人間的な対応

昨日の朝方、F病院のM医師から電話があり、ウメさんが四日ほど前私たちが見舞った後から熱が出て、なかなか下がらない、もしかして胃のどこかが悪いのかも知れない、ついては県立大野病院の外科に診てもらうがいいか、との連絡。もちろんそうお願いした。先日、診察券を預かってきたので、それを届けるためにも急遽大熊に行くことになった。折悪しく車検のため代車(軽のMira)しかなく、うまく運転できるか不安だったが、ペダルの間隔が狭いことを除けば、まあまあ運転しやすい車である。いつもの幅広の靴を心持ち狭いものに換えていざ大熊に。
 六号線から標識に従って直接大野病院に向かったのだが、途中から大野病院の標識が出なくなった。しばらく行ってから道を聞こうとしたが、人家がまばらにしかなく、おまけに人も通っていない。やっと通りがかった軽トラを止めて訊いたところ、来た道を最初の信号のところまで戻れと言う。なるほど最初の信号の側に大きな新しい大きな建物があり、それが目指す病院だった。つまり県立大野病院は、しばらく来ないあいだに、すっかり建て直していたのだ。
 CTスキャンなどで検査した結果、幸いに外科的処置は必要でなく、たぶんカビ(カンジダなど)のせいではないか、ということだ。だからF病院でも薬で対応できるらしい。
 ところで、医師の説明があるまで立ったまま待っていたが、近くに何人もいる看護師たちからは一切の状況説明がない。とうとう業を煮やして少しきつめの口調で説明を求めると、あわてて事情を話してくれた。箱ばっかり新しく清潔にしても、本当のサービス精神がなければ何にもならないぞよ。でもF病院からウメさんを運んでくれた若い二人の青年はその間、一言の文句も言わずにずっとウメさんに付き添っていたが、仕事とはいえご苦労さん、頭が下がります。ともかく疲れた一日でしたが、とりあえずはウメさんが大事に至らなくてありがたいことでした。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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