グレゴワール・コラン

もちろんいろんな雑事をこなしながら、そしてときどき部分的に見るだけではあるが、このところ毎日、ビデオテープからDVDへの変換作業に余念がない。おかげで頭の中では、いろんな国、いろんな風景、いろんな登場人物がひしめき合っている。
 昨日から今日にかけては、『わらの女』(1964年のイギリス映画、ショーン・コネリーとジーナ・ロロブリーダという異色の組み合わせ)、今回も元アンチャン風味濃厚なアラン・ドロンの『ブーメランのように』(1976年、フランス映画)、イギリス・フランス・マケドニア合作の『ビフォア・ザ・レイン』、美子が大好きだった内田吐夢監督の『飢餓海峡』(1965年)。
 さらにナチス支配下のフランスでその手先になった17歳の少年の悲しく短い生涯を描いた『ルシアンの青春』(1973年)、リー・マービンとジャンヌ・モロー、ジャック・パランスというこれまた異色の組み合わせの西部劇『モンテ・ウォルシュ』(1970年)、ゾラの『テレーズ・ラカン』を現代風にアレンジした『嘆きのテレーズ』(1952年)、そして今、アンソニー・クインを起用してのギリシャ映画『その男ゾルバ』を変換中。たぶんそのあと、今日最後の作業ができるであろう。
 いずれもひと癖もふた癖もある映画ぞろいで、きっちり見ながらだったら、いい加減頭がおかしくなっていたであろう。いつか時間があったらゆっくり見直したいのは、『飢餓海峡』と『ビフォア・ザ・レイン』、そして『その男ゾルバ』であろうか。特に前者の三国連太郎がいい。一昨日だかに変換した『死の棘』では、岸部一徳が島尾敏雄を演じていて、それなりに味を出していたが、私としては三国連太郎にやってもらいたかった。
 ついでに言わせてもらえば、八重を演じたのは左幸子だが、これまた欲を言えば、1978年に八回にわたってテレビでリメイクされたもの(恩地日出夫監督、若山富三郎 山崎 努出演)で同じく八重を演じた藤真利子がより適役だったと思う。つまり私の理想のキャスティングは、三国連太郎、伴淳三郎、そして藤真理子となる。
 と、やけに前置きが長くなったが、実は今日書いておきたかったのは、フランスの若手俳優グレゴワール・コランについてであった。つまり今日変換した『ビフォア・ザ・レイン』を見ていて、あれこの俳優どこかで見たな、と思って、先日すでに変換済みの『オリヴィエ、オリヴィエ』(1992年)を探してみたら、やはりそこにも出ていた。そのときも非常に強い印象を残した。
 フランス映画に詳しい人には常識みたいなものであろうが、私にとっては嬉しい驚きだった。ネットで調べると1975年生まれで、250年続く演劇一家の出ということだ。『オリヴィエ、オリヴィエ』のときは17歳、『ビフォア・ザ・レイン』のときは19歳だったわけだから、印象に残った理由は、演技のうまさというより、少し切れ長の目をした、いかにも繊細な物腰に好感が持てたからであろう。特に『ビフォア・ザ・レイン』の見習い修道士の役は適役で、強い印象を残した。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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