たまゆらの世界(曽野綾子論1)
二回にわたって、曽野綾子の文学について書いてみる。実を言うと、氏について何か書いてみようと思いたったときは、まだ氏の作品を数編しか読んでいなかったのである。私にはどういうわけか、いわゆる女流作家、なかでも才女と呼ばれる作家たちに対して、心ひそかな偏見があって、すなおに近づくことができなかったようである。たとえば、次のような文章を読んだりすると、感心はするが、どうもついていけないなあ、と思ってしまう。
「出演者のひとりである菊沢邦枝は、先刻から楽屋口に立ってはいってくる人を待っていた。長身に黒と淡緑の暈しの地に鮮やかな四君子を染め描いた総絵羽の着物が似合ってはでやかだから……」
ご存じのかたがあるかもしれないが、これは曽野綾子と同年生まれ(昭和六年)で、氏とほとんど同じころ文壇におどり出た(こんな形容は失礼かもしれぬが)有吉佐和子の『地唄』の一節である。このような文章にぶつかると、ちょうど母や姉のお供で洋品店を軒並みに歩かされたときの、あの奇妙なイラダチのようなものが襲ってくるのである。「もういいかげんにしてくれないかなあ、どっちだっていいじゃないか。」しかし、これは男性の身がってというものだろう。そして、些事をおろそかにせず、忍耐強く時の流れにまかせるということは、どうも小説家、持に長編作家や、その読者たちには欠かせない態度らしい。アランも、私のようなせっかちな読者をいましめて言っている。
「……のごときすぐれた作品においても、準備的描写が最初読む際には多少の疲労を感ぜしめるようなこともありはする。しかし[これをうるさがるようでは、いよいよ本筋にはいって]火花を散らすようなところなども、いわば照らすべき対象なき光のようなものとなってしまうのである。」
だから女性は先天的に小説家たる素質を持っているのであり、事実、紫式部をはじめジェイン・オースティン、ブロンテ姉妹など、古来より大小説家が女性軍から輩出したのである。ただし、細密描写がかならずしも小説の中で、そのところを得て生きてくるわけではない。
有吉氏の文章を引用したことから、話は横道にそれていきそうだが、言いたかったのは有吉氏のは『地唄』一作しか読んでいないので知らぬが、少なくも曽野氏の作品には、いわゆる女流作家の臭みが意外と少ないことである。短時日のうちに、代表的な作品を十数編、それも批評してやろうなどと大それた魂胆をもって読んだのであるからあやしいかぎりだが、そう言い切ってもまちがいはなさそうだ。
曽野氏の処女作と言ってもよい『遠来の客たち』は、昭和二十九年の芥川賞候補作品になり、惜しくも賞を逸したものだが、これなどもきわめてかわいた文体で書かれており、読後さわやかな印象の残る好短編である。米軍に没収されたあるホテルで働く一少女の目を通して、当時の世相の一断片が、ちょうど淡彩画でも見るときのような、雨あがりの澄みきった大気の中にいるときのようなさわやかさをもって描かれている。敗戦国の人が征服者たちに感じる、あるいはわれわれ日本人が欧米人に対して漠然と持つ、あのジメジメと屈折した感情などみじんもなく、この少女は全く対等に、ときには思いやりある肉親のような態度で、武骨なアメリカ人たちと接しているのである。昭和二十九年といえば、まだ世情騒然としていた時代であるのに、アメリカ人たちを見る目がこのように淡白なのはひとつの驚異である。
年譜によれば、曽野綾子は昭和六年東京に生まれ、学校は幼稚園から大学までずっと聖心女子学院とある。このことは、氏の作品を読むうえで記憶していてよいことである。恵まれた家庭の子女たちが通っている学校だからという意味ばかりでなく、そこにはあの『遠来の客たち』の主人公が持っていたような視点を形づくるに適した環境があったということだ。おそらく当時も、現在のようにいろいろな修道女たちが先生だったはずだ。ということは、戦勝国の修道女もいれば、敗戦国の修道女もいたはずで、そのような国と国との確執や、戦争による浮き沈みといったことも、氏にとって客観的な事実としてながめうる立場にいたということを意味する。日本は今度の戦争で、はじめて明らかな敗戦の苦渋をなめ、それだけにろうばいも大きかったわけだが、ヨー口ツパ諸国などでは、外敵の侵入によるなまなましい敗戦のうきめなどは、さしてめずらしいことではない。もちろん修道女たちがあの小さな学院内で国と国との対立の縮図をくりひろげたというのではない。
しかしその修道女たちの姿を通して、きびしい現実をかいま見ることができただろうということである。持に氏のような感受性の強い少女の目には、いろいろなことがよく見えたにちがいない。負けたのは自分たちの国だけではないのだ。いわば若い氏の目には、国と国とが等価にうつったわけである。
このことは、案外に、氏の創作態度に影響しているようだ。つまり氏は、氏の生活体験を通して、生活実験者から観察者(傍観音)の位置を獲得したということである。あるいは、傍観者の位置につくことをよぎなくされたと言ったほうがよいかもしれぬ。なぜなら複雑な迷路を上から鳥瞰した者にとって、いまさら迷路に帰って迷うことは自己を偽ることだからだ。
氏には、きわめて巧みなストリイ・テラアだという定評がある。しかし、わが国のように、生活実験者(探求者)の文学が、つまり私小説作家の文学が主流を占めてきたようなところでは、ある種の皮肉がこめられていることも事実である。なぜなら、ストリイの展開だけに意を用いると、風俗小説、通俗小説に傾斜してしまうことが多いからである。つまり、起承転結を踏んで作品世界をまとめあげるということは、作者が全能者の位置に立つことであり、そうなれば作者にとって人生の神秘は消えてしまうからである。作者にとって神秘が消えたところでは、読者にとってもあの魅力ある不意打ちは消えてしまう。筋の意外な進展は、たしかに一時的には読者の不意を打つが、時間がたてばその感銘も影うすきものとなってしまうからである。なぜなら作者が扮した《小さな神》の仮面は、時間とともにはげ落ちる運命にあるからだ。曽野氏の作品の中にも、明らかに通俗小説への傾斜を示している作品がいくつかある。題材のおもしろさ、取材の意外さに頼った作品がわりと多い。
しかし、こんなことは作者自身が先刻ご承知のことだろう。あるいはわざと意識してそういう作品を多作しているのかもしれない。純文学とか中間小説とか大衆小説とか、わかったようでわからぬあいまいな色分けがわが国にはあるが、そんなことを意に介さないことを実作をもって抗議しているのかもしれない。きびしく自己を追いつめてゆく型の、苦行者めいた創作態度に、いや気がさしているのかもしれない。そこにいやおうなく顔をのぞかせる偽善的(偽悪的と言いかえても同じことだ)要素を激しく拒んでいるのかもしれない。
曽野氏はまた、才女なる異名をかぶせられている。しかし氏は、この光栄をかなり迷惑なものと感じているのではないか、どうもそんな気がする。「才女」という月桂冠の下で曽野氏の頭はムズがゆがっている。
その作品にあらわれてくる主人公たちは、どれもこれもみなさめている、さめきっている。かれらは才能を持てあましている、才能に傷ついている。見えすぎることに苦しんでいる。人間にとって見えすぎることはなんと不幸なことであることか。なぜなら、人間同士の愛といい理解といっても、それはよく見えないことから出来し、よく認識できないことによって成り立っていることが多いからである。たとえばあなたにとって、恋人のくせや欠点などが、いつもどうしようもなくはっきり見えてしまったら、どうだろう。「あばたもえくぼ」という人間認識の陥穿がなければ人間社会はまことに味気ないものである。人問は夢を織る動物である。
『たまゆら』の図師敬子も、そのような人間の弱さといったものを、とことんまで知りつくしている。吉岡清彦という男にひかれたのも、実は彼もまたそのようなさびしい人間であったからだ。ひかれたというのも、相手に積極的に近づくといったものではなく、ちょうど傷ついた二匹の獣が互いによりそってかばいあうようなものである。
「人間を生かしも殺しもしないぼどのさびしさというものがあり、生かしも殺しもしないほどの貧しさがある。」
ものうげてさびしいたまゆらの世界、曽野氏の作品には、落日のそれにも似たさびしさがつきまとう。夢はこれから実現されるべき何かではなく、あくまで架空の、実現不可能なはかないものとしてとどまる。
「清彦がひょうきんな人間であろうとなかろうと、ほんとうはもはやどちらでもよかった。問題はそれぞれの女たちが心にいだいている架空の清彦だけであった。ひとりの人問を限りなく誤解し、限りなく夢みて、そして生きて行くはずだった日々のもろさが敬子の胸にこたえた。
敬子は思わずあけはなたれた縁側の戸につかまった。彼女の心は立っていることができなかった。彼女は海のまぶしさから目をそむけた。そのとき台所からお茶を持って来るらしい光子のけはいがした。」
『たまゆら』の最後のくだりである。しかし、図師敬子にしろ、吉岡清彦にしろ、あのさびしさ、倦怠はどこからくるのだろうか。彼らは確かにさめている。人問の弱さ、醜悪さに傷ついている。しかし、現実はそれだけだろうか。人問の醜さ、おろかさから逃避するだけでよいのだろうか。あるいは、それを黙って耐えるだけでよいのだろうか。もう一歩踏みこむ必要があるのではなかろうか。そこから新しい地平が開けてくるのではなかろうか。凡庸な、鈍感な精神にはわからぬ苦しさを耐えているのかもわからぬ。だが彼に、彼女に、はたしてすべてが見えているのだろうか。どこかで計算違いをし、どこかで解決を逃げているのではないか。
清彦は日系移民の実情を調べにブラジルに渡った。しかしその地で行くえをくらまし、もはや敬子の待っている日本には帰ってこないだろう。彼は一本のアグアリンドイヤ(びんづめの飲料水)をぶらさげて原始林の中にはいっていった。
曽野氏の作品の主人公たちは、人間たちのかっとうを避けて原始林の中へ消えてゆく。『人間の皮』の田中銀五郎もそうだ。
「ある朝、空港の近くまで釆たとき、彼は急に、再び南の自然にとけこみたくなった。彼は十分ほど、空港のさくによりかかって、その思いとたたかった。自分の人生はもうとっくに夢のようなものなのだ。どっちへころんだって、大したことはない。それでも彼はタバコを二、三本吸う間考え続けた。それから彼はふらふらと洗面所にはいり、その窓からめくるめくような南洋の陽が彼を未知の世界に誘うのを見た。彼は一瞬ためらった末、少しばかりくたびれかかった皮ケースごと妻の写真をくず入れに投げこんだのであった」。
そこ原始林は、もはや人間どもの作ったわずらわしい約束ごとに悩まされることのないリンボの世界、たまゆらの世界だ。薄明境、善悪がもはや問題とならず,いわば倫理性が剥奪された世界。決定的な審判からまぬがれた無辜な魂たちの安息の場。そして生者の国に残された敬子も、そして『人間の皮』のマリアも、そのたまゆらの世界にあこがれる。マリアは「夫の家出よりも夫の死のほうを望んで」おり、死んだはずの夫の埋葬室を守りながら、自分もまたあの死者の国に運ばれることを待っている。彼女は生きながら死んでいる。
私は曽野氏の作品を読みながら、ふと折口信夫の『死者の書』のことを思い出した。唯一にしてぺルソナなる絶対者を信仰する人にも、ふとあとずれてくるあの薄明の世界へのあこがれ。しかし、氏はなぜ執拗にあの「たまゆら」の世界を描こうとするのだろうか。
(『あけぼの』、一九六七年七月号)