トントとダリ

今日の午後、『ハリーとトント』をテープからDVDに移しているとき、トントがあまりにもダリに似ているので、胸が締め付けられるような思いに襲われた。むかし見たときにもそう思ったが、今回はトントが登場する場面を飛ばし見しただけだけれど、改めてそう思った。でも正直言うと、一瞬ダリの名前が思い出せず、急いでホームページの猫のページを探した。悲しいことに、このごろ固有名詞がとっさに思い出せないことがたび重なる。
 映画は1974年の作で、ハリーはニューヨークに暮らす老人の名前、そしてトントはその飼い猫の名前である。ハリーは区画整理でアパートを追い出され、同じ街に住む娘の家族と同居するが、実の娘に嫌味を言われ(娘婿はむしろ同居を喜んでくれていたのだが)、トントを連れてシカゴに住むもう一人の娘のところまで旅をすることになる。
 トントはもちろんスペイン語で「お馬鹿さん」を意味するが、トントというからには雄猫のはずだ。雌猫ならトンタとなる。ともかくこのトントがダリそっくりなのだ。実はこのダリについては、2001年に「ダリのことなど」という短編を書いたが、その翌年、八王子から相馬に引っ越すに際して連れてきた四匹の猫のうちの一匹だった。他の三匹は血の繋がったきょうだい猫で、ダリだけ他人だった。
 しかし相馬に着いてから一週間後あたりに、このダリと黒猫のイチローがどこかに行ってしまったのだ。二匹が行動をともにしたはずはなく、べつべつの時に、べつべつの動機で逃走してしまったのだ。「ダリのことなど」に書いたとおり、いちばん懐いて、頭もよい猫だったが、もともと野良だったので、場所が変わって落ち着かなかったのだろう。
 一時期は十匹ちかくの猫に囲まれて生活したが、今は一匹も残っていない。美子のこともあって、たぶんもう動物を飼うことはあるまいと思うが、近所で猫を見かけたり、テレビで猫を見たりしても、胸中、懐かしさとも悲しさともつかぬ、不思議な感情が渦巻く。
 ちなみにダリは美子がつけた名前で、その意味は聞いたような気もするが思い出せない。もう確かめることはできないが、それにしてもダリはどこに行ったのだろう。いなくなった当時は似たような猫を見かけるたびに急いで後を追ったこともあるが……だれか親切な人に拾われて幸福な生涯を全うしたと信じたい。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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