複合汚染

以下にご紹介するのは、清泉時代の教え子、仁平美弥子さんからの私信であるが、読み終わって教えられるところ甚大であった、いや大きなショックを受けたと言っていい。私のコメントは後からのこととして、まずは全文を読んでいただきたい。実名でご紹介するについてはご本人からの了解を得てのことであり、感謝したい。

佐々木先生

 桜の頃もはや過ぎて、今年の新緑の季節の到来が早く、温かすぎる春です。奥様の術後、自宅療養も順調の様子で何よりです。先生が担われる介護のお仕事もさらに大変になっていると思いますし、先生の皮膚炎が良くなっていない様子が心配で、お節介とは思いましたが、この手紙を書いてます。
 以前にもお話ししたかも知れませんが、私は冬場の乾燥による手荒れから主婦湿疹がひどくなったことがあります。老人性の乾燥膚なので、もう治らないと言われ、その痒みに耐えられず、皮膚科を転々とし、ステロイドを多用し、弱いものが効かなくなると一段階強いものを処方され、遂にはステロイド依存によるアトピー性皮膚炎になってしまいました。このままだと破綻するしかなく、夏場でも手袋をして外出するなど、両手はもうボロボロでした。
 いろいろなものを試し、最後に辿り着いたのは「ノンアトピー友の会」でした。そこでステロイド剤(人工の副腎皮質ホルモン)の怖ろしさを知り、また私たちの周囲にある化学物質についても、それらがいかに人体に悪影響を及ぼすかを学びました。食器用洗剤、洗濯用洗剤、シャンプー、浴用石鹸その他の石鹸類にも、汚れを簡単に落とす為に界面活性剤が使われており、これらは環境(下水など)を汚染、破壊するだけでなく、皮膚にもとても良くないことを知り、全て自然由来のものに切り換えました。 
 ステロイドを完全に止めた後はしばらくリバウンドがあり、一時的に炎症がひどくなりますが、次第に落ち着いて、現在は両手とも完全に治癒しました。この経験を通して薬の恐ろしさを身に沁みて理解しました。どの薬剤も症状や炎症を一時的に抑える為の対症療法でしかないこと、根本的な治癒は薬ではできないし、薬を使い続けることは、内臓にも身体にも負担をかけ続けるものであること。
 先生の皮膚炎の処方薬は、おそらく飲み薬は抗ヒスタミン剤ではないでしょうか。それらより、もちろんシアバターの方がずっとましです。私が使っている石けんと酵母くん(ビニールの袋に入っている)はノンアトピー友の会の製品で、今でも私が使っているものですので安心して試してみて下さい(洗顔などに)。それからミヨシ(MIYOSHI)の石けん類とシャボン玉浴用石けんは市販のものですが、無添加製品で膚への刺激が無く良品ですので、私も使ってます。
 主人は脳梗塞になってから、やむなく血液サラサラ薬を服用しています。しかしコレステロールの薬や糖尿病の薬は服用せずに食事の改善に努めています。医者は安易に薬を処方しますが、薬はたし算ではなくかけ算として考え、身体への負担をかけない様に心がけています。
 60年前にレイチェル・カーソンが『沈黙の春』で化学製品による自然破壊と発病について警鐘を鳴らし、40年前に有吉佐和子が『複合汚染』で化学合成物、農薬などの相乗作用での環境汚染と人体への影響の怖ろしさを世に問うても、現実は全く何も変わらず。
 人間は時短、便利を求め、利潤を追求し、大切な生命を危険にさらして生きています。企業は法律の穴をかいくぐり、人々も真の安全を見窮めようとはしません。私たちは市場規模拡大のための利潤と効率の大量生産である加工食品と食品添加物による食のグローバル化=危険のグローバル化であることを知ろうとせず、手軽さを求めて生きています。化学物質問題は全て後回し、それは国をあげての経済的合理性へ、そのための政治へと繋がるものです。
 なんとも文章力のない手紙になってしまいました。私は自分の体験をお伝えしたかっただけなのですが、余計なことをしているのかも知れません。もしそうでしたらどうぞお許しください。
 季節の変わり目、疲れもたまりますのでお身体ご自愛くださいますように。どうぞお元気で。

       4月15日  仁平美弥子


追伸 柳貞子さんが逝去されたとのこと、清泉でのコンサートの時の美しい歌を思い出しました。

 以上、仁平さんからの手紙全文である。ショックを受けたというのは、今回の皮膚炎経験で漠然と感じ始めていた危惧を実に見事に言い当てられたからである。皮膚炎が治らないことに苛立ち、次々と薬を替えて塗布するうち、体の中に蓄積されてゆく化学物質によって、それこそ有吉佐和子の言う複合汚染が進行してゆくのでは、という恐怖である。
 言葉を換えれば、老人になると自然に弱くなるにしても人間が本来持っている免疫力とか治癒力をますます弱らせていくのではないか、との恐れである。そういえば昔、子供たちは傷や炎症が治りかけのカサブタをいっぱい顔や体につけていたような記憶があるが、最近めったにそういう子供の姿を見ることがなくなった。おそらく強い成分の塗り薬などで治りが早く、しかも跡が目立たないようになったからではなかろうか。しかしそのために返って本来持っているべき免疫力や治癒力を次第に摩滅させてきたのではないか。
 実は右の談話室にも書いたように、昨日からクリニックで処方されたアナミドールはやめて、タンポポとヨモギの発酵液「ばんのう酵母くん」を使い始めた。目薬にも使える安全この上なしの液体である。顔だったらさすがに躊躇するだろうが、目の触れない脇腹などの炎症が変化を見せ始めた。赤く薄い段丘状になってきたので、見ようによっては悪化しているとも見えるが、しかしこれが治りかけの印に見えるのだ。説明はむずかしいが、体がそう伝えてくる。実はアナミドールという薬は、仁平さんからもらった文献に拠れば、人間が自ら分泌する天然副腎皮質ホルモンの代表たるコルチゾンの1087倍の強い薬らしい。確かに薬の説明文に長期にわたって使用しないようにとの注意書きがあった。実は先日、クリニックに薬を処方してもらう際、一向に効かないレスタミンコーワの代わりにこのアナミドールを十本ももらってきたのだ。仁平さんからの手紙で助かった。
 それにしても仁平さん、良くぞ知らせてくれた。清泉時代の彼女で覚えているのは、大学近くの高校(名前は忘れたが彼女の母校)で教育実習をしているときに担当教員として訪ねたこと、そして彼女が西文研究室の助手時代に大学の聖堂で今のご主人と結婚したこと、そして最近のことでは、東日本大震災が起こって直ぐの四月に、確か石巻の友人を見舞う娘さんと一緒にご夫婦で我が家を訪ねてきたことだ。他人の困苦を黙って見過ごすことのできない性分は、娘さんにもそっくり遺伝したらしい。
 ともかくここに彼女の手紙をそっくりご紹介したのは、このブログを読まれる方々の中にもきっと役立つ情報が含まれていると信じたからである。私もさっそく今日、まだ読んでいなかった『沈黙の春』と『複合汚染』がアマゾンにあの破壊された価格で出ているのを見つけ、さっそく注文したところである。原発反対、戦争反対の目標に新たに複合汚染反対の目標が加わったわけだ。三つとも同じ禍根(人間の飽くなき欲望)に由来する。さあ忙しくなるぞ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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