    ラファエロのマドンナに象徴される方向を上へ上へと進んで行くことは、暴力からの脱却としての非暴力の可能性を考えるという課題に結びついてゆく。
    西欧の人間はいつの時代にも、あらゆる暴力や堕落からの解放と救済を願う心を、マドンナの姿をとおして表わし続けてきた。だからこそ権謀術数の渦巻くルネッサンス期にあってさえ、ラファエロはこのような絵を描き得たとも言えるのだ。非暴力の理想が人類史のうえで達成されぬまま現在にいたっているとしても、人間はかならずしも暴力に打ちひしがれたままではいなかったし、暴力の廃絶される世界を絶えず人間は夢見、希望し、心を尽くしてその夢と希望を耕そうとしてきたことも事実なのである。
    それゆえ、カロッサの言葉を反芻しながら、わたしはこう考えることにした。ミュンヘンとドレスデンで、自分ははからずも人間存在に関わる二つの極を象徴的に表わす絵画を見ることになった。いっぽうの極には人類の罪の起源に関わる女の像があり、他方の極には人類の罪を救済する神の子を抱いた聖なる女性の像がある。あたかもその二つの極を見るために、自分はドイツの二つの都市にやって来たかのようだ……。」(「ドイツ東部への旅」『紀行 失われたものの伝説』所収)

    引用が長くなりましたが、自分が旅先で見たルネッサンスと世紀末象徴主義の代表的な二点の絵画を、キリスト教文明の主題にしたがって、「二つの極」とここではとらえているわけです。問題は両者を結ぶものを依然として「線」のイメージで自分がとらえていたように思われることです。
    いまにしてみれば、これは不明というほかはありません。西欧行脚をほぼ毎年、四分の一世紀も重ねてきていながら、自分の観察と思考の単純さをいまさら反省しても始まらないのですが、昨年のいまごろ、ルーマニアに出かける途中、航空機がウィーンを経由するので、二泊してウィーン美術史美術館を訪れました。わたしの目当てはただブリューゲルだけでした。このネーデルラントの巨匠の名高い『バベルの塔』が見たかったのです。
    現在、そのブリューゲルの手になるもう一枚の『バベル』がロッテルダムから来日しており、会場である都美術館は連日押すな押すなの人だかりです。先週末、金曜日の開催延長時間を利用して、それをわたしも見に行ってきました。
    バベルの塔が旧約聖書にどのように書かれているかはつとにご存じでもありましょうから詳しく述べませんが、従来のわたしは、バベルの塔とキリスト教中世を象徴するゴシック教会の塔とを、まったく正反対のものと受け取ってなんら怪しむことがありませんでした。
    それがわが頭脳の不明中の不明であることに気がついたのはようやく最近のことです。そして、遅まきながら「螺旋」とはなにかということに思いをいたすことになった次第です。
    そういう矢先、阿部さんの引用された先生の命題に、その「螺旋」のイメージが織り込まれていたわけです。偶然とはいえ、それがわたしにとってまさに時宜を得たことと冒頭に述べたのは、話がそこにつながっていかざるを得ないからです。

    ご承知のように、西欧世界のいずこでも、ゴシック式教会に付設する塔は、その屹立する崇高な姿においてきわめて顕著な印象を人々の目にも心にも与えずにはおきません。ほんの数例を挙げるだけでも、イングランドはソールズベリ大聖堂の塔、ドイツはケルン大聖堂の高い塔、フランスはルーアン教会のベールの塔、イタリアはアシジの聖フランチェスコ修道院の巨塔といった具合です。そして、それらの塔に登ろうとする者は、まず教会のなかに入り、塔の下部から内側の壁に沿って設けられた階段を伝って行くのです。その階段がかならず螺旋状をなしていることはご存じのとおりです。
    外観から見るだけならば、ゴシックの塔は上へ、上へ、と上方に向かう無限の垂直性ないし直線性を際立たせています。ですが、その内部に入ってみると、壁に沿って螺旋を描きつつ上昇してゆくのです。そのため、人は自らも螺線的上昇を追体験しながら一歩一歩登って行かねばならぬという構造になっています。
    建築上の必然が構造化した空間の行程でありながら、さながらそれは、人間における人間としての高きにいたる上昇過程そのものを象徴しているかのようではありませんか。
    キリスト教における信仰者の天路歴程をイメージとして描こうとするならば、直線的な道筋ではもちろんあり得ず、かといって紆余曲折というだけでもいまだ観念的というにとどまる。それを無限に上昇してゆく螺旋状のイメージで表わすことにおいて、はじめて本来のゴシック精神の正当なイメージを得ることが可能となるのに相違ありません。

    話が途中ですが、ここで「螺旋」ついでにわたしの話も螺旋を描かせてください。今回、佐々木先生からタブッキの『レクイエム』を、ポルトガルへの旅のさなかに示唆していただきました。あの小説がイタリア語ではなく、ポルトガルの異才フェルナンド・ぺソアへの深い共感と親炙からポルトガル語で書かれたことは、阿部さんもつとにご存じでありましょう。
    帰国するとすぐに夢中で読み終えたのですが、リスボンに赴いたあの小説の主人公も、夢と現実のあわいを、過去と現実の境を、リスボンの街の時空間そのものを、蹌踉とした足取りながら、あたかも螺旋を描くように彷徨し続けると言って言えないこともなさそうです。
    さらにタブッキとともにペソアも再読するきっかけとなりました。数年前にあらかた一読してあった『不穏の書、断章』を自室書架から取り出し、あちらを数ページ、こちらを数ページと繰ることになりました。そうこうしているうち、なにかが飛んできて眉間にぶつかったのです。あるいは、いきなりわたしの頭部が一撃を食らったものとお考え下さい。というのは次の断章に出くわしたからです。

    「言葉によって螺旋を定義することほど難しいことはないと言ったりする。そして、文飾など用いず、手で、宙に整然と渦を巻きながら上昇する運動を描くべきなのだと主張したりする。こうすれば、コイルや階段の抽象的形態が、目の前に現われるというわけだ。だが、なにかを言うことが、言葉を新しくすることだということを思い出すならば、ひとは難なく螺旋を定義することができるはずだ。螺旋とは、けっして完結することなく上昇する円である、と。(中略)さらに言えば、螺旋とは、つねに自己を二重化し、けっして自己を実現することなく昇ってゆく潜在的な円である、と言えよう。」

    この一句と出会うためだけでもペソアを再読する意味があったというものです。むろんペソアは螺旋のモラルを論ずるためにこの断章を書いたのではありませんでした。
    とはいえ、ゴシックの塔における外観としての直線と塔の内部に刻まれた螺旋との共存という精神の二重性に、このところ心を占められているわたしからすれば、ペソアの「自己を二重化し、けっして自己を実現することなく昇ってゆく潜在的な円」という表現は、やはりおそろしいほど事の肯綮に当たっていると言わなくてはならないのです。
    なぜなら、冒頭にも述べましたが、公的な大きな歴史も、私的な小さな歴史も、螺旋の姿においてイメージされ得るとすれば、上へ上へと積み重なってゆく無限のイメージは、あたかもブリューゲルの描くバベルの塔のようでもあるからです。

    それというのも、塔の研究者が主張するには、ブリューゲルがバベルを描いたのは、全体の計画もなしに、ただただ神と競うという不遜な野心に取りつかれ、蟻と化した人間をあばくためであったからです。済度しがたい名誉心、思い上がった願望、不可能な目標、一切をなげうってすべてを犠牲にしてしまう愚かな人間存在を描き出すためだったからです。
    マグダ・アレクサンダーという学者の名著『塔の思想』に、ブリューゲル作『バベルの塔』(その叙述はロッテルダムではなくウィーンに所蔵されているほうの絵を扱っています)が論じられております。その本が書かれたのはいまから半世紀以上も前の1953年のことでした。時はまさに冷戦と軍拡の時代の幕開けでした。核の脅威に世界が怯えつつ、隣人への疑惑と憎悪を抑圧し、異質なものへの不安と恐怖を押し殺しながら、日常を生きねばならない時代が世界には瀰漫しつつありました。
    しかしアレクサンダーのその書は、冷戦の終結後もじつにアクチュアルな批評意識を依然として湛えていたと言わねばなりません。ネーデルラントの巨匠はつとに恐るべき洞察力をもって、21世紀の世界のありのままの姿を、予見的に抉り出していたことの証明の書と、それは解し得るからです。たとえば次の一節など、まるでこの五年か六年のうちに書かれたかのように思われます。

    「作者の能力をはるかにこえてしまったこの作品(『バベルの塔』)には、作者自身の運命がのりうつっている。それは永遠に未完成のものであり、もともと完成することの不可能なものである。肥大しすぎた計画の生み出す、混乱した建物の姿は、まるで狂気の体系のように見える。画面のはるか上縁に――ちょうど全体の中心のように――尖塔に発展していくはずの裸の中身が立っている。廃墟のように突き出したこの部分には、幅ひろい雲がたなびいている。それは多くの山頂の風景と同じように、巨大な未完成塔の骸骨のような先端部を空中に浮き上らせている。もう、先端は天にとどいているのであろうか? 避けることのできない恐ろしい刑罰は、近づいているのだろうか? 巨人をとりまく雷雨をはらんだ空気、たれこめた空、黄紅色の基調をもった不気味な色彩、すべては来たるべき災いを予報している。しかし、いそがしい小びとの世界は、まだまったくそれを知らない。塔のわきの港には、小さな舟やボートが着いており、反対側に広がる無心な小さな町では、いたるところに、あわただしい無意味な人生と活動がくりひろげられている。」

    幾層にも分かれ、円によって区切られながら上方に伸びあがってゆくバベルの塔。しかし、その内部に目を凝らせば、けっしてアレクサンダーが言うようにただただ「混乱した狂気の体系」のみが見えるのではなく、やはり螺旋状の階段が設営されていることがうかがえるのです。
    現に開催中のブリューゲル展に行ってみますと、会場の一角には、拡大された塔の図とともに、シミュレーションを用いた塔内部の断面図を掲げ、詳細に解析した図も掲げられています。それをつぶさに観察しますと、上層に登るのに人々は緩やかに巻く螺旋階段を使っていることが明らかです。

    したがって、ブリューゲルのバベルの塔がそれを作る人々の狂気の産物であったことにまちがいはないとしても、塔を組み立てるにあたって建設上の合理主義は依然として失われていないわけです。
    そしてここに、狂気というものの真の恐ろしさもあるとわれわれは言わねばならないのです。なぜなら狂気のなかの合理主義は、けっして狂気と対立するものではなく、むしろそれ自体が狂気の全体化のための構成要素にほかならないからです。
    微視的・部分的に見れば合理的、知的、建設的であり得ても、巨視的・全体的な視野に立てばそれ自身が狂気の推進役となると言わねばなりません。逆に申せば、その狂気からの覚醒を遠ざける悪の要因は、人間の歴史への見通しとヒューマニティの全体性への配慮を欠いた合理主義、知性主義、建設功利主義そのものなのです。学問や科学の「中立性」が存在する余地などどこにもないのです。
    西欧ルネッサンス以来の合理主義が人間にもたらした恩恵はむろんはかり知れぬものがありましょうが、技術の長足の進歩と生産手段の革新の目覚ましさの裏面に貼りついた現実に対する配慮と想像力の致命的欠落が、ヒューマニティの中心部分を麻痺させ、腐食させ、空洞化してきたという深刻な事実にわれわれは向き合わされています。

    したがって、わたしは螺旋というものを、その上昇性とはうらはらに、その下降性においても考えてみる必要を感じるのですが、ここまで書いてくるあいだにすでに相当の字数を費やしております。
    談話室にも使用に関して制限がございましょうから、取りあえずこの場では、あらましのみ述べさせていただくにとどめたいと思います。

    螺旋の下降性を考える契機もまた、やはり今回のポルトガルの旅によってわたしに与えられたと申して差し支えありません。
    リスボンの西にシントラというところがあり、ここに不思議な円筒構造をした竪穴があります。なにを目的として作られたかは諸説あってよく分かりませんが、特徴的なのは、深さ27メートルにおよぶその井戸のような竪穴に入ってゆくのに、内壁に設けられた階段を一段ずつ降りていかなくてはならないことです。すなわち、穴の内側を螺旋階段を伝って下方に降りてゆくわけです。
    ここでわたしが興味を引かれるのは、下方に向かって降りてゆくという、いわば神話における冥界行を想起させずにおかないその独特の性格にありました。しかし実際には、地の底に自ら消えてゆこうとしているかのような感覚には、じつに総毛立つような戦慄的なものが伴わずにはいません。音もなく吹き上がってくる冷たい地下の風、下方に下がるにつれぽたぽたと襟元や首筋に垂れ落ちる冷たい水滴、それは言うに言われぬ不快さを伴うものでした。おそらく錯覚でしょうが、かすかに生臭さすら感じないわけにはいきません。それかあらぬか、英語版のガイドマップのなかには、説明文の比喩としてダンテの『神曲』「地獄篇」に言及しているものもありました。
    しかしそれ以上に暗示的とわたしに思われたのは、その深い竪穴の名称として、the subterranean tower と記してあるガイドを見たことです。いっぽうでは鳥肌の立つ思いを禁じ得ないながらも、同時になんという適切な呼称であろうかと感嘆しないわけにはいきません。

    それにしても「地の底に向かって伸びる塔」とは? 天に向かう代わりに奈落に向かって伸びてゆく塔とは? いったいなんのために? 
    冒頭にわたしは下降衝動の一例としてスウェーデンのファールン鉱山の場合を例に挙げましたが、これは産業時代の到来とともに、必須の鉱物資源とされた銅の採掘という明白な目的を持った事業でした。地表のはるか下方へ下方へと掘り下げてゆく人間の営為と、それに伴う落盤というあり得べき事故を描いたファールン鉱山の痛ましい悲劇の顛末は、これまで幾多の著名文学者たちによって作品化されてきた主題でした。スウェーデン文学を別としても、国際的に知られている作家では、アンデルセン、ホフマン、ホフマンスタール、ヘーベルといった著作家の名前をたちどころに列挙することができるほどです。
    それでもその悲劇の顛末全体には、いまだ明確に語られぬ側面が少なからず残存しているのです。その舞台となったファールン鉱山跡をこの目で見るために、現地へわたしが出向いたのはもう7、8年前のことになります。
    このときの地底への旅の経験、および事件にまつわる総毛立つような事実のかずかず、現地で得たそれらのことどもの大半は世に知られること少なく、悲劇の全貌もまた歴史の片隅にかすんでいこうとしているのですが、それだけに、もしもあえて忘却の瓦礫の下から発掘して語り始めようとすれば、バベルの塔に関する叙述よりもさらに筆を費やす必要がありそうです。
    なぜなら、事実をつぶさに語ろうとするのでないかぎり、後世に名高いその悲劇的な出来事の知られざる特異な裏面を、ヒューマニティに関わる一つの全体性のイメージにおいて、人々の脳裡にありありと浮かび上がらせることはとうていできないと思われるからです。

    阿部さん、長時間談話室にお引き留めしました。佐々木先生、庇を貸して母屋を取られたとお叱りを受けそうですが、どうかご海容を。これもポルトガルから持ち帰った土産話の一部とお考えくださればさいわいです。

    立野拝

  5. 阿部修義 のコメント:

    立野様

     「螺旋」についての論考興味深く拝読しました。先生が「螺旋」についてふれた文章を調べていましたら『宗教と文学』の中にこういう文章がありました。おそらく、先生が二十代後半のころの文章だと思います。

     「己を神の意志に委託することは、全存在をかけた、鮮烈な行為である。信じるという行為に、その人の全意志が結集する。つまり、もっとも意志的な行為なのだ。主体性の喪失ではなく、言葉の真の意味において、主体の確立、自立なのだ。思想は、この苛烈ともいうべき魂の尖端と、絶対者との間の対決から生まれるべきものである。絶対者への帰依は、だから直線的に進むとはかぎらない。いや、そのような恵まれたコースを歩む人もあるだろう。幼児のような、素朴な信仰の形といったものもあるだろう。しかし、偉大な魂の描く軌跡は、おおむね螺旋的である。引力と斥力の絶えざる抗争である。」

     この「引力と斥力の絶えざる抗争である」ということが立野さんの言われる「螺旋」の上昇性と下降性を解釈するsuggestionになるのではないかと私は思いますが、私の今後の課題として考えてみたいと思います。立野さんも著書の中でこう言われてますが、今回の論考を考える上で私には参考になりました。それにしても、先生と立野さんの文章は学問を一生の仕事として研鑽された人でなければ書けません。先生の言葉を借りると学問的骨格の太さの違いを私などは感じてしまいます。

     「絶望的な死すべてが絶望的であるとはかぎらない。よみがえりの力となり得る絶望もまたあるのだ。たとい絶望のうちに死んで行ったにせよ、その人が残した遺志は、生きている人間の深処に向かってなおもはたらきかけることができる。」

    阿部拝

  6. 立野正裕 のコメント:

    佐々木先生
    阿部修義様

    おはようございます。
    阿部さんが十日以上も前に引用された先生の二十代の述作『宗教と文学』のなかの言葉が、日増しにわたしの内部にぐいぐいと食い込んでくるようです

    「偉大な魂の描く軌跡は、おおむね螺旋的である。引力と斥力の絶えざる抗争である。」

    こういうすごい言葉に出会ったことがいまだかつてあったろうかと思われるほどです。
    この四半世紀あまり、日本および世界各地をわたしは旅してきましたが、何処へ赴こうと、それはすべて、峻厳きわまる上記大命題によって、無意識のうちに衝き動かされ、試み続けられた行脚の一部にすぎなかったのだという気がしてなりません。
    この十日間、自分の旅の軌跡が脳裡を走馬灯のように揺曳しています。自らは偉大な魂からほど遠い分際ながら、記憶されるべき偉大な魂を追い求める旅をしてきたと思っています。ある年は『バラバ』を書いたペール・ラーゲルクヴィストや『処女の泉』を撮ったイングマール・ベルイマンに引かれてスウェーデンに旅をし、またある年はロルカやウナムーノにゆかりの修道院を訪ねてスペインにおもむき、またある年は北極探検家のフリッチョフ・ナンセンおよび南極探検家のロアルド・アムンゼンの故郷を訪ねてノルウェーに出かけ、またある年は『ゾルバ』や『グレコへの手紙』を書いたニコス・カザンザキスの墓を見るためクレタ島に飛び、またある年のある時はターナーの描いた湖水を一目見たいためにスコットランドのスカイ島へ、同じ年の別の時はこの画家の問題作『奴隷船』が見たいために北米ボストンへ、ひるがえってロンドンに舞い戻るとテイト美術館のクロア・ギャラリーに通い詰めて同じ画家の『金枝』『チャイルド・ハロルドの巡歴』などイタリア連作に目を凝らし、またワーズワースやコールリッジやスコットら英国大詩人たちの邂逅の地であるカンバーランド湖水地方のヘルヴリン山に登り、またある年はこれも偉大な邂逅に数えなくてはなりませんが、ウクライナ南端クリミア半島におもむき、トルストイ、チェーホフ、ゴーリキーら三巨人が深い対話を重ねた黒海沿岸に佇み、オーギュスト・ロダンとギュスターヴ・モローに魅せられてパリへ、リルケの『ドゥイノ悲歌』に傾倒してスイス・ヴァレー州のミュゾットとラロンへ、さらに次の年は詩人が悲歌第一歌の霊感を得たトリエステ近郊ドゥイノの断崖へ、ある年はスイス・エンガディン地方にニーチェが後年思索と執筆に没頭したジルス・マリア村を訪ね、ある年はトルコ、マルマラ海の南に位置するブルサに、ここで獄中にありながら大叙事詩『人間の風景』を書き続けた詩人ナーズム・ヒクメットの幻影を追い、またある年はイタリア南部の辺境に『キリストはエボリに止まりぬ』の著者カルロ・レーヴィの流刑の村を訪ね……と列挙していけばまだまだ続けられるでしょうが、いついかなるときも、わたしの旅の根本動機をなしてきたものが、「引力と斥力の絶えざる抗争」としての「偉大な魂の描く軌跡」を凝視することにあったとあらためて断言しても差し支えないように思います。

    私事に属することですが、来月早々、わたしは日ごろ敬愛している東京造形大学の前田朗教授(ご専門は刑法・刑事人権論)と公開対談をすることになっており、そのテーマが「人はなぜ旅に出るのか」なのです。対談といっても前田さんからわたしがインタヴューを受けるかたちで進行させたいと申し入れがありますから、主としてしゃべるのはわたしになりそうです。ちなみに主なインタヴュー項目案を以下のように前田さんから提示されました。
    1)文学の道を歩んだ半世紀を振り返って一言。
    2)彩流社三部作について。
    『紀行 失われたものの伝説』、ノルマンディ、ウクライナを中心に。
    『紀行 星の時間を旅して』、文学、美術、旅、セガンティーニ、ターナーを中心に。
    『スクリーンのなかへの旅』、映画、文学、旅を中心に。
    3)「聖地」への旅とは。マイリンゲン、ボンへの旅を含む。
    4)テロ、内戦、難民の時代である二十一世紀の現代に、旅と文学を語ることの意味とは。

    拙著に関連したことはともかく、インタヴュー後半の大きな質問にはうまく応対できるかどうか心もとないのですが、前田さんとは以前にも公開で対談したことがありますから、即興的な掛け合いにも似た雰囲気を巧みに作ってくれるかれの流儀にしたがって、その場で念頭に浮かんだことを、上記のわたしの旅を踏まえて率直平明に語るつもりです。
    そのうえで願わくば、「人はなぜ旅に出るのか」という主題に即して、阿部さんが引かれた佐々木先生の言葉こそ自分の旅の要諦となってきたことを、少しでも明らかにできればわたしとしてはさいわいに思います。
    立野拝

  7. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    お早うございます。
    このコメント、私のことに言及されているからではなく、これまでの立野さんの旅の全貌を知るよすがともなりますので、急きょ、今編集中の組版に加えさせていただきます。近日中に目次をつけて修正版をお送りしますので、先日送ったものと差し替えてくだされば幸い。よろしく。佐々木

  8. 阿部修義 のコメント:

    立野様

     私もあれから「螺旋」について考えています。一つの意味として先生が言われる通り時間軸として捉えることもできますが、立野さんの論考を拝読して魂の軌跡と先生が言われているように魂のプロセスのことを「螺旋」という言葉で表現できるのではないか。それで、平山正実著『はじまりの死生学』(春秋社2005年12月15日)をアマゾンで取り寄せて一読してみました。平山氏がこう言われています。

     「人間はこのように限界状態に突き落とされたとき、はじめてその弱さ、みじめさ、自分がないに等しい存在であること、つまりその限界性に気づくようになる。人間の「弱さ」、「みじめさ」、「悲惨さ」、「限界性」というキーワードでくくれるような事態は、一言でいえば、過剰な自信、誇大的思考、自己肥大、傲慢、万能感などが粉々に打ち砕かれた状態である。こうした自己神化的欲望と対極の位置にあるのが弱さであり、みじめさであり、有限性の自覚である。そして、人間は苦痛に悩み、自分が弱い者であることを自覚してはじめて、真の存在あるいは真の「自己」が見えてくる。そこで新たな精神の覚醒が起こる。その時、人間は、そこで、より低いレベルの存在が失われても、潜在的価値として存在していたより高いレベルの新しい存在に気づくのである。」

     限りなく下降し、限りなく上昇するという螺旋のプロセスを、より高次の総合として平山氏の言葉で解釈できないか。平山氏は「こころの時代」にも出演されたことがある精神科医ですが、立野さんの論考のヒントになるように私は直観として感じました。まさに先生の言われる「引力と斥力の絶えざる抗争」だと思います。

    阿部拝

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