六号線を浪江町から双葉町に入ろうというあたりに、何とはなし風情のある大きな木が立っている。妻はその側を通るときにはいつも「あっキーさんだ!」と叫ぶ。時には「キーさん今日は!」などと挨拶する。何という名かは知らないが、左右対称に大きく枝を広げたその木は、夏には深々とした木陰をつくり、初冬から春にかけては葉を思い切りよく脱ぎ捨て、きりりと引き締まった輪郭を見せる。今は柔らかそうな若い小さな葉を嬉しそうに茂らせ始めた。
動物でも植物でも、優れものはいるんだなーとつくづく思う。人間でも小さいときから健気で素直で前向きで、しかも肉体的にも美形で…みんなから賛嘆と好意を一身に集める人がいる。私は男だから、そう思える人は大抵女性だ。クラスに一人は、楚々として性格がよく、意地悪などぜったいにしない女の子がいたものだ。もちろんそんな子でも人知れぬ悩みごとがあったり、隠れたところで嫌な根性していたのかも知れないが。確かギリシャの思想家(誰だった? 岩波文庫で持ってるぞ)が性格論を展開して以来、性格は人間論の中で一つのテーマであったはずだが、近代心理学の発展のせいかどうかは知らないが、なぜか真面目に取り上げられなくなったような気がする。性格や世代は、本当は肉体や時代に大きく影響を受けているはずのものだが、学問的に問題にされなくなったその引き換えにか、今や血液型や星座などを使った怪しげな占いがブームとか。
話は変な方に逸れてしまったが、ともかく大熊への行き帰りにいつも出会うその木は、本当に品格と威厳を兼ね備えた見事な木なのだ。いつか車を止めて写真でも撮ろうかな、と思いつつ、なぜかそれさえ失礼かもと思わせるほど上品な木なのである。
ところで肝心のウメさんだが、今日は午前中、歯の治療で麻酔を打たれたせいか、見舞いの間中、穏やかな寝息を立てて一回も目を覚まさなかった。看護婦さんの話だと、朝方は声をかけるとうなずいていたらしい。ともあれ、今のところどこも痛いところがないらしく、それだけは本当にありがたいことだ。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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