十時、いつもの通り老人福祉センターにバッパさんを送り届ける。よくも飽きないものだと感心する。しかし今日はいつもより神妙な顔つきで車に乗り込んできたと思ったら、こんなことを言う。「いやー、おめたち二人が、大変な決心をして戻って来てくれたのに、どうも私の方で理解が届かなくて、申し訳ねーと思ってる。両方の親の面倒もみて、いや大変だわ。すまねー。この間も、M子(これは姉の名前)にこんこんと説教されてきたんだー」。
んっ、ちょっと風向き変わってきたかな。でもこれ、いつまで持続する覚醒かな。
「いいか、三つずつ違った中身のお握り入ってっぺ、たらこ、しゃけ、いくら、なっ。そんで俺いまたらことしゃけ食ったべー。おめーはいくら。そんで次に新し袋開けて、こんどは俺がいくら、そしておめーがたらことしゃけだど」
「あらら、これいくらだわ」
「なんで俺のいくら食ってんだ、おめーさっきいくら食っただべ。なんで自分の今さっき食ったもの覚えてねーんだ。もうやってらんねどー。勘弁してよ。俺運転してんだどーっ。おめっ、せめて自分の食ったものくれー覚えててくれよー。いいかー、俺はなにもいくら食いたくて騒いでんのと違うぞ。こんだけまてーに(丁寧に)説明してんのに、人の話聞いてねーことに腹立ててんだぞ」
大熊にウメさんの見舞いに行くというのに、車の中でこんな醜い争い。要するに楽しみにしていたいくらが食えないことに腹立ててるだけ。あゝ言い過ぎた、あゝ言い過ぎた、と思いながら、ブレーキが利かない。
大熊からの帰り道、センターに寄ってバッパさんを拾う。帰宅して間もなく、インターホンが鳴って、出てみると、J女子大で教え子だったWさんである。この三年間、山間地の中学校などで臨時教員をしてきたが、この四月からめでたく地元K町の役場に就職が決まったという。この就職難のご時世に、なにはともあれめでたいことである。
ともかくいろんなことが「てんこ盛り」の一日だった。ちょっと疲れたか。幸い、妻はイクラ事件(イラク事件ではない!)のことなどすっかり忘れているようだ。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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