リスボン再訪(二)


「君がなぜ私にこだわるのか教えてもらおう」
「ぼくはずっと君を分ろうとしてきた。でももうウンザリだ、そう言いたかった。皆が君を崇拝するが、ぼくにはもう必要ない」
「私といるのが嫌だったと?」
「まさか。とても大切な存在だったよ。でも苦しかった。心の平和が乱された」
「それこそが文学の使命だと思わないか?安息をかき乱すことが」

 これは映画の最後で、主人公がようやく会えた死せる作家と、レストランで食事をしながら語りあう場面でのやりとりである。明らかに相手の作家はペソアと言わなければならない。敬愛する作家などと、こちらでは勝手に思い込んでいたが、タブッキ(映画の主人公がぴったりタブッキと重なるわけではないであろうが)にはタブッキなりの複雑な思いがあったことがこの会話からうかがえる。
 それにしてもこの映画の中のリスボンはまたなんと不思議な静寂に包まれていることか。幻想の中での死者との邂逅の場面であるから当然と言えば当然なのだが。『リスボン物語』の時の、あの街の喧騒が嘘のような静けさである。もちろん会話もあり、それなりの物音があるのだが、それらは夢の中でのように、必要なときに、必要な音量でしか聞こえてこない。あとはすべての音を吸い上げるような圧倒的なしじまである。
 死者たちの登場の仕方にしても独特である。たとえば、主人公の父親は、主人公よりはるかに若い船乗りとして登場するのだが、主人公の前に突然現れるのではない。いや突然にではあるが何カットか前に、何の脈絡もなく、しかし正式な登場の下準備をするかのように、いわば先回りして画面に現れてくるのだ。夢の中では意識の下に、意識とは別個に、さらに別の意識が折り重なっているのと同じことである。つまり夢を見るのは私ではあるが、登場したり起こったりすることは、その私の自由にはならず、それ独自の流儀で惹起する。
 タブッキと同じく、私自身も彼の作品を読むことで、いわく言いがたい不安にかられ、早々に彼を遠ざけたのであるが、岩場に響くセイレーンの歌声のような、彼の発する魅惑的な波動にまたぞろ捕らえられそうだ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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