命あっての物種

珍しく曇り空の下、大熊に行ってきた。ウメさんは相変わらず眠った(?)ままだけれど、時おり眼を開ける。しかしこちらの呼びかけに、ちょっと前までは明らかに反応していたのに、最近はそれもなくなって、物凄く寂しい。でも今日は一度だけ、おそらく、いや確かに、こちらの訪問が分かったのでは、と思われる瞬間があり、それだけを慰めにして、また曇り空の下を帰ってきた。
 これが歳のせいなんだろう、ちょっとした疲れがなかなか抜けてくれない。このところの愚かしいかぎりのすったもんだで、精神的にも疲れたが、さらにこの暑さで、身体の疲労も加わり、いちいちの動作に「よっこらしょっ!」と気合を入れなければならない。
 でも昨日午後訪ねて来た君と心置きなく話せたことで、ここ数日のもやもやした気分がだいぶ消えていった。彼も今回のすったもんだの当事者の一人として悲しい思いをしてきたのだが、さらにそれ以上の心配事を同時にかかえていたことを初めて知った。途中から妻も加わって彼を励ましたのだが、しかし後から考えてみると、逆に彼から大きな激励を受けたように思われる。彼はここ数日、以前彼にやった『人間学紀要』第七号の巻頭を飾る田島佳奈子さんの「私が考える生と死」を何度も繰り返し読んでいたそうだ。未熟児として生まれ、腎臓が片方しかないまま、それでも六年間も生き抜いた弟の死を語ったあの文章である。
 ほんとにそうだ。人間の生き死にに比べたら、自分たちが大層に思っていることなど、なんと取るに足らぬちっぽけな悩みであることか。こうして生きていられることの、なんと素晴らしい恵み!
 十六歳という若さで試練に耐えなければならないのはちと酷かもしれないが、この老人の私も、半身不随のクッキーや、私が記憶係としてたえずそばに付き添わなければならぬ妻(少し大袈裟か)、私が死ねば途端に野良に戻らなければならぬミルクとココアのために、日々頑張ってる。交通事故やヤクザとのイザコザ(なんでまた唐突に!)などで思わぬ死を迎えることが無いように絶えず注意しているんだから、君、きみも頑張って!
(あっ、バッパさんのこと忘れてた!)

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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