東北的感性と関西的感性

以下に述べることは右の談話室の立野さんのご意見に対する、まことに要領を得ぬ私の答えでもあるので、できればまず談話室の立野さんの文章を読んでから改めて読んでもらえれば、と思います。申し訳ありません、勝手な注文で。
 さて、なぜ私が谷崎潤一郎や川端康成のある種の小説に低い評点しか入れなかったのか、実は今までまともに考えたことはなかったのだが、立野さんの立論にいわば炙り出されるような形で出てきたことがあるので、それを語ろうと思う。といって立野さんのように筋の通った書き方にはなりえないであろうことをまずお断りしなければならない。つまり今まで文章化さえしなかった或る深層心理(?)を徐々に炙り出すようにして、いや違う、私の頭蓋の中に浮遊する妄想めいた想念をなんとか定着させようと試みることになるからだ。
 さて何から始めよう。そうだ谷崎の映画化された『瘋癲老人日記』から始めよう。実は映画で老人を演じたのはてっきり中村雁治郎だと思っていたのに実際は山村聰だと今回知って驚いている。同じ谷崎作品の『鍵』には雁治郎が出ていたからの思い違いだが、要するに雁治郎演じる上方の人間ばかりでなく上方落語・漫才も好きでないのである。のっけから偏見と言われても仕方のない乱暴な話で申し訳ないが、好き嫌いの感情だけはごまかせない。
 ついでに言うと、上方風のボケツッコミなどわざとらしく、笑いの強要に思えて好きではない。だからアホの坂田など文字通りのアホは笑う気にもなれない。そこへ行くと、もう死んだが伴淳三郎など面白かった。真面目にやってるんだが、そこがなんともおかしいのがいい。
 話は急に飛ぶが、戦後間もないころの疲弊しきった日本に、並木路子の「リンゴの唄」がラジオから流れたときは子供ながら救われた気持ちがした。帯広市大通り十二丁目二〇番地の家の二階の屋根瓦に座って、隣の兄ちゃんの真似をして口笛で初めて覚えた曲だ。そして小説も映画も読みも見もしなかったが、石坂洋二郎の「青い山脈」の映画主題曲のメロディーにも心惹かれた。
 早くも話がずいぶん逸れ始めたが、ここで東北人と関西人の気質や美意識を対立させようなどと思ったわけではない。(ねっ、すでにシッチャカメッチャカだろ)言いたかったのは、東京生まれだが関西に移住してそこで作品世界を作り上げた谷崎しろ、もともと大阪生まれの川端にしろ、作品世界の底を流れる感性といえばいいのか、作品構成上でいえばその美学というのが嫌いであるというごく単純な事実を白状しなければならない。そういえば「リンゴの唄」を作詞したサトウ・ハチローの父(『あゝ玉杯に花うけて』の紅緑)も弘前出身、石坂洋二郎も弘前生まれだし、伴淳は山形だが、私の中を流れる東北人の血が本能的に一方には距離感を、他方には親近感を抱かせるのであろうか。
 ここでまた大きく飛ぶ。大震災からちょうど一か月後に「或る終末論」という、終末論に糞尿譚をからめた文章を書いたが、そこでこんなことを言っていた。

「サド侯爵の国フランスには、大脳皮質かなんかを微妙に刺激する官能的な文学がたくさんありますが、スペインにはそのものずばりのポルノはあるかも知れませんが、フランス風の官能小説はあまり発達しませんです。代わりに、『ドン・キホーテ』にはサンチョが太い木につかまって脱糞する場面が…おっと、実際にあったかどうか自信がありません、調べようとすればすぐ調べられるのですが、ちょっと面倒です。」

 つまり官能というもの一つとっても、フランスとスペインではその扱い方に大きな違いがあるが、関西と東北でも大きく異なっているということで、そのこと自体はべつだん奇とするには当たらない。そういえば、最近ハビエルさんが谷崎の『陰翳礼賛』のスペイン語訳を出版した。頼まれたので訳したがあまり好きでなかったようだ。詳しくは聞いていないが、東北人の私のように、スペイン人の彼も谷崎美学に違和感を覚えているのかも知れない。
 ところで「個人的性向であるフット・フェティシズムを、「日本の足」という広い文脈のなかでとらえなおす契機が谷崎文学にはある」という立野さんのご意見だが、また随分とむつかしい隘路に踏み込んだものよ、と感心している。例にあげられた武智鉄二のことも京都人文主義グループの多田道太郎のことも全く知らないので言う資格はないかも知れないが、しかし率直に言わせてもらえれば、……知らないのでやっぱり無理です。一つ強引に言わせてもらえれば、学問の世界はそれこそ広大無辺で、底が深く、どのような論理構築も可能な一種の魔窟、危険な世界になりうると思っている。
 このことと直接の関係はないが、これも震災後のテレビで、再稼働反対派と再稼働容認派とが討論している番組を見ていて思ったのは、容認派のそれなりの理屈というか論理がはらむ危険性についてであった。簡単に言えば、彼らの用語と理屈と同じ地盤で話をするといつの間にかスコラ的迷路に踏み入る危険があるということだ。平和論もそうである。相手は主戦論や正戦論だけではなく、一見論理的だが内部は実に曖昧模糊とした屁理屈に成り代わっていることがよくある。戦争は嫌だという感情の方が、たとえどんなに感情論と揶揄されようが正鵠を射ている。
 ここでまた大きく話が飛ぶが、ときどき小さな花々を見たり、小さな虫を見たりするときに考える。こいつら何て凄いんだ、どんなに科学が発達しようが、どんなにAI(人工知能)が進化しようが、この一片の花びら、この精巧な触覚を作ることはできない。冬山で保護色に色変わりする小動物のまた何という気力、もちろん何十万年という進化の過程での努力だけれど、「さあ白になーれ、白になーれ」と願い続けた結果の快挙である。
 人間は自らの体をそう大して変えることはできなかったが、その代わり、意識を極限にまで働かせることによって現在の科学やら文学創作へと発展してきた。美意識だって、変態老人の妄想にまでもの凄い進化を遂げてきた。だが植物界に見られる毒々しい色の花弁はわが身を守るためだが、では人間界の意識の異常発達は何のため?
 でもフット・フェティシズムがあくまで病的なゆがんだ花弁であることには変わりがない。それを美しいと感じるのは自由だが、つまり谷崎流に言うなら「蓼食う虫も好き好き」なのだが、病的な狂い花であるという事実は変わらない。
 以上、立野さんの立論への反論にもならない駄弁を弄してきました。立野さんは佐々木の考え方に99パーセント賛成だが、と言いながら、その残り1パーセントで強力なアッパーカットを放ちました。私の方は、立野さんの常日頃からのあらゆる問題群に対する理路整然たる見解に感服してましたから、今回の立野理論に対しては50パーセントの賛成点を差し上げなければなりませんが、残りの50パーセントの反論がグダグダでうまくかみ合わなかったことを率直に認めます。ただ立野さんも50パーセント東北人でもあることなので、なんとか私の貧しい反論を好意的に見てくださるだろうと期待してます。
 すでに持ち玉が尽きてしまいました。今日はこの辺で尻尾を巻いて退散しましょう。

※すぐの追記 いまスペインではかなりの勢いでアニメ漫画を入り口に日本文化への興味と関心が高まっている。何人かの私の若い友人たちのことを考えると、彼らの関心は主に関西文化を中心としたジャパニズム(日本趣味)に集中しているが、宮沢賢治の翻訳などを通じて東北への関心も少しずつだが増えてきているのは嬉しい。しかし本音を言えば、異文化理解を通じてスペイン文化自体の魅力と価値を改めて見直すところまで進んで欲しい。これは外国にあこがれる日本の若者にも同じことが言えるが。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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