ブライトン再訪(二)

再三の探索にもかかわらず、今日になってもまだ『ブライトン・ロック』の原著が見つからない。いや蔵書数の多さを暗に自慢しているわけではない。捜索の範囲が限られているにもかかわらず見つからないのは、ひとえに普段からの整理の悪さ、そしてどこかにひょいと置き忘れたとしたら、耄碌のせいである。もともと大したことではないので、話を先に進める。
 まず映画『モナリザ』である。だいぶ昔に一度見たのだが、非常に印象に残った映画の一つである。なぜ「モナリザ」か、といえば、あの不朽の名曲、ナットキング・コールの「モナリザ」からヒントをえて作られた映画だからだ。

モナリザ
そう呼ばれるきみは、ミステリアスな微笑の貴婦人にそっくりだ
きみが微笑むのは、恋人を誘うため? それとも傷ついた心を隠すため?
きみに届けられるたくさんの夢は、戸口に置き去りにされたまま消えていく―

 だが話そのものは、ナットキング・コールのあの甘い声、美しい旋律を裏切ってまさに謎と戦慄、そして暴力と死を巻き添えにして激しく展開する。主人公は、イギリスでは有名らしいボブ・ホスキンス演じるずんぐりむっくりの冴えない中年ヤクザ(ジョージ)である。ボスの身代わりで服役した彼は、出所後に会いに行った妻にさえ門前払いを喰らうついてないおっさん。その彼がボス(マイケル・ケイン演じる売春の元締め)に命令されて見張っていた黒人の高級娼婦シモーヌに、なんと恋してしまうのだ。そしてボスの怒りを買って追われる身になったシモーヌのために一肌脱ごうと決意する。
 だがボスやチンピラと渡り合って守り抜いたシモーヌの本命が、少し頭のゆるい若い娼婦だった、というオチがつく。もうふんだりけったり。普通の恋に敗れたのなら彼にも経験があるだろうが、愛する相手がレズであることによって、この失恋にはやり場のない悲しみが増幅する。しかしこの中年おっさんが観客にとっていつのまにか実にかっこいい、そして頼もしい男に見えてくるから不思議だ。そう、007のショーン・コネリーよりも男前に見えてくる。それはレスビアンのシモーヌにとってもそうだったにちがいない。しかし運命には逆らえない。
 言い忘れたが、この映画の最後の大団円の舞台こそがブライトンであった。観光客でごった返す桟橋の露店でおどけたサン・グラスを買って心の動揺を隠そうとするジョージの振る舞いがなんとも哀れである。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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