アイヌモシリより


※アイヌモシリとは、 アイヌ語で「人間の静かなる大地」を意味する言葉。本来、特定の地域を指すものではないが、今日では北海道を指す場合や、樺太、千島列島など古くからのアイヌ居住地を指すことがある。 対となる語に、カムイモシリ(神の住むところ)がある。また本州をシサムモシリ(隣人の島)、 サモロモシリ(隣の島)と呼んだ。(ウィキペディア)

以下のものは、右の談話室への佐々木あずささんのコメントだが、皆さんにもぜひ読んでいただきたく、あずささんの許諾をえないままこちらに転記します。

 先生の知的好奇心爆裂にびっくりの私です。そのとおり!単一こそ弱く、くじけたら木っ端みじん。先生のおっしゃるように多様性こそ力です。多様性は話し合わなければ物事を進みません。阿吽の呼吸とか、以心伝心なんて、独裁者のたわごと。そうです。本来の意味とは違う使い方がされている「忖度」は言わずもがな。「ぼくちゃんのおもっているとおり君たちはお仕事をすればいいんだぜ」なんてほざきながら、このゴールデンウイークに(血と汗の結晶である)税金をつかって外国をうろつきまわる豪遊議員たち。いやー、腹立つ。今日はメーデー。150人くらいしか集まらない小さなメーデーに参加した私。「建交労」の旗のうしろを、ニッカポッカ(なつかしいでしょ?!)やつなぎの作業着を身にまとった真っ黒に日に焼けた屈強なおじちゃまたちの後をついて歩きました。体と知恵をフル回転させてケガをしないようにチームワークで仕事をする方たちの血税の価値を、豪遊議員たちに知ってもらいたい!!!と痛感しながら歩きました。
 さてさて、アイヌ語の地名からナキウサギまで、そして阿波根昌鴻さんにまつわる新しい知識を頂戴しました。阿波根さんの「5本の指」のお話、ご存知でしょうか。親指、人差し指、中指、薬指、小指。どれひとつなくても力はだせません。俺の方がえらーい。俺がエラーイ。と言っていたら何にもできません。其々が違う力を持っているからいいのです。どの指が一つ欠けても、同じ力は出せない。だから5本の指、全部が大切なのです。私たちも同じです。誰が一人が偉いのではないのです。一人ひとりに価値があるのです。
 こんな内容だったと思います。先生のおっしゃっていることに通じますね。多様性ですね。今日も素敵な学びに感謝します。ということで、FBにアップさせていただきます。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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アイヌモシリより への7件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     昨年、「こころの時代 アイヌ ネノ アン アイヌ(人間らしい人間)」でアイヌ長老の浦川治造(うらかわ はるぞう)さんが出演されていました。豪放磊落な気骨ある浦川さんの人生を通じて、アイヌの人々の伝統儀式や自然界にあるすべてのもの、風や雲まで神として崇め、それらに感謝し、そこから命をいただくというアイヌ人の伝統的な生活を紹介しています。ユーチューブで「こころの時代」で検索すれば視聴できます。佐々木あずささんがご紹介されている阿波根さんの「5本の指」のお話し感動しました。阿波根さんの講演をユーチューブで視聴しましたが、浦川さんに感じた同質の威厳と誇りを、その人となりから私は感じました。

  2. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    阿部修義さん、ありがとう、「こころの時代 アイヌ ネノ アン アイヌ(人間らしい人間)」さっそく見つけました。
     小学生の時、帯広で最後の熊祭りを見ました。確か進駐軍に以後禁止されたと記憶してますが、しかしうまい肉を食するためもっと残酷な方法で平然と家畜を殺す、いわゆる文明人とは違って、アイヌは文字通り神送り・神迎えの神聖な儀式としてやっていたものを、禁止する権利などだれにもありませんね。

  3. 阿部修義 のコメント:

    貞房先生

     生まれた時から差別を受けながら、それを黙って笑顔で受けとめて生きてきた人でしか決して身につけることができない人間としての威厳をこのお二人から感じます。その一言一言が地にしっかりと足をつけ、万物に感謝して、実人生の中から滲み出た魂の言葉の重さに、私たちは謙虚に耳を傾けなければならないと思いました。

  4. 佐々木あずさ のコメント:

    佐々木孝先生
    私の拙い文章をアップしていただき、感動しています。実は、今、元自衛官の友人が「間質性肺炎」で余命宣告を受け、入院しています。自衛隊の様々な理不尽な実態を告発してきた方です。2011年のトモダチ作戦に参加したその年の末に、「原因不明」の肺の病気になっていたのです。症状がすでに出ていたのに、上官は、適切な医療行為を受けさせず、それどころか数度、倒れる状況だったにもかかわらず、業務をさせている中で病状が悪化したのです。なんという理不尽なことでしょう。毎日、病室にみまっています。ベッドに寝たきりです。体は以前の1/3ほどに痩せてしまいました。そんななか、今だに、安保法制違憲訴訟原告団長として陳述書を仕上げようと懸命に病気と闘っています。阿部さんのコメントにありました「同質の威厳と誇り」。彼の生きざまにピッタリだと感じました。

  5. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    佐々木あずささん
     その元自衛官の方のこと初めて知りました。遠くからでは何もできませんが、一日も早い快癒を心から祈ってます。あずささんも皆の代表として、どうかよろしくお願いいたします。

  6. 佐々木あずさ のコメント:

    佐々木孝先生
    さっそく家族のアルバムを拝見。依然見たことがあるのに、またのめりこんで見入ってしまいました。先生に繋がるお父上、お母上、そして美子奥さま、お子様たち、そして縁のあった皆さんがお顔とキャプション。ついつい関係ないところに迷いこみながら、「熊におびえながらお宿にたどり着いた」ときの様子を想像してクスッと笑ってしまいました。

    元自衛官、末延隆成さんは東京下町に18歳まで育ち、入隊。30歳で北海道の部隊に配属されました。奥さまも病気を抱え、身体が不自由とのこと。安保法制違憲訴訟の原告団を引き受けるということも、かなりバッシングがあるのですが…。ご苦労の多い人生を歩まれた方です。

    呑空庵十勝支部のチラシなど送りますね。先生の話題で持っているようなものです。最近、テルトゥリアっぽくなりつつあります。

    久しぶりに、美子奥さまの若き日のお写真も拝見しました。あ~、このころ、お二人でベリガンの翻訳をされたんだなぁ、などと思いつつ。よろしくお伝えください。

  7. 佐々木あずさ のコメント:

    (続編)斎藤弁護士からのメールを以下に掲載します。斉藤さんは帯広生まれ育ちの人権は弁護士です。上記の安保法制違憲訴訟の弁護団でもあり、元自衛官の友人でもあります。今回の進藤先生の講演会をコーディネートしてくださいました。そして、ご紹介ついでに、先生の家族アルバムからの一葉をお見せしたら、プリントアウトして進藤先生にお渡ししたとのこと。そのことが書いてあります。
     昨日,進藤先生を空港までお送りする際,あずささんから送っていただいた佐々木孝さんと進藤先生の旅館での写真をお渡ししました。「分割された領土」の冒頭の「1946年憲法の子供ら」なんですね。佐々木孝さんのことを優秀でいいやつだったと話されていました。友達っていいものですね。そしてあずささんを始め色々な人を繋げてくれるものなんですね

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