美子の無聊を慰めるため(かな?)夫婦の部屋には絶え間なくCDやテープからの音楽が流れている。時々たぶん美子も、無性に(でもないか)演歌が聞きたくなる。それで二日前から、ばっぱさんが残した「精選盤 昭和の流行歌」(全20巻)を聞いているが、『ブルー・シャトウ』の歌詞の一部がどうもおかしい。つまり「夜霧の晩に包まれて」と聞こえたからだが、確か当時、「森トンカツ、泉ニンニク」という、頭の悪い小学生でも考えつくような替え歌があったこともついでに思い出し、今朝、ネットで「演歌の替え歌」で検索したところ、元の歌詞は「晩」ではなく「ガウン」であると判明。それなら分かる。
ところがそこに他にもたくさんの替え歌があることを発見(下ネタは無視)。中でも傑作は、島倉千代子の『東京だよおっ母さん』の替え歌『糖尿病だよおっ母さん』である。たぶん詠み人知らずだろうから全文引き写してみる。
久しぶりに 病院で
検査を受ける 嬉しさに
近ごろノドが やたらと渇くよ
おっ母さん、
ここがここが診察室
血液検査を 受けましょね
やさしかった 医者(せんせい)が
体の話を 聞きたいと
夜中のトイレが さぞかし近いの
おっ母さん
運動不足で 疲れ気味
手足がシビれて 目もかすむ
さあさ終わった 終わりました
達者で永生き するように
お祈りしましょよ 診断結果です
おっ母さん
これがこれが 血糖値
お祭りみたいに 賑やかね
糖尿病のわが身に引き換えたからかも知れぬが、じーんと来る。最後がいいね。
ともあれ演歌は、ブルースの女王・淡谷のり子は嫌ったそうだが、良くも悪くも我々日本人の血脈と臓腑に深く食い込んでいる。たとえば金田たつえが歌う『花街の母』(もず唱平作詞)など、「年のはなれた妹と」のところで、まるで自分が花街の母でもあるかのような惨めさ恥ずかしさを感じてしまう(まさか!)。
他人に聞かれりゃ お前のことを
年のはなれた妹と
作り笑顔で 答える私
こんな苦労に ケリつけて
たとえひと間の部屋でよい
母と娘の暮らしがしたい
かと思えば、極楽とんぼのように底抜けに明るい細川たかしの『北酒場』などもあって、最近はやりのアッカンベー48など聞く気にもならない。いま「底抜けに明るい」で思い出したが、内藤丈草の大好きな句
淋しさの底ぬけてふるみぞれかな
は遠く演歌の源流のような気がする。