けつ抜け

夕方、行きつけのスーパーに行ったら、どこかの婦人会らしきおばさんたちが割烹着姿で「新潟中越地震」の義捐金を募っていた。郵便局などに出かける手間を省いてくれるので助かる。というよりわが町にも、こういう奇特なグループや人がいるということが嬉しいし、有難いな、と思う。
 話は変わるが、このところの寒さでふすまを閉めることが多い。ところが妻はときどき「けつ抜け」をする。面倒くさいので、いちいち注意などせず、黙って閉めることにしている。ところで「けつ抜け」という言葉は久しぶりに使う言葉だが、念のため辞書を見てみた。案の定無かった。思い起こせば、小さいころ、ふすまなど開けっ放しにしたまま部屋を出たり入ったりすると、「こら!けつ抜けてっと!」と注意されたものだ。とりわけ死んだ祖父幾太郎の言葉として記憶しているが、相馬弁だったのか、それとも我が家独特の言い回しだったのか。
 そんなことを言えば、先ほど割烹着姿などと書いてしまったが、本当にそうだったのかどうか、怪しくなってきた。けつ抜けと同じく、昔の言葉やら記憶が意識の表面にせせり出てきたからそのように記憶したのか。特に今日のようなはっきりとしない空模様の中では、現在と過去のあわいが定かでないような気がする。あっそうか、これがぼけの始まりか。でもそうだとしたら、老いるということは決して嫌なことではなさそうだ。現実像に多少の歪みが生じるとはいえ、現実そのものがなんだか膨らんで豊かになったような気がするからだ。これ決して負け惜しみではありません。

※ いちいちことわるのも変だが、これからもときどき「モノディアロゴス」の規格(とりあえずはきっちり千字)外のものを気楽に書こうと思っている。後から、もっと気力が充実したとき、すでに書かれたものを使って「モノディアロゴス」として書き直すこともある、ということにしようと思う。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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