文句顔の杉村春子

先日、三組の夫婦の恒例の夕食会で、I君に「君はよく問題にぶつかるね」と皮肉交じりに言われた。好き好んで問題を見つけようとしているわけではないのだが、じっさいよく問題にぶつかる。見過ごしたほうが千倍楽なのだが、そして別段「世直し」など考えてもいないのだが……
 私学共済の保険証の有効期限が今日で切れるので、市役所に電話する。国民健保に切り替えたいのですが、手続きには何が必要ですか、と。すると電話の向こうで感じのいい若い男の声が「共済の資格喪失証明書と印鑑を用意していただければ充分です」。
 さて市民課で手続きしようとしたら、係りの若い女性が言う、「あのー年金証書をお持ちですか」。「えっ、電話では証明書と印鑑だけでいいと……」「すみません、でも証書が必要なんです」「……」
 家に証書を取りに戻って、また窓口に立つ。新しい用紙を渡され、それに書き込んで提出する。交付を待つうち、だんだん腹が立ってくる。簡単な手続きのはずが、結局一時間半かかっている。名前を呼ばれるころには、この瞬間湯沸器はもう完全に沸点に達している。

「あのねー、もう少しプロらしい仕事してもらえない?にこにこ笑顔をふりまくことだけがサービスとちがいまっせ。電話で問い合わせがあったとき、手元に簡単なマニュアル用意しておけば、かんたーんなことなのよ。切り替えですか、それなら何と何、そして場合によっては何が必要になるかも知れませんから、念のため何も持ってきてください。これだけのことよ。そうしたらまた出直して来ることなど必要ないのよ。あんたがた連絡会のようなものやるんでしょ。そこで必ずこうしたクレームがあったこと議題にしてくださいね。ほんともう頼みますよ」

 なんだか自分があの文句顔の杉村春子になったような気色悪ーい気分で、このところ急速に春めいてきた市庁舎の庭を横切って車までたどり着く。あーしんど。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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