さて二番目の映画は1960年のイギリス映画『寄席芸人』である。親子二代の芸人一家がしだいに新しい時代に取り残され、最後は二代目(演ずるは名優ローレンス・オリヴィエ)以外はついにカナダ移住を決意するにいたるという筋立てである。時代は1956年のスエズ動乱勃発時と重なる。今じゃスエズ動乱を覚えている人も少ないだろうから、簡単に説明すると、この動乱、スエズ運河の管理などをめぐって発生した武力紛争である。つまりスエズ運河の国有化を宣言したエジプト(大統領はG. ナセル)と、イスラエル、イギリス、フランスとの間の武力衝突である。この動乱に出兵した一家の長男は捕虜となり、釈放寸前に殺されるという悲劇が一家を見舞う。
しかし本筋は一座の運営のために美人コンテスト出場の金持ち娘をたぶらかすまでして悪戦苦闘するオリヴィエと、それをはらはらしながら見守る娘や、一座のためにカムバックを決意した矢先、舞台裏で心臓麻痺で死んでしまう一代目、夫の浮気や借金にもよく事情がつかめない妻など、芸人一家のすったもんだである。娘役のブレンダ・デ・パンジー、そして祖父役のロジャー・リヴシーなどがなかなかいい演技をしている。監督はトニー・リチャードソン。
ところで題名は「寄席芸人」となっているが、原題はザ・エンターテナー(The Entertainer)である。芸の中心は風刺のきいた漫談で、それにときおりタップダンスや歌が入る。日本でもそうした芸人を一時期ボードビリアン(vaudevillian)と呼んでいたと思うが、調べてみるとそれはフランス語由来の言葉で、アメリカでは使われてもイギリスでは使われないらしい。
ところで一座が活躍する劇場の所在地はブライトンである。といって映画の中でその名前は出て来なかったと思うが、ロンドンから近く、劇場など娯楽施設が集まった町といえばブライトンに間違いないであろう。美人コンテストの会場はまさにブライトンの海岸である。寄席芸人の映画となれば、かの有名なチャップリンの『ライム・ライト』がある。初め、もしかして『寄席芸人』は『ライム・ライト』からヒントを得て作られたのかな、と思ったが、どうだろう。
新しい娯楽の登場で次第に活躍の場を失っていく芸人、再出発の舞台を前に命を落とす芸人、というテーマなど確かに両者は似かよってはいるが、時代背景の適切な描写、一家を取り巻く複雑な人間関係の面白さなど映画そのものの出来としては、私は『寄席芸人』の方に軍配を上げたいと思う。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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