幸せに育つことの不幸

約三十五年間、若い人たちと付き合ってきた。その間、当世学生気質のあからさまな変化の見られた時期もいくつか経験した。最初のショックは、何に対しても「可愛っいいー」を連発する世代の登場で、彼らと共に精神年齢の幼稚化が始まった。次の変化は、若者たちが例えば親や教師といった年長者にどう思われるかよりはるかに切実かつ焦眉の問題として、仲間あるいは同世代の者にどう思われるか、異常なまでに気にする若者たちの登場である。いじめや画一化が話題になった時期と軌を一にする。
 そして現在は? きつい言い方をすれば、一見礼儀正しく「いい子」なのだが、世代間の軋轢・葛藤にもまれた経験や挫折の経験が少なく、そのためもあってか、受けた好意や親切に対して意外と鈍感な若者たちの登場と言えば当たらずとも遠からずか。この若者たちのもう一つの特徴は、洒落や冗談を含めた言語表現の機微がなかなか伝わらないことである。もちろんいつの時代も年長者から見れば「今どきの若者(わかもん)は…」と批判の対象になってきたわけで、こうした世代間ギャップこそが実は社会の成熟に必要なものと言えるはずなのだが。
 そんなことを考えていたとき、現役の大学教師の若い友人からこんなメールをもらった。

 私の学生の中にも、そういう子が増えてきました。何でもやってもらって当たり前、頼みはするがお礼の言葉は無し。でも悪気はない。何かの本で「幸せに育つことの不幸」という言葉を読みましたが、そういう時代なのかもしれません。でも、振り返ってみれば、学生の頃の私も同じようなもので、時間を割いていただいたことに対してきちんと感謝の言葉を伝えるという「躾」は、先生にしていただいたようなものですから、嫌われても何でも学生にそのことを伝えていこうと思っています。

 なるほど「幸せに育つことの不幸」か。言い得て妙である。
 昼前、二泊の滞在を終えて姪の恵が帰っていった。バッパさんの上(じょう)孫だけあって、夜もバッパさんの部屋に布団を持ち込んで一緒に寝てくれた。そしてバッパさんに、息子夫婦と如何にすれば幸福に共生できるかを懇々と優しく教え諭してくれた。上孫が帰っていって寂しかろうな、と心からの同情を呼び覚ますほど、バッパさんが珍しく穏やかないい表情をしている(さていつまで続く?)。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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