イクラ事件

十時、いつもの通り老人福祉センターにバッパさんを送り届ける。よくも飽きないものだと感心する。しかし今日はいつもより神妙な顔つきで車に乗り込んできたと思ったら、こんなことを言う。「いやー、おめたち二人が、大変な決心をして戻って来てくれたのに、どうも私の方で理解が届かなくて、申し訳ねーと思ってる。両方の親の面倒もみて、いや大変だわ。すまねー。この間も、M子(これは姉の名前)にこんこんと説教されてきたんだー」。
 んっ、ちょっと風向き変わってきたかな。でもこれ、いつまで持続する覚醒かな。
 「いいか、三つずつ違った中身のお握り入ってっぺ、たらこ、しゃけ、いくら、なっ。そんで俺いまたらことしゃけ食ったべー。おめーはいくら。そんで次に新し袋開けて、こんどは俺がいくら、そしておめーがたらことしゃけだど」
 「あらら、これいくらだわ」
 「なんで俺のいくら食ってんだ、おめーさっきいくら食っただべ。なんで自分の今さっき食ったもの覚えてねーんだ。もうやってらんねどー。勘弁してよ。俺運転してんだどーっ。おめっ、せめて自分の食ったものくれー覚えててくれよー。いいかー、俺はなにもいくら食いたくて騒いでんのと違うぞ。こんだけまてーに(丁寧に)説明してんのに、人の話聞いてねーことに腹立ててんだぞ」
 大熊にウメさんの見舞いに行くというのに、車の中でこんな醜い争い。要するに楽しみにしていたいくらが食えないことに腹立ててるだけ。あゝ言い過ぎた、あゝ言い過ぎた、と思いながら、ブレーキが利かない。
 大熊からの帰り道、センターに寄ってバッパさんを拾う。帰宅して間もなく、インターホンが鳴って、出てみると、J女子大で教え子だったWさんである。この三年間、山間地の中学校などで臨時教員をしてきたが、この四月からめでたく地元K町の役場に就職が決まったという。この就職難のご時世に、なにはともあれめでたいことである。
 ともかくいろんなことが「てんこ盛り」の一日だった。ちょっと疲れたか。幸い、妻はイクラ事件(イラク事件ではない!)のことなどすっかり忘れているようだ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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