私、被告になりました

昨日分厚い大判の茶封筒が届いたので開封してみると、いちばん上に以下のような文面の書類が入っていた。


第一回口頭弁論期日呼出状及び答弁書催告状

被告 佐々木孝様               

福島地方裁判所相馬支部民事係
                書記官 S. U


 原告から訴状が提出されました。
 当裁判所に出頭する期日が下記のとおり定められましたので、同期日に出頭してください。
 なお、訴状を送達しますので、下記答弁書提出期限までに答弁書を提出してください。

期日 平成29年8月17日(木) 午後1時30分
口頭弁論期日
出頭場所 第1号法廷
答弁書提出期限 平成29年8月10日(木)

出頭の際は、この呼出状を法廷で示してください

 
 ここまで読んでこられた方の何人かは(全部? まさか!)佐々木もとうとうヤキが回ったか、それにしても罪状は何だろう? 窃盗? まさかね。じゃ日ごろから口が悪いから名誉棄損? 誰の? 安倍総理とか馬鹿な政治家たちの?
 ご心配かけて相済まぬ。実はこれより数日前、或る法律事務所から、以下のような知らせがあったので慌てずにすんだ。


ご連絡


亡安藤幾太郎相続人各位
                 M氏代理人 弁護士 T.T


前略 当職は、南相馬市小高区(以下省略)T.M.氏より委任を受けた代理人弁護士です。
 突然お手紙を差し上げる無礼をお許しください。
 今回、当職が貴殿にお手紙を差し上げるに至った事情は以下のとおりです。
 M氏は、…小高区…番地の土地を所有しているのですが、近時、同土地上に亡安藤幾太郎様(抵当権が設定された大正5年1月25日時点における氏名は「井上幾太郎*」が担保権者である抵当権が設定されていることが判明しました。
 上記抵当権は、大正5年1月25日に、「玄米借用による玄米4石4斗」との内容で設定されたものですが、M氏は、このような債権について知らず、また、非常に古い債券であること等から、当該被担保債権は現存していないと考えております。
 このように、抵当権設定の原因である被担保債権が消滅したことによって、抵当権も消滅していると考えられることから、M氏は、同登記の抹消記録を希望されております。
 しかし、上記抵当権が設定されたのは100年以上前のことであり、M氏はその経緯を全く把握していないことや、亡安藤幾太郎様という人物やその親族等と面識がないことなどから、上記抵当権抹消手続きを当職に依頼されました。
(以下、私・佐々木孝を含む17名の相続人を調査したが、皆が遠方にいるため、全員から捺印に求めるのは困難であるからして、今回訴訟手続きによる解決に至った旨の説明)
 また、訴訟提起する側を「原告」、相手方を「被告」と呼ぶため…これは訴訟法上のルールに過ぎず、「被告」と表示されているから悪い者であるということでは全くないので(アッタリキヨー!これ私の呟きです)、この点ご理解下さるよう併せてお願い申し上げます。
(以下4行省略)
 近日中に裁判所から貴殿宛てに訴状が届きますのでご検討下さい。ご異議がなければ裁判所へ出頭されるには及びませんし、答弁書等の書類を提出されることも不要です。もし、ご異議がある場合は、裁判の期日に裁判所にご出廷のうえご主張願います。
 (以下2行省略)

草々

 
 つまりは出廷することもないし、昨日裁判所から届いた、たぶん200枚以上もの書類も、すべて屑籠に入れてもいいということらしい。それにしても被告17名(つまり息子の代は2名、あとは私と同じ孫たち15名)の戸籍謄本の写しである。中には北海道や愛知県に住むいとこたちの分も入っているから、これをいちいち取り寄せる苦労は並大抵じゃない。友人の弁護士・上出さんの日ごろのご苦労も思いやられる。
 ただしこんな機会でなければ取り寄せることもなかったこれら謄本の写しは屑籠などには捨てず、我が家の重要書類として子々孫々まで大事に保管します。
 それにしても玄米4石4斗とはまた何と牧歌的な抵当物件だこと! 途中幾太郎さんの姓が井上から安藤に変わったのは、仁ばあちゃんの実家に相続者が絶えたことで急遽安藤家の養子になったからだが、この養子ちゃん、大正何年かの株の大暴落で、引き継いだ全家産を失い(仁ばあちゃん一生恨んでました)、北海道十勝に一家して入植した。そんなすったもんだの中でM氏の抵当権のことなど当事者同士すっかり忘れてしまったんだろう。
 それにしても、とまた繰り返すが、法律文書のなんとおごそか、いや七面倒くせえこと!私なら宮沢賢ちゃんの「どんぐりと山猫」の山猫裁判長のなんともすっとぼけた呼出状が好きだな。


ささきたかしさま  6月15日

あなたは、ごきげんよろしいほで、けつこです。
こんど、めんどなさいばんしますから、おいで
んなさい。とびどぐもたないでくなさい

ついしん
やっぱしとびどぐこわいから、こなくてよろし
 こちらなんとかかたつけます

                山ねこ 拝

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

私、被告になりました への2件のフィードバック

  1. 立野正裕 のコメント:

    一瞬、うわ、佐々木版『審判』冒頭第一章か……それとも、共謀罪の早期適用か、と。それが山猫裁判長からの召喚状に早変わりで、どっどはらい。

    ※ 佐々木のおせっかいな注 「どっとはらい」は東北、特に立野さんのもう一つの故郷・遠野などの民話が終わったときの締めの言葉。「これで終わり。めでたし、めでたし」の意。「とっぴんぱらりのぷう」などとも言うが、ともに意味のない言葉。「ご破算」のように一度、話を元に返す、とする説もあるが不明。

  2. 上出勝 のコメント:

    佐々木先生

    こういうことはよくあります。
    相続手続をしないで何代もそのままにしておいて、いざ売却とかになって初めて問題になるのですね。
    私は以前相続人が約50人というケースを扱ったことがありますが、大変でした。
    震災の後東北はこの問題が多発していているようです。

    なぜ裁判を起こすのかというと、判決の形にするとそれを法務局に送れば自動的に抵当権を抹消してくれるからです。
    被告といってもお金を負担することもなく、わざわざ裁判所に出頭する必要もありません。
    ただ、被告という立場になるのもあまりないことでしょうから、見学がてら出頭するのもおもしろいかもしれませんよ。こういう事件ですから山猫裁判官も丁寧に説明してくれると思います。
    山猫裁判官はどんぐりをなだめるのに苦労しましたが、私は、アベとかスガとかその他モロモロのヤカラは、腐ったどんぐりの背比べという感じがしますね。悪党はみんな似てくる!

    本当に玄米とはのんびりしたものですが、『雨にも負けず』でずっと気になっていたのが「一日玄米四合」。四合なんてすごい量だと思うんですがね。。。私はとても食べられないなぁ。

    それから、「北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといい」のところ。弁護士としては困るのですねえ。メシが食えなくなる、一合すら。。。

    思い出しましたが、私が担当した先のケースですが、相続人の候補者の一人が昔「三田文学」に小説を書いていて芥川賞の候補になったこともあったとのこと。山川方夫が編集委員をしていた頃だそうです。
    それから、もう一人、女医さんをしていた85歳くらいの女性を訪ねて、相続人になるかもしれないと伝えたところ、「そんなものいらない!」とのことでした。こういう人に会えると本当に嬉しいですね。

    それではまた。。。

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