美子、あと2時間で私たちの金婚の日(11月17日)を迎えます。少し早いですが、今晩はいつもの皮膚炎の苦しい夢ではなく、久しぶりに美子と一緒の若い日々の夢でも見たくなったので、これから寝ることにします。
50年前の今日、福島市の、、、あれっどこでしたっけ、たぶん松木町の教会でしたね、結婚しました。爾来半世紀、いつも、どんなときも、二人の信頼関係が崩れたことは一度もありませんでした。もう何回も言ったことですが、むかし「亭主元気で留守がいい」というコマーシャルが流行ったとき、その意味が分からないというので冗談かと思いましたが、どうやら本当に分からなかったようでした。だから、認知症で寝た切りになった現在、美子は幸福とは言えないでしょうが決して不幸とは思っていないと確信しています。なぜなら孝は美子といつも3メートル以内のところにいるからです。三日おきぐらいにスーパーに出かける以外、いつも一緒です。
何も話せなくなってからもう何年経ったでしょう? でもたとえ話せなくとも、全てを理解していると思ってます。だからいつもいろんなことを報告してますし、頴美も愛も出かけるときや帰宅時に必ず挨拶に来ます。幸いなことに、愛はおばあちゃんがまだ元気で話をし歩いていたときのことを覚えています。
私ももちろん、いろんな機会、いろんな瞬間に美子が元気であった頃のことを思い出します。認知症なんぞにならなかったら、いろんなところに行けたし、いろんな楽しいことを一緒に楽しんだのに、と思うときがあります。でも私たち、いろんなところに一緒に行きましたよね。家族旅行でスペインにも(あゝレンタカーで5千キロ走りました)、南は熊本、北は北海道にも、あゝそれから認知症の初期段階でしたが大連から瀋陽、さらにその郊外の頴美の実家を訪ねました。
こうして振り返ってみると次々と懐かしい場面が蘇ってきます。でも過去への遡行はこれからも美子の傍で一緒に写真を見ながら時おり繰り返したいことの一つです。実は美子、この金婚を機会に、ちょっと詩でも書いてみようかな、と思っていましたが、どうも今回はできそうにありません。その代わり結婚式の写真を大きくアップしましょう。
エメラルド婚(55年)なんて軽々越えましょう。いやダイヤモンド婚(60年)だって二人元気で迎えましょうよ。パパの心からの願いはこれからも二人して元気に過ごすこと、美子がいない日々なんて決して迎えたくありません。できる限り頑張って、そして美子の最期を看取ってから僕も死ぬつもり、理想を言えば美子が息を引き取ってから5分後(いや1分でいいか)、美子の安らかな顔を見ながら死にたいです。
今さら言うまでもなく美子あっての孝です。この数年間、風邪も引かず、持病だったギックリ腰にもならないのは、常に美子からパワーを貰っているからです。どうかこれからもよろしくお願いします。
頴美が撮ってくれた今朝の二人。(クリックしたら大きくなります。その必要ないか)
佐々木兄い 殿
17日が金婚の記念日とわかっていて、先を越されてしまいました。
きょうのブログを読み、お二人の熱い心の繋がりあいに、私などはポーンと弾き飛ばされます。当たり前のこと、これでいいのです。
孝兄、美子さん、本当におめでとうございます。深くて重い、懐かしい時の巡りですね。私などには、愛ちゃんがおばあさまとしっかり語り合えていたことを知ることは、大きな喜びです。まずはエメラルド,目指しましょう。
守口
金婚式おめでとうございます!
お二人ともとてもいい表情で、写っていられて安心いたしました。
私共も34年の結婚ですから、ダイヤモンド婚??
連れ合いの5分後?1分後に~~という先生のお気持ち同感です。
お互い半身同士ですから、神さまもご存知でいらっしゃると信じています。
中野恵子様
そうか、恵子さんは私より若いけど結婚では先輩か。恐れ入り谷の鬼子母神、今後ともよろしく、先輩!
呑空庵主 孝先生へ
金婚式をお二人で迎えた日のメッセージ。よく思い出すのは、お二人でダニエルベリガン神父の著作を共同訳されたこと。知恵を寄せ合い、同じ文章を共有しながらつづったであろう文章。ベリガン神父は、今の私の原点でした。そして時を超えて、私は呑空庵の一隅に存在する幸いを味わっております。これからもお二人が、私の支え、私の座標軸。よろしくお願いいたします。